自分について、ものろぐ。


自分記

本名 中居 寿  

石川県内灘町生まれ~今も在住。

半世紀ほど前、東京で野球とジャズと本とその他モロモロにまみれ、アンバランスながらも愉快な大学生活を過ごした後、小さな業界新聞の会社に就職。しかし、その年の梅雨明けも間近になった頃、何かの拍子で退社。別な意味でのアンバランスな日々に戻る。

周囲に迷惑をかけつつ、約1年間アルバイト(塗装屋・土建屋・ピザ屋など)をしながら旅や本などで自分を磨き(?)、腹をくくり始めた翌春の終わり頃、金沢の広告会社に拾ってもらった。すると、幼少期から沁み込んでいた何かが蠢きはじめたのか、すぐにクリエーターとしての自覚症状を感じ始める。次から次へと企画仕事を膨らませていくうちに、自ら専門チームを立ち上げるまでに。

田舎育ちでどこにでもいるような小学生だった。ただ、感化された映画や音楽(特に洋もの)や、それらから派生するさまざまな世界に興味を持つ〝ませた子供〟であり、何にでもすぐに影響されいつも自分に可能性を感じていた。小学校の夏休みの宿題で、地元の海へ母と潮干狩りに行ったという創作の絵を提出した。その絵を見た先生から「この辺の海じゃ、潮干狩りなんかできんやろ」と言われたが、そんな頃からクリエーティブだったと思う。中学生の時にある作文コンクールで最上位賞をもらったりして、文章を書くことの秘かな楽しみも身に付けていた。10代半ばになると映画の原案を書いて応募したり、ジャズ評論もどきを書いていたり。

─────今でも思い出すが、そんな頃自分が最も成功しそうな職業(?)として考えていたのは、なんと音楽を創造すること。恥ずかしながら、音楽学校に入るために何が必要かなど真剣に調べていたことがある。それはジャズがやりたかったから。兄が当時流行っていたグループサウンズ系のバンドをやっていて、ギターやドラムなどはかなり身近にあり、14歳の時に18000円のマイギターを10回払いの月賦で買った。家のアルバイトで毎月2000円もらっていたのだ。しかし、そんな思いはいつの間にか消えていく。

大学を出てすぐ、金沢のタウン誌に観光などに関するルポやエッセイを書かせてもらったりした。これはのちの仕事に役立った。そして、短編小説などの創作モノにも手を染めるようになる。今から思えば、それらにまじめに取り組んでいかなかったことが悔やまれるのだが。

しかし、広告会社で仕事として文章を書く(もちろん楽しい執筆もあった)という行為が続いていくと、文章に対する自分らしさの原点にハタと気が付いた。大袈裟だが、やはりいつも考えていることや身の回りのおもしろい人や出来事、それと創作っぽいものなど、自分らしいことが書きたかった。山の世界へ入り込み山岳紀行を山岳雑誌に投稿していたが、それは小さな抵抗だったのかもしれない。

書くことをもっと身近に戻す────そう考えて季刊のプライベート誌づくりをはじめた。最初はB4二つ折り8ページの紙切れから。48号まで続いたが、これから相棒にしようと考えていた男が若くして亡くなり、そのショックで途絶えた。しかしその後、A5本文56ページの厚紙仕様になった雑誌として再生。表紙は奮発してカラーにした。1回の発行に10万円ほどの印刷製本費を使った。1冊500円、100人ほどの定期購読者がいたが、8号でついにチカラツキル───季刊と言っておきながら、最後は年2回の発行になっていた。カネもそうだが、活字の詰まった本文56ページを満たしていくのも大変だった。

しかし、愉しかった。仲間たちがいた。読んでくれ、内容について語ってくれる人たちがいた。

─────中略

そうこうしているうちに、会社の方はますます忙しくなり、自ら立ち上げたプランニングチームのチーフから離れ、あれよあれよという間に会社のトップに。

2021年暮れ退職。

今は、自由時間の中に私的エネルギーを折り込みながら、アンバランスにやっている。

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