紺屋坂を上りきると、兼六園と金沢城公園への入り口である石川門とで方向は左右に分かれる。
実際は左右という感覚ではないし、四方に道が伸びているといった感じだ。
その中の左に直角に曲がる道を歩いていくと、いくつかの店を過ぎたところに喫茶・Eがある。
タクシーが並び、公衆トイレも昔からあってよく利用させてもらったが、やはり喫茶・Eの存在の方が当然のように麗しい。
喫茶・Eには久方ぶりに入った。
クルマを止めておいた駐車場の方へ近道をしようと歩いていた時、前を通ったのだ。
ボクのアタマの中では、喫茶・Eは店じまいをしたというイメージがあった。
しかし、今は白く塗られた壁の中の窓から見える店内には明かりがつけられ、女性客二人が笑い合っている様子が見えた。
玄関には「珈琲」と書かれたアナログ看板も立てられてある。
なぜか少し躊躇しつつ、店に入った。
そして、さらになぜか「よろしいですか?」と声を発した。
すぐに眼鏡をかけた店の方が出てきてくれ、どうぞどうぞ……
お時間はありますか?と問われる。
コーヒーは豆を挽いてからなので、お急ぎの方はちょっと…ということなのだ。
こっちは少々時間がかかるぐらい問題ではなく、これから畑へ行って豆を採ってきますと言われると考えたかもしれないが、豆を挽く時間など惜しくはなかった。
外から見えた二人連れは、入れ違いに出て行った。
店はボクの独占状態になったが、コーヒーを注文してからしばらくすると、今度は観光客らしいミドルの五人組女性グループが入ってきた。
ちょっとウルサくなるなと思ったが、ちょっとどころではなく、かなりウルサくなった。
時間もたっぷりあるらしく、雑誌やらを広げて芸能界のどうでもいいようなニュースを話題にして盛り上がっていく。
わざわざ金沢でこんな話をと思うが、聞き流すことに専念する。
店に入ったところで、自分が来たのは四十年ぶりぐらいだということを店の方に告げた。
すると、やさしいまなざしの店のお母さんが、店はできてから五十年くらいになりますかねと答えてくれる。
ということは、開店後十年あたりからの数年間に何度となくお邪魔していたことになる。
読みかけの文庫本を取り出して読み始めるが、なかなか軌道に乗らない。
ようやく少し活字に目が慣れた頃になってコーヒーが来た。
横にはデザートみたいなものが… 手作りだそうだ。
店のお母さんの醸し出す雰囲気が、こうしたものを連想させるに十分だった。
コーヒーも美味い、いやこの場合は、「美味しい」だ。
記憶では、この店にいたのはいつも冬の寒い夜だったような気がする。
いや、思い違いかもしれない。なにしろ四十年ほど前の話だ。
外の階段を上って、二階の店内に多くいたような……
一階はいつもいっぱいで、にぎやか過ぎたような……
タバコを吸っていた。セブンスターという銘柄だった。
ZIPPOのライターを使い、使い終わった後の蓋の閉め方には一応こだわっていた。
当時、喫茶・Eにはどんな音楽が流れていただろうか?
クラシックだったような気もするし、そうでなかったような気もするが、記憶は完全に曖昧だ。
そして、ボクはここで活字を追っていた。
と言っても、神経質な読書家ではなかった。
その頃、ボクが読んでいたのは何だったか?
いろいろ濫読の時期だったから、具体的にはわからないが、この店の当時の雰囲気からすると、日本の近代文学ものを中心に気合十分で読んでいたに違いない。
いや、それも卒業し、紀行ものやさまざまなドキュメンタリーものを読んでいたかもしれない。
体育会系のブンガク及びジャズ・セーネンであったボクは、それなりに緊張感のある、それでいて趣味の世界などでは、それなりに楽しい日々を過ごしていたような気もする。
喫茶・Eでのことは、そんな日々の一部でしかない。
しかし、ある意味で、この店の中にいた自分の奥の方には、なぜか今から振り返っても深いものが潜んでいたのだと思う。
人生というと大げさだが、それなりに考えなければならないことがあった。
その答えを出せないまま、少しというか、かなり投げやり状態になっていた。
そのことが、いつも冬の夜だったという印象になっている感じもする。
少し青が色褪せ始めたセーシュンの日々であった………
そんなわけで、今回二階には上がれなかったが十分だった。
窓の外には、新緑の木の葉がいっぱいに生い茂り、少しだけ開けられた窓から入ってくる風が心地いい。
ウグイスの啼き声が聞こえたりもする。
それなりにとてもいい時間を過ごせた気がした。
今度はしっかりと活字を追うことにして店を出ると、うしろから、またどうぞの声。
春の日差しがまぶしかった………