ℕ…について


h.nakai  🖋

簡単に書くと、子供の頃は純田舎育ちのくせに多感。よくある齢の離れた兄たちの影響やその他モロモロがあって、たとえば洋画を主に映画やポピュラー音楽などにやたらと詳しかったり……

東京で野球とジャズと本とその他モロモロにまみれ、アンバランスながらも愉快な大学生活を過ごした後、小さな業界新聞社に就職。しかし、夏に入ろうかという頃何かの拍子で退社。周囲に多大な迷惑をかけつつ、約1年間バイトや旅などで時を費やした。腹をくくり始めていた翌年の春の終わり、金沢の広告系企業に拾っていただく。沁み込んでいた何かが幸いしてか、プランナーとして多くの事業に関わることに。自ら立ち上げたプランニングセンターの長、常務取締役を経て代表取締役。2020年の暮れに退職。

仕事上で大切にしてきたのは、「すべてはアイデアから始まる」「すべての答(結果)に物語(戦術)がある」など。クリエーター的な人材の育成をめざしながら、すべてにおいて、ニンゲンが会社の未来やブランドを決めるという考え方に行き着く。

現場時代は何でも屋的なプランナーであり、文字どおり仕事は多様性に富んでいた。こうした職種は、自分の持っているもの、できることをすべて仕事の上で活かしていくものと感じていた。ライター的なことや写真の撮影などは、そうした私的な流れから自然に成立していった。イベントなどでも企画運営からそのままナビゲーターまでやったり、ミュージアム施設の展示ムービー制作では、シナリオから演出まで自分でやったりした。今から思えばいろいろとユニークなオファーもあり、会社からちょっと足を踏み出してしまいそうなことも。いくつかから、独立すれば仕事が頼みやすくなると言われたりしたのはその頃。それなりに考えたが、結局会社を選んだ。

根っからの現場型思考~行動ありきのニンゲン。私的な活動でも執筆やイベント企画などを続け、20代の中頃から雑誌への投稿をはじめ、日常の中に自分自身を再確認しようというテーマで、「私的エネルギー追求誌・ヒトビト」という季刊誌を発行。身近にいるユニークなニンゲンを紹介していったが、仕事が過密化していく中、限界に達し8号で続行断念。その後、暇を見てなんとかコツコツと書いてきた小説『ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり』を自費で出版したりした。1973年7月1日に行われたマイルス・デイビスの金沢公演を振り返るイベント(2年がかり)を実行。30年前のメモリアルで、自主企画でやり遂げたもの。その他、金沢市民芸術村でのジャズ関係イベントなどもやらせていただいた。

当サイトの中で確認いただけるが、好きなモノゴトや関心事はこの場では書き尽くせない。自分なりのさまざまな視点があって、それらが合体した上に自分がある…とむずかしく考えているが、早い話がいつからか自分が何者なのか分からなくなってきた。だから、ひたすら書いているのだろうと思う………

※読んでいただきありがとうございます。プロフィールについては、これまで掲載していたオリジナルのものは凄まじいほどの長編でした。読み返していくと、自分でも嫌になってきたので書き直しましたが、どうもこういうページはむずかしく上手くまとまりません………