金沢的広告景観雑記


寺島邸1L

1.サインにおける「金沢らしさ」

もう25年ほど前の話である。金沢市に歩行者用の本格的な観光サイン計画を提案し、さまざまなプロセスを経て実施が決まった。そして、サイン本体には指揮者の譜面台をモチーフにしたデザインが採用された。その後、そのデザインはどんどんとバリエーションを増していく。イメージが固定化されていき、特に決まり事ができたわけではないが、さらに広く応用、展開されるようになった。金沢らしい空間の一隅で、金沢のサインはどうあるのが好ましいか? ちょっと大袈裟だが、少なくとも、それに近い観点での思慮が生まれた。

その時には気が付いていなかったが、それは間違いなくサインにおける「金沢らしさ」を考える起点にもなっていた。

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金沢には、その歴史文化の匂いを軽視できない空気がある。そのことを踏まえていくと、金沢の観光サインにはそれなりの役割が課せられていることに直面する。そして、その最も端的な要素が、“控えめに”というニュアンスだったように思う。もちろん質感などに対する配慮は言うまでもなく、表示の基準づくりなどについても、地方都市としてはかなり先を行っていたのは間違いない。ただ、狭い路地や歴史空間などにおけるサインのポジションを考える時、そこにはやはり、シンプルであることの重要性が共通認識として存在していった。

元来、金沢にはデザインを議論する環境があった。多くのクリエイターたちは、自身のメッセージと表現手法に苦心しながら、そのことを楽しんでもいた。景観という言葉も使うことはなかったが、このようなことが原点になって、金沢らしい景観という課題を考えるようになっていったのだと思う。

2.低さのこだわり…兼六園周辺などにおける展開

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金沢の代名詞とも言える兼六園周辺ゾーンでは、“控えめに”の典型的な例を見ることができる。近年、金沢城公園や21世紀美術館、しいのき迎賓館などのスポットが人気を集め、さらに歴史博物館など古い施設の再生が計画される中、一帯は「文化の森」と称され整備が進められてきた。

大木が並び豊かな季節感を醸し出す森。用水と散策路。そして憩いの象徴となる広場。それらの中に美術館や博物館などが建つ。言わば、金沢文化を直接的間接的に感受できる場所である。サインも、県と市によって鋭意検討されてきたが、ここでのサインは、既存の継続使用は別として、基本的にすべてが色調や高さに条件を付けたものばかりである。

特にサインの高さについては、特有のこだわりが幅を利かせている。それは、景観を視野に確保するという、非常にシンプルな目的のためだ。

景観を視野に確保するということは、サインはそのための妨げにならない、つまり視界を遮らないということである。そして、それらの考え方をとおして到達したのが、傾斜型の表示面を持つ、高さを抑制したサインである。つまり“譜面台型”の応用であった。

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サインを見る人は、サインの前に立つが、視界は広がっている。周囲の景観や状況を把握しながら情報を得ている。何でもないことだが、素朴にそのことに向き合い、そのことに徹した。さらにここでは、北陸特有の積雪状況についても検討され、平均積雪量を考慮するなどして根拠を持たせている。

高さと言うより、“低さの維持”を基準に置いた考え方だった。サイン自体への積雪も、それ自体にひとつの景観美があると考えた。敢えて強調したわけではないが、表示面に雪が積もった場合でも、それを手で払うという仕草そのものに、金沢らしさがあるとまで考えた。

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このようなサインの考え方には、特に際立ったデザイン性は必要とされない。繰り返すが、前述のように出来るかぎりシンプルであろうとする。そういう意味で、グラフィックの精度は別にして、本体の製作上では特に問題が発生しないようにとも考慮されている。

金沢の街中を流れる無数の用水や庭園などを紹介するサインにも、この考え方は応用され、街歩きの観光客などに親しまれている。

3.元気の表現…片町商店街などにおける展開

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前述のように、金沢では特に文化的な匂いを醸し出すデザインが歓迎される。しかし、商業ゾーンでは、景観への認識をどのように捉えるかが課題であった。

筆者は、金沢市に景観行政のセクションが生まれてすぐ、その仕事に関わるようになったが、市担当者との意見(感覚?)の違いに何度も戸惑った。よくある認識の違いで、良い景観を創るのは大きさや面積や素材でなく良いデザインである……、そのような考えの説得に、多くのエネルギーを費やしていたように思う。実際、調査対象となった地域の住民や商業者などに事例を示すと、自分が予想していたとおりの答えが返ってくることが多かった。

しかし、筆者の考えも決して深かったとは言えない。良いデザインという意味を説明しきれないでいたのも事実だった。景観の仕事はそれほど甘くはなかった。ただ、金沢市は粛々と景観行政を前進させてきている。時折、首を傾げざるを得ない時もあるが、長い歳月を経て、商業サイン環境をもしっかりと「金沢的」にまとめつつあると思う。

ところで、金沢の中心、北陸一の繁華街と言われる片町エリアでは、再開発事業が決まった。新幹線がやって来る都市らしく、その動きにますます加速がついている。それに先立ち、片町商店街では既存アーケードのサイン約100台をLED化し、両面発光の薄型でスマートなものに統一した。夜間は、お店や、商店街が金沢のPRのために掲載した、金沢市のキャッチコピー「いいね金沢」のロゴが浮かび上がっている。(※この一連のサインは、いしかわ広告景観賞・知事賞を受賞)

また、6月のはじめ、同じ片町にコカ・コーラの新しい広告サインが披露された。これも、金沢における広告景観の在り方に、ひとつのヒントを示唆するものとなっている。

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これまでにも議論されてきた「活性化と景観づくり」という、一見相反する繁華街での広告物のデザインに可能性を示したと言える。

ブランド力に負うところはもちろん大きいが、それゆえに誰もがイメージするビジュアルをシンプルにアレンジした広告サインは、大人の手法として評価されるべきだと思う。金沢という厳しい景観環境の中で、大らかにイメージを発信している。また、金沢最大のイベント「金沢百万石まつり」とスケジュールを合わせ、地元片町商店街のイベントの中でお披露目式を開催するなども、広告サインが街や地域と一体化し、歓迎される術を示した絶妙のアイデアであった。

もちろん、そのセレモニーを受け入れた地元も見事というしかない。

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その他の商店街で見られるサインにおいても、すでに整備イメージが定着する中、独自に個性的な展開を図ろうという動きが進んでいる。商店街関係者たちの意識は非常に高いレベルにあると言っていい。だからこそ、金沢の商業サイン環境は進んでいるのだ。

4.自発力の再生…新竪町周辺における展開

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片町から若者の街として人気の竪町を抜け、さらに進むと、今静かに注目を集める「新竪町通り」がある。多分何も知らずに入り口に立った人は、ただの寂れゆく、もしくはすでに寂れてしまった商店街としか見ないだろう。今は三丁目しかないという妙にドラマチックな?町だが、ここもまた若者たちの町である。

ただ、竪町と大きく違うのはその気配。竪町がよりトレンド系だとすると、新竪町は“我が道をゆく”系。気負わず自分たちのペースを守っている町なのである。もともと骨董品店などが多くあった通りだが、最近は古い店をアレンジした個性的な商品(作品)を売る店や、ユニークな飲食店ができ、訪れる人たちも個性派が多い。

金沢を普通にイメージした「古い町並み」ではないが、その町並みの中に、隠れた新しさみたいなものを感じさせる。店のファサードやウインドーなどを見ているだけでも楽しめる。金沢には美大をはじめとして、多くの大学があるということを思い浮かべさせてくれる。伝統工芸も、芸能も盛んなのであったと、何となく気付かせてもくれる。こういった通りが生まれ、息づいていくということが、金沢に特有のエネルギーが存在している証なのかも知れない。

54新竪ウインドー

 

 

 

 

 

筆者にも、たまに出かける店があるが、その店をやっている夫婦は、二人とも金沢美大の卒業生だ。しかも、二人とも県外から美大に入り、卒業後も金沢にそのまま住みついている。そういう人間たちの集まりだから、町は思慮深く、サインも実にシンプルに、さり気なく気取らず、さらに自分たち自身と、お店と、通りの雰囲気に溶け込んでいる。もちろん主張もしながら。

古くなった商店街のアーチも、新調される話が進行中らしい。ちなみに、新しいロゴもアーチ自体のデザインも、美大卒の女性クリエイターが担当している。筆者は、こういうパワーのことを“自発力”と呼んでいるが、“自発力”をもった町がいい文化を創り出していく。

かつて金沢には、ジャズや演劇やアートその他ユニークなこだわり人間たちが集う店があった。新竪町にはそんなポテンシャルがあるような気がする。歴史文化の気骨を武器にする金沢にあって、この町は欠かせない存在になっていくだろう。

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5.金沢の金沢による金沢のための表現

3年前、建築家たちが主催するフォーラムで、『トークセッション~「私たちが描く金澤とKANAZAWA」』のコーディネイターをさせていただいた。金沢で活躍する若手(一部古手もいたが)気鋭の、建築家、広告プランナー、映像プロデューサー、コミュニケーション・デザイナー、コピーライター等々に声をかけ、それぞれの立場から金沢の表現手法について語ってもらう企画を立てた。

我々の世界では、金沢が、「金澤」にも、「かなざわ」にも、「カナザワ」にもなる。また「KANAZAWA」になることもある。つまり、金沢はいろいろな顔をもつようになってきている。そのことを考えようとした。そして、セッションをとおして、それぞれが素晴らしい才能とアイデアをもち、日常の仕事の中でそのことを活かしているという頼もしさを感じた。以前、主催者の代表に筆者はこう語っていた。

「街の要素の中で視覚的な部分での建築家の責任が最も大きい。なのに建築家の皆さんは、建築のことしか考えていないのでは? クリエイターの中で、いちばん知的水準が高いのは建築家なのだから、建築家は建築と同時に、街を考えるべきです。そのお手伝いを我々は十分にできますよ…」

酒の席での放言であったが、忘れられてはいなかった。その後、このセッションの成果が十分に活かされてきたわけではないが、景観というものを考えるについても、いかに多様な感性の関与が必要かを痛感する機会となった。

金沢には優秀なクリエイターたちが数多くいる。一般の市民の中にも、ユニークな感性の持ち主が盛り沢山だ。その感性を活用しない手はない。

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金沢と景観。歴史文化都市なのであるから、その関係は深く永遠に続くものである。新幹線による国内からの流入ばかりでなく、観光の国際化もますます進み、金沢の表現はさらに多様化していくことだろう。

我々が関わっていく広告というジャンルにも、その多様性が求められていくのは明白だ。そのことにいち早く着目し、金沢らしい表現の手法を広げていくことが大切である。

 

風景は普遍的な要素の上に面白味をもち、景観は成長していく過程に面白味をもつもの…と思う。そのバランスが大切である。そういうふうに考えていくと、金沢の課題は大きいものになる。両者が重要な役割のもとに共存しているからだ。

100年と言わず、10年後の金沢を想像するだけでも、それなりになかなかスリルがある。そのスリルを楽しみながら、もう少し金沢を見ていきたいと思う。

 

※この文章は、サイン専門誌「SIGNS 2013-Autumn」に寄稿したものの原文です。


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