hisashinakai
モノローグ……
中居ヒサシについて
本名 中居 寿
石川県内灘町生まれ~今も在住。
半世紀ほど前、東京で野球とジャズと本とその他モロモロにまみれ、アンバランスながらも愉快な大学生活を過ごした後、小さな業界新聞の会社に就職。しかし、その年の梅雨明けも間近になった頃、何かの拍子で退社。別な意味でのアンバランスな日々に戻る。
周囲に迷惑をかけつつ、約1年間アルバイト(塗装屋・土建屋・ピザ屋など)をしながら旅や本などで自分を磨き(?)、腹をくくり始めた翌春の終わり頃、金沢の広告会社に拾ってもらった。すると、幼少期から沁み込んでいた何かが蠢きはじめたのか、すぐにクリエーターとしての自覚症状を感じ始める。次から次へと企画仕事を膨らませていくうちに、自ら専門チームを立ち上げるまでになった。
田舎育ちで、どこにでもいるような野球少年でありながら、映画や音楽の世界などに詳しいませた少年であったこと。何事にもすぐに影響され、いつも自分に可能性を感じていったこと。中学生の時にある作文コンクールで最上位賞をもらったりして、文章を書くことの楽しみも身に付いていたのかもしれない。10代半ばになると映画の原案を書いて応募したり、ジャズ評論もどきを書いたりしていた。
大学を出てすぐ、金沢のタウン誌に観光などに関するルポやエッセイを書かせてもらった(これはのちの仕事に役立った)。そして、短編小説などの創作モノにも手を染めるようになる。今から思えば、それらは非常に重要なことであった。
しかし、仕事として文章を書くという行為が続いていくと、文章に対する自分らしさの原点を忘れていく。山の世界へ入り込み紀行文を山岳雑誌に投稿していたが、それは小さな抵抗だったのかもしれない。
書くことをもっと身近に戻す────そう考えてプライベート誌づくりをはじめた。30代後半に入ろうという頃で、季刊で1回の発行に10万円ほどの──これも破格の値段だったが──製作費を使った。1冊500円、100人ほどの定期購読者がいたが8号でアウトに。カネもそうだが、活字の詰まった本文56ページを満たしていくのも大変だった。
そうこうしているうちに、会社の方はますます忙しくなり、自ら立ち上げたプランニングチームのチーフから離れ、あれよあれよという間にトップに。
2021年暮れ退職。
今は、自由時間の中に私的エネルギーを折り込みながら、アンバランスにやっている。
石川県河北郡内灘町宮坂6-19-20 〒920-0264
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