カテゴリー別アーカイブ: かなり創作編

トラック荷台なぞかけ三題

このトラックの荷台とかけて…

集合写真の中で、知り合いを見つけた時と解く。

そのココロは……

アッ、いた! いた(板)!………

このトラックの荷台……とかけて、

優秀な企画マン……と解く。

そのココロは、

切り口が、たくさんあります……

このトラックの荷台とかけて…

最近の鏡餅と解く。

そのココロは……

みかん(三管)がのっています………

(注)本来は橙なんで、「最近の」としたのだが……

男女兼用トイレの臭いと日本の将来について

かつて、“ヒトビト的モロモロ研究会”という、かなりというか、はっきり言って完璧にいい加減な研究会?の親方をやっていた。

当然、定期会合などを開くわけでもなく、ただウスラぼんやりと「まちやむらやモノやコトやひと」などを酒の肴にし、そのうち一応「ヒトビト」誌上にコラム的に発表する?というものだった。

メンバーはボクと、ついでにやってるみたいなもう一人と、その都度の数人だけ。ほとんどボク独りでやっていたと言っていい。

基本的には世の中のどうでもいいようなことを、ただいたずらに深く掘り下げ、自分たちの限りなき満足感のためにだけやっていたのだが、時折それが思いも寄らぬ方向へと発展することもあった。

例えば、「オトコなら床屋へ行こう」というコラムは、理容業界の関係者の目に止まり、その後の業界イベントの企画依頼に繋がった。地元業界誌の座談会のコーディネーターをしたり、理容学校で生徒たちの前で話したりもした。ウソみたいなホントの話で、申し訳ない限りだった。

そして、その後に書いたのが、今回の話につながる「オトコも座ってオシッコするべきよね~」というタイトルのコラムだ。

この話は、当時京都の出版社に勤務し、小誌に寄稿してくれていた二人の“はんなりお姉さま”のうちの、一人のお姉さまの方が突然口走り、そこから始まったものである。

タイトル写真にある問題の男女兼用トイレ。最近では洋式の男女兼用が一般的になっている。

かつては、和式の男女兼用も普通であったが、今は洋式が圧倒的に多いのではないだろうか。

本題に入る前に、話はどんどんと脇にそれていくが、洋式と和式の男女兼用には、文化の違いを匂わす大きな要素が隠れているのをご存じだろうか。

使用中にドアをノックされた場合、一般的な洋式では体が正面を向いていることが多く、ノックを返せばすむ。もちろん、ちょっと広めのところでは返事をしなければならないこともあるが、その場合でもそれほど大きな声を出す必要はない。

しかし、和式になると、態勢は逆になり、ドアの方にケツ(あるいは尻を)を向けているケースが多くなる。そのために、日本人の多くは、「入ってまァ~す」などと、やや大きめの声を出さなければならない状況にあった(そうでもないという人もいるかもしれないが、一応そういうことにしておいてほしい)。

もちろん、黙したまま、ドアがガチャガチャ鳴るのに脅え、ひたすら早く立ち去ってくれと祈ってきた日本人も多かっただろう。

人が近づくと、やたらと咳払いばかりしてきた日本人もいたに違いない。

ここにまず欧米人の合理的な考え方が見えてくる。

そして、さらに話を脇にそらすと、もしドアに鍵がかかってなかったり、鍵が壊れていたりした場合、思わずドアを開けてしまった客人に対して、洋式では「コンニチワ」と挨拶が出来るのに対して、和式の場合は、汚い(もちろんオトコの場合だが)ケツ(あるいは尻)を晒すだけになるという、かなり情けない状況が待っているのでもある。

さらにこの場合、洋式では自分の排泄物が見えないのに対して、和式ではクッキリすっきり鮮明に、それがそれであることを認識されるという情けなさもあったりするから困ったものだ。

ある男性の証言がある。「実はかつて、新潟市の某ショッピングセンター内トイレにおいて、目撃したことがあります。クッキリとしたあの……」

別な男性の証言。「ある公園の公衆トイレ(大)に入ったら、鍵が壊れていました。しかし、我慢も限界に来ていたので、手で押さえながらしゃがんでいたのですが、そこへ・・・」

証言をかいつまんで言うと、たまたまその公園の近くに相撲部の強い高校があり、その部員たちがランニングしていた。その中の一人が腹の調子が悪かったのか、トイレに駈け込んで来た。そして、ノックもせず、声もかけずに…。小心の男性は、思わず手を放してしまった………

……このような話は、かつて夏目房ノ介氏(漱石の孫で漫画批評家、後に大学教授)も、何かの著書に書いていたと記憶する。

さて、ようやく本題である。ここで取り上げるのは、男女兼用トイレにおける“小用”のやり方、早い話がオシッコの仕方のことだ。

ここからは、ヒトビト第3号に綴った文章を引用しよう………

『 単純に納得できることなのであるが、一般的に女子トイレに比べると男子トイレの方が、はるか彼方的にクサいと言われる。ただオトコとして、もしそのようなことを女性の皆様から面と向かって言われたとしても、

「そりゃあ、そうだヨ。なにしろオトコは小便しながら、ついでに屁もするんだもん」

などと、開き直ってはいけない。自分がいつもそうだからと言って、すべてのオトコがそうとは限らないのだ。

では、男子トイレがクサい本当の理由とは何なのか?

生物学的に、オトコの場合、小便は立ってするという古くからのやり方があって、どうやらそのことが男子トイレのクサさと深く関係してきたと考えられる。

オトコの小便は身体が立った状態から放出されるために、座った状態から放出される女子のものよりも、大気と触れあう時間が長い。だからその臭気の拡散する割合も当然大きくなるワケだ。

そしてさらには、立って小便をするがための男子用便器が、そのクサさを助長する役割を担ってしまったことも考えねばなるまい。

立った状態から勢いよく放出された小便を、しっかりと受け止めなければならない便器。しかし、勢いのある状態で受け止めるということは即ち、「飛び散る」とか「はね返る」といった現象を生む。

この飛び散った分とか、はね返った分というのが、極めて大きな意味を持つことになる。

ちょっと古い調査の結果だが、それによると、トイレの快適さを左右するのは、やはり「臭気」であって、快適さを失う三大原因は次のものとされている。

1 前の人の大便などの臭気

2 自分の排泄時の臭気

3 こぼれた小便の臭気

自分が出したものより、他人の出したものの方がクサいという1,2の結果は、大いに頷けるところである。

しかし、問題はやはり3なのであって、「こぼれた小便」という情けない響きと共に、いかにも人為的な不快感を滲ませている。

つまり、1,2は、ウンコやおしっこは元来クサいもんなんだから仕方ネエな…と、諦めたりもできるが、3はニンゲン、特にオトコの責任として捨て置けない感じがする。

そして、さらに激しく注目しなければならないのは、3の回答に、「男女兼用便器で小用した際のハネやタレ…」ということが付記されていた点だ。

このように捉えていくと、やはり女子が圧倒的に不利な立場になることは明白だ。』

「オトコはんも、座ってオシッコしまひょ~」という、京都のはんなりお姉さんの声も当然と言える。

実は、ボクは家ではそうしている。四人家族で、ボクだけがオトコであり、我が家のトイレの在り方は、女性用化粧室的ポジションにあるからだ。

しかし、座ってオシッコをするというのは、オトコにとってかなり面倒な行為でもある。

そして、オトコとしては古の時代からの正しい小便の仕方として、女性である母親からも教え込まれてきた「立って小便をする」という行為を捨てきれないのも確かだ。

今更、しゃがんで、いや座ってやれと言われてもなあ……なのだ。

そして、このことが浸透していく過程には、さまざまな懸念も生まれてきている。

再び、「ヒトビト」3号に戻る………

『 オトコにとっては、大便と同じスタイルでいることは、その時トイレへ来た本来の目的を曖昧化させ、小便をしに来ただけだったはずなのに、ついつい大便もしてしまったという行為に結び付く要因になるかも知れない。』のだ。

質実剛健を誇るオトコたちにとっては、その優柔不断さは許せないことだろう。

そして、危惧されはじめたのは、なんといっても「オトコの女性化」だ……と思っている。

最近テレビを見ていて、いわゆるオカマの世界が少し変化しているなと思い始めている人は多いだろう。

たとえば、Mツコ・Dラックスとか、Hるな愛とかは、かなりオトコのエキスを残したままオカマになってしまったような気がする。

かつては、Y咲Tオル(漫画家のオカマ)みたいに、ただ可愛い子ぶって、女(の子)になり切ろうとする気持ち悪いだけのオカマもいたが、最近のあの手の人たちは、やはり完璧なオトコであることを隠さない。いや隠せない。

つまり、彼らはいつの間にかあの手の、あのようなエキスを吸ってしまい、そのことに気がつかないまま、あの手の、あのような世界へと流されていったのではないだろうか?

本質的にかなりオトコっぽかった彼らが、その風貌や言動を変化させないまま、あの手の、あのような世界に染まっていった事実をどう捉えるか?

ここで、ヒトビト的モロモロ研究会としては、大いなる仮説を立てるのである。

彼らの誕生と、男女兼用トイレにおける、男子座り込み小用の問題とはどこかで結び付いているのではないか・・・・と。

つまり、座って小便をするようになって、何となく自分がオトコではなくなっていくような、そんな錯覚に陥るオトコっぽいオトコたちが増えているのでは………と。

彼(彼女?)らは、オトコっぽい要素をたくさん持っていたがために、トイレから出てくる際、いつの間にか自分が内股で歩いていたことにも気が付かなかったのかも知れない。

ボクを含めた多くのオトコたちは、そのことにある日ふと気が付き、女性化から逃れることが出来たのだ。

しかし、女性化はなかなか歯止めがきかない勢いを感じさせている。

果たして、オトコにも、トイレ完全座り込み時代がやってくるのだろうか?

たしかに、兼用トイレにおける臭いの男女不平等は明白である。オトコとしては、女性たちのために、しっかりと便器の淵にケツを押し付け、しっかりと放尿して、終わったら、さっさと流してしまうのがベターなのかも知れない。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?

これは、少子化問題にも関連していく大きな要因となる可能性をもっている。なにしろ「オトコ」が少なくなるわけだ。

また逆に、最近の「できちゃった婚」傾向は、ひょっとすると優柔不断なオトコの子たちの出現がもたらしている現象なのかも知れない。

まだまだ先は不透明だが、日本の将来と、男女兼用トイレのあり方その他について、モロモロ研究会はさらに深く考えていく。いや、いこうと思っている。いや、その、いくかも知れない……。とりあえず、そういうことなのであった………

 

※この文章は、私的エネルギー追求誌『ヒトビト』第3号で書き下ろしたものに、最近の新たな研究を付け足し、なるべくこき下ろされないようにと、ゆるやかに加筆したものであります。

 

自説“年の瀬”について

 

 静岡の三ケ日から、丹精込めて作られ、収穫されたばかりの新鮮なミカンが届いた。

あの甘さを味わうと、今年もそろそろなのであるなあ~としみじみ思ったりするのが毎年の恒例だ。

大学時代、クラブの同僚だったS水クンの実家から送っていただいているものだが、初めて送っていただいてからもう三十年ほどが過ぎた。

ボクには幸運にも三ケ日のミカンとともに、甲州勝沼の葡萄農家(本業は公務員)の同僚もいて、秋口にはその幸にも恵まれていたりする。持つべきものはいい友人なのだ…

 

ところで、年が押し迫った時期のことを“年の瀬(セ)”と呼んだりするが、その決まり事でいくと、今頃は“年の砂(サ)”にあたるということを知っているだろうか。

そんな話聞いたことないという人のために説明しよう。

昔の人は、十二月はその年の最後の月であるから、できるだけ細分化して時間を有効に使おうと考えた。

昔と言うのははっきりしてないが、たぶん江戸中期から後期にかけてで、どちらかと言うと後期が正しいのではないかとボクは思っている。

で、その昔の人たちが考えたのが、十二月を五分割にしようということだった。

つまり、そうすることによって、その年の締めくくりや、新しい年を迎えるための準備がきっちりできるであろうと考えたのである。

そこで考案したのが、“あいうえお”の応用。つまり五つの文字で分割した期間の呼び方を決めようとしたのだ。

ただ、すんなりと決まらなかったのは言うまでもない。

“年の…(なんとか)”にしようというまではよかったが、“アカサタナハマヤラワ”の中からどれにするかだった。

さらに、特に力の入る十二月の下旬に入っていくあたりを軸にして、しっかり決めようということになっていて、四番目(「え」の列)に出てくる言葉の響きを大事にしようということにした。

最初はやはり元になるア行でどうかと考えた。が、“年のエ”では締まらない。

次にカ行で考えてみたが、“年のケ”でボツ。サ行は飛ばして、続いてタ行も今ひとつ。ナ行も“年のネ”ではね~と、甘ったるいとされた。

ハ行に至っては、“年のヘ”で問題外。

マ行はそれなりに頑張ったが、やはり“年のメ”は弱かった。ヤ行には四番目はなかったし、ラ行は“年のレ”でどうも日本語的でないとされ、ワ行は初めから相手にしてもらえなかった。

そんなわけで十二月は、残ったサ行を用いて分割されることになったのだ。

その後、漢字をあてていき、“セ”を“瀬”にしたあたりなど、昔の人たちの粋な風流心に敬服せざるを得ない。

年末に向けて、時が沢の瀬のように流れていく様子を当てたのだろうが、見事である。

ところで、現代では、“年のセ”つまり“年の瀬”だけが残って使われているが、もちろん当時は、“年のサ”から“年のソ”までがあったのだろう。ただ、どういう漢字が当てられていたのかは分かっていない。

自分なりに想像してみると、年の砂(サ)・年の思(シ)・年の守(ス)・年の瀬(セ)・年の甦(ソ)あたりでなかったろうかと思ったりする。

砂のように揺れた年を思い、今年にかけた信念を守り続けてきたかを自問し、瀬のごとく流れ去っていく時の中で、見失いそうになる自分自身をもう一度甦らせようとする……

やはり、サ行はなかなかいい感じなのだ。

 

今年の十二月、つまりこの師走はすーっと音もなくやってきたという感じがしている。このまま音もなく今年が終わり、新しい年が来るのかというと、決してそんなことはないだろうが、この十二月への入り方は、どうも胡散臭い。

今この文章を書いているのが十二月のアタマ。その胡散臭さを示唆するかのように、十二月には仕事の予定がどっさりと組み込まれた。

なぜこんな時期にと、あちこち飛び回ることにもなっている。何とか“年の甦”まで生き延びねば……

梅雨明けは、なぜ宣言されなくなったか?

真夏の青空と雲

  どんよりとした空のねずみ色とぴったりマッチする湿気。降り続く雨が描く数えきれない縦の直線。雨粒を受けるあじさいや新緑の葉っぱの絶妙な輝き。廂からぽたりぽたりと落ちてくる雨のしずく。やたらと立派に見える他人の雨傘など、この季節は多感にさせるものであふれている。

 今書くのは、“梅雨明け宣言は、なぜ消えてしまったのか?”に関する自己整理である。自己整理がどういうことを意味するのかは、至って簡単だ。今までいろいろと語ってきたことを、活字でしっかりと残し、自分自身の疑問、そして世の多くの人たちの疑問に少しでもお答えしようということだ。

 これは、ボクのことを少しでも知っている人には、待ちに待った真説の登場ということになろう。

 かつて、何となく耳にしてきたこの話の顛末…、それは今から二十年ほども前の、もちろん季節は梅雨どきだったが、もう晴天の日が二日ほど過ぎたにもかかわらず、いまだ梅雨が明けたというニュースが流れてこないという、そんなある日の夕暮れ時であった。

 ボクは香林坊日銀ウラで、今は亡き奥井進大先生に向かって語っていた……

 ある年の梅雨明け間近、ある地方の気象台の一室で、「もう雨も上がってきたし、太陽もギンギラギンにさり気なくなってきたから、今年は派手にやりましょか?」「うん、そうやな。明日準備して明後日あたり一発カマシたろか……」といった会話が囁かれていた。

 ある年とはいつをさすのか? それはわからない。ボクの推測では昭和三十三年あたりでないだろうかと思う。なにしろ長嶋茂雄が立教大学から読売巨人軍に入団し、世の中は長嶋のあの溌剌としたプレイ、今風に言えばパフォーマンスに酔っていた。日本中が元気になっていった頃だ。

 話は若干寄り道するが、この辺りの話は、作家で詩人のねじめ正一氏が詳しい。かつて氏をトークショーに呼んだ際、氏はいきなり長嶋茂雄の話を切り出した。長嶋茂雄の職業はプロ野球選手ではない。長嶋茂雄の職業は“長嶋茂雄だ!”と氏は言われた。ちょっと意味不明にも聞き取れるが、ボクにはその真意が分かった。氏はさらに、商店街はさつま揚げの味で決まるとも言われていたが、それについても大いに納得した。

 話を戻そう……

 ある年が昭和三十三年として、ある気象台とは、多分関西地区にある気象台だろうと推測する。こんなことは関西人らしい発想だ。そして、そんな時代背景を受けて、その気象台では、全国をアッと言わせようという企画をたてていたのだ。

 それは、気象台の玄関前に紅白幕を張り、タスキを付けた職員がお立ち台に立って、にわか音楽隊のファンファーレのあと、力強く梅雨明け宣言をするといったものだった。つまり、お立ち台から「梅雨明け、宣言!」とやるわけである。これには地域ごとに違った設定があり、音楽隊ではなく和太鼓だったという所もある。なぜ和太鼓なのかというと、人々の話題になるようにと、和太鼓と話題をかけたのだというわけだ。他愛ないおやじギャグのようにも聞こえるが、そのけなげさを笑うわけにはいかない。

 そのようにして、実際多くの見物人の前で宣言が初めて実行されるや、見物人からは拍手喝采、一躍そのニュースは翌日の新聞に載り全国へと発信された。

 全国の気象台がそれを真似しようとしたのは言うまでもない。そして、当然のごとく我らが金沢気象台でもそれを行う準備が進められていた。全国初の梅雨明け宣言が実行されてから、それをやらないのは国益に反するとまで言われ、各地の気象台では、より容姿のいい職員、より声のいい職員を選んで宣言させた。

 宣言する職員は、いつの間にか「宣言人(せんげんにん)」と呼ばれるようになり、独身の宣言人などには多くの女性ファンがついた。中にはそれが縁で結婚までしてしまったカップルもいたという。世間では、こういうカップルのことを「梅雨明けカップル」と呼び、“ジメジメしない、さわやかな関係”などと褒めたたえた。

 特に全国に名を知らしめたのは、京都気象台のある宣言人だったといわれている。彼は平安貴族風の衣装でお立ち台に立ち、雅楽の奏でられる中で、華麗に蹴鞠(けまり)を披露した後、その最後のキックで鞠を空中高く蹴り上げ、それが落ちてくるまでの間に、麗しい声で「梅雨明け、宣言!」と叫んだという。そして、体をクルリと一回転させたあと、落ちてきた鞠を左の手のひらで優雅に受け止めたというのだ。見物の輪の中に居た若い女性たちが次々と失神し、病院に担ぎ込まれたのは言うまでもない。

 この華麗な宣言人の出現は、すでにとっくに梅雨が明けてしまっていた九州などの気象台職員たちに衝撃を与えた。中には、もう一度梅雨入りさせ、梅雨明け宣言をやらかそうとした気象台もあったという。しかし、一般市民の反対にあい、それはできなかった。やはり市民にとって梅雨は一日でも早く明けてほしいものだったのだ。

 そして、この梅雨明け宣言ブームはいよいよ北陸へと移ってくる。金沢でも明日あたりがその日だろうという噂が広まると、街中がそわそわし始め、気象台への問い合わせも殺到したという。

 ところが…、当時の金沢気象台には大きな問題があった。それはどう見ても宣言人に相応しい職員がいないということだった。悩んだ末に、気象台の責任者は、職員ではなく用務員をしていたある若者にその務めを任そうとした。職員ではなかったが、彼はまあまあの風貌をしており、背も高く、一見良さそうに思えた。

 責任者は秘かに若者を呼び、宣言人になることを告げた。驚いたのは若者だった。強く辞退した。「わし、そんなこと出来んわいね…」と。責任者はそれでもしつこく若者に説得を試みる。次第にやさしかった口調が命令調になり、最後は強制的に若者を納得させた。

 そして、梅雨明け宣言しようという当日。若者は半ばあきらめの心境のまま出勤し、いつものように庭の掃除などをすませた。職員たちが出勤する前、一度練習しようとして声を出してみたが、なかなかうまくいかない。もともと口ごもって話すような癖もあり、語尾をはっきり言えないのが致命的だった。そして、ついにその時が来る。

 舞台はできていた。新品で糊のきいた紅白幕がビシッバシッと張られていた。風はなく、太陽は容赦ないまでに燦々と照っていた。誰が見ても、もうカンペキに梅雨明けだった。若者は、別に宣言しなくても梅雨明けぐらい、この空を見れば分かるのにと思った。汗が吹き出てくる。その汗が冷や汗に変わっていく……

 若者が責任者から猫背の姿勢を注意されながら、お立ち台に立つ。しかし、正面を向いた瞬間に、すぐにまた猫背になっていた。そんなこととは関係なく、拍手が起こった。歓声も上がった。そしてすぐに訪れる静寂と緊張…。若者の猫背は、二度と元には戻れないかのように硬直して見えた。

 「梅雨、明け、せんげん……」

 か細く力のない声がした。どう考えても宣言というものではなかった。見物人たちからは、もっとしっかりやらんかいとか、女みたいな声出しとんなとか罵声が飛び交った。

 「梅雨明けェ…せんげん……」若者がもう一度言う。猫背は直らず、相変わらず、はっきりしない語尾。そして、悲劇は起きる。

 見物人たちは耳を疑った。「梅雨明けせんげん、やとォ…」口々に怒りをぶつける。「お前、何言うとるんや。こんないい天気なんに、梅雨明けせんてか!」

 「いえ、わし…、今、梅雨明け、せんげん…て、言ってんけど…」「だから、なんで梅雨明けせんがやて、おい、はっきり説明せえま!」「だから、わし、梅雨明けせんげんって、言うたがに…」

 若者はお立ち台から引きずり降ろされると、見物人たちに体を押され、そのまま紅白幕の方まで押し込まれていった。危険を感じた責任者が止めようとして手を伸ばす。その手がまずいことに見物人の一人の右側頭部に当たって、たまたま右側にいた全く関係のない見物人と小競り合いが始まった。小競り合いはまた小競り合いを呼び、さらにまた小競り合いを誘発し、ついに警察の出動に至る大騒動になったのである。

 このニュースは翌日すぐに全国へと発信される。“金沢で梅雨明け宣言失敗!”そして、“金沢では梅雨明け宣言は無理だったのか?”といった見出しが新聞紙上を賑わした。

 詳しくはこう書かれていた。

 “全国でブームをおこしてきた梅雨明け宣言が、金沢では通用しなかった。いや金沢では否定的にとらえられた。金沢気象台が、昨日午前十時三十二分頃に行おうとした梅雨明け宣言の会場で、職員が発した宣言に一部の見物人からおかしいという声が上がり、そのことが発端となって、その見物人たちが暴徒化。職員を追い詰めるなどしながら、さらに乱闘騒ぎをおこした。金沢中警察署から警官十人が出動し、騒ぎは三十分後に収まったが、数人が軽いケガをした……”

 “警察では、職員の発した梅雨明け宣言の、特に「宣言」の部分が不明瞭だったため、金沢の方言である○○せんげん(○○しないの意)と誤解されたことが騒動の原因と見ている。見物人たちの中の生粋の金沢人たちは、職員の発表を「梅雨明けしない」と解釈したらしい。また、金沢気象台では、この職員が正規の気象台職員ではなかったにも関わらず、所謂、宣言人として任命していたことも陳謝した。”

 このようにして、金沢の方言が梅雨明け宣言の全国的なブームに水をさし、この社会現象はすぐに消滅したのである。宣言人が容姿端麗で美声でなければならないという風潮を生んだことも、金沢の悲劇を生み、このようなことで気象台の権威を汚してはいけないという世論も高まった。

 今、梅雨が明ける時、どこでも宣言などしていないのに、なぜか「梅雨明け宣言」と言っているのには、こういった背景がある……という強い仮想的寓話だった。

 話はここでひとまず打ち切るが、久しぶりに延べ三時間を要する執筆となった……

 ※梅雨に関する前出エッセイ 『もうすぐ梅雨明けかな?の日に・・・』 http://htbt.jp/?p=416