自著


小説 「ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり

1960年代の中ごろ、日本海と河北潟に挟まれ金沢市に隣接する内灘という小さな町が舞台。その10数年前、朝鮮戦争勃発による米軍の砲弾試射場として、内灘の美しい砂浜が一時期住民から奪われるという事件があった。

「内灘闘争」と呼ばれ、反対する地元の人たちが繰り広げたドラマは、当時の日本の姿を象徴するものとして投影されていた。作家五木寛之氏も当時内灘を訪れており、初期の名作『内灘夫人』は、その名のとおり内灘闘争を背景に描いた青春ドラマとして有名である。

「ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり」は、平和な日常が普通になった内灘で、のびのび暮らす少年たちの、ある夏休みの物語。

10歳になり、少年期へ足を踏み入れた主人公ナツオは、夏休みの前半、毎日のように大好きな海へと出かけていた。そして、翌日から旧盆、今日で海水浴は終わりという日…。

憧れる二歳上のカツヒコと、ひょうきんで憎めない一歳上のミツオに置いてきぼりにされたナツオは、一人で海へと向かうことになる。

海へ行くには、砂丘にできた「ゴンゲン森」を通らなければならない。そこには「オーカミ」と呼ばれる亡霊が潜んでいるという言い伝えがあり、特に子供たちの間では、そのことが固く信じられていた。

その森の中をナツオは“決死の覚悟”で走った。

それはその土地の男子が、少年期に入った証を勝ち取るための通過点みたいなものでもあった。海からの帰り道、カツヒコがゴンゲン森の湧水を飲みに行こうと言い出す。三人は森の奥で水場を見つけ喉を潤す。しかしその夜、ミツオが激しい腹痛に襲われ……そして、そのことがきっかけでゴンゲン森の湧水についての怪しい噂が、流れ始めた。

夏休み最後の日に行われる、地区対抗のソフトボール大会。それに結集していかなければならない少年たちが、分裂していく。そんな中、ナツオに湧水にまつわる話を教えてくれたのは意外な人物だった……。ナツオにとって、すごい夏が終わっていく……。内灘闘争の残像がもたらしたかのような、悲しい別れも待っていた。

自由で、かつ悩み多き純粋少年たちの世界。仲間という意識の中には、上下の関係の意識もまた形成されていた。よいこともよくないことも、楽しいことも楽しくもないことも、何もかもがこの仲間という関係から生まれてくることに気付いていた。

かつてのゴンゲン森は、今はもうない。内灘の素朴だが美しい風景の中で生きていた、ときに面白くて、ときに怖かった大人たちもいなくなった。しかし、かつて少年たちが見上げていた青い空や入道雲はなくなっていない。陽光を受けて、輝きを放つ海も変わっていない。

宇宙には何か永遠になくならないものがある。空を見上げながらそんな思いを抱いていた少年たちのこころも、まだまだ生きている……

そんな気持ちになっていただけたら嬉しい……

読んでいただいた方々からの読後レポートです。

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