ℕ…について


中居ヒサシ  🖋

1954年生まれですから、かなりの齢であり、先はそれほど長いとは言えません。

簡単に書くと、子供の頃は純田舎育ちのくせに、それなりに物知りで多感。よくある齢の離れた兄たちの影響やその他モロモロがあって、小学校の頃から、たとえば洋画を主に映画や映画音楽、当然ポピュラー音楽などにやたらと詳しかったり……

東京で野球とジャズと本とその他モロモロにまみれ、アンバランスながらも愉快な大学生活を過ごした後、小さな業界新聞社に就職。しかし、いよいよ夏だなあという頃何かの拍子で退社。周囲に多大な迷惑をかけつつ、その後約1年間アルバイトや旅などで時を費やす…。腹をくくり始めていた翌年の春の終わり、金沢の広告系企業に拾っていただく。沁み込んでいた何かが幸いしてか、プランナーとして多くの事業に関わることに。自ら立ち上げたプランニングセンターの長、常務取締役を経て代表取締役。2020年の暮れに退職。

マジメな話をすると、仕事上で大切にしてきたのは、「すべてはアイデアから始まる」「すべての答(結果)に物語(戦術)がある」など。クリエーター的な人材の育成をめざしながら、すべてにおいて、ニンゲンが会社の未来やブランドを決めるという考え方に行き着きます。

現場時代はプランナーとして、文字どおり仕事は多様性に富んでいました。そして、こうした職種は、自分の持っているもの、できることをすべて仕事の上で活かしていくものと感じていました。ライター的なことや写真のことなどは、そうした私的な流れから自然に成立していったものでしょう。むずかしい研究レポート的なものを書いたり、広告コピーでアタマをひねったりとか…。イベントなどでも企画運営からそのままナビゲーターまでやったり、ミュージアム施設のムービー制作では、シナリオから演出まで自分でやったり…。今でも多くのものがカタチになって残っており、たまに見直したり読み直したりしては、嬉しくなったり恥ずかしくなったりしています。今から思えばいろいろとユニークなオファーもあり、会社からちょっと足を踏み出してしまいそうなこともありました。いくつかから、独立すれば仕事が頼みやすくなると言われたりしたのはそんな頃ですが、それなりに考えたのかどうかは分からないまま、結局会社に残った次第です。

現場型で思考・行動してきたニンゲンであることは間違いありません。私的な活動でも執筆やイベント企画などを続け、20代の中頃から雑誌への投稿をはじめ、日常の中に自分自身を再確認しようというテーマで、「私的エネルギー追求誌・ヒトビト」という季刊誌を発行。しかし、仕事が過密化していく中、限界に達し8号で続行断念。その後、暇を見てなんとかコツコツと書いてきた小説『ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり』を自費で出版しています。書くことについては、現在も長編、短編を続けていたり、このサイトでの雑文集などで忙しいです……。私的イベントでは、1973年7月1日に行われたマイルス・デイビスの金沢公演を振り返る事業(2年がかり)を自主企画。これは大変な作業でしたが、本番でのナビゲーターも自分でやって、当時のNHK金沢放送局や朝日新聞金沢支局などでは、番組出演や連載を書かせていただきました。その他、金沢市民芸術村でのジャズ関係イベントなどもやらせていただいたりしましたが、こうしたことが自分の立ち位置をより不明瞭にしていった要因だったのだなと今強く思っています。

好きなモノゴトや関心事は書き尽くせません。自分なりのさまざまな視点があって、それらが合体した上に自分がある…と、それなりに解釈してはいますが、早い話自分が何者(だったのか)なのか分からなくなってきているのです。だから、取り巻きの環境がどんどん変わっていく中でも、ひたすら書いていようとしているのだと思います………

※読んでいただきありがとうございます。こういうページについては、これまで掲載していたオリジナルのものは凄まじいほどの長編でした。読み返していくと、自分でも嫌になってきたので書き直しましたが、どうもこういうのはむずかしく上手くまとまりません………。サイトの中でお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

hisashi nakai