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✎ 雑多な想いやアイデアなどが浮遊する空間 

舎」

「ℕ舎(えぬしゃ)」とは、作業をする自室の呼び名です。ここ何年間の物置状態から脱却して、ようやくかつての雑想あるいは雑創の場に戻ったという感じです。

壁には朝日の差し込む四角い小さな窓が三つと、直角三角形のやや大きめの窓がひとつあります。三角屋根の北側の傾斜がそのまま目の前に壁を作っていて、ちょっと圧迫感はありますが、それもまた愉しんでいます。

晴れて空気が澄んだ日には、小さな窓から遠くに北アルプス北部あたりの山々が辛うじて見え、大きめの窓からは青い空と白い雲が見えたりします。もちろん晴れていればですが。山が見える(確認できる)のはボクがずっと山好きだったからです。そうでない人にはむずかしいかもしれません。ちなみにデスク板に向かい見えるのは、何度も通った薬師岳方面です。

居心地の良さはもちろん、いつも何か愉しいコトを考えようという気持ちにさせてくれる場所です。

世の中はネガティブな葛藤の日々。そんな中で、長く仕事の現場や私的な活動の中で活かしてきた自分というものを、もっと絞り出し、さらに緩く織りまぜていきたいと考えています。いや、そんな大袈裟な話でもありません。愉しみながら、何か新しいことを創造できたらと思っています……

「栞紐のない雑文集」

基本は〝文集〟です。それも無作為に書いている雑文集です。呼び名は「栞紐のない雑文集」栞紐(しおりひも)とは、多くの本についているあの紐のことです。手触りのよさはもちろん、いい読みものに出会った時に感じるこの細い紐の頼もしさに、本好きの人たちは支えられているのだと思います。そして、何と言ってもその名の響きでしょう。栞は「枝折」とも書きますが、山道の目印に木の枝を折っていたことからきているらしいのです。英語では「bookmark」、なんと味気ないことか。「栞紐」という言葉の美しさや奥深さもまた、その響きと共に沁みてきます。

では、そんな美しい響きを持つ栞紐がないとはどういうことか?です。

それは長い歳月をかけて書き溜めてきたものが、自分でも収拾のつかないほどになってきた…そんなことに因ります。だからこその雑文集なのですが、区切りなど見えなくなってきた、いや分からなくなってきた、いや区切ることそのものが面倒臭くなってきた…、そのようなことに過ぎません。それが本音であり、逆に言えば、これから先もさらに書き続けていくために、区切りをなくそうということにしたのです。

まさに独りよがりを絵に描いたような話です。ただ、おかげさまで長い間お付き合いいただいている方々がそれなりにいらっしゃいます。そんな方々には何らかのものが届いているのだと思っています。そのあたりを自分なりにいい方へと解釈し繋げていくことができればと思います。