娘たちを再び送り出す


 今年の春のはじめと冬のはじめに、娘たち二人が結婚した。

 春のはじめは次女で、冬のはじめは長女だった。

 次女は京都の大学を出て、そのまま関西で就職し、大阪の人となった。長女も京都の大学を出たが、こちらに戻って就職し金沢の人になっている。

 同じ年に二人の娘を嫁に出すのは大変だったろうと言われるが、実感としてはそれほど大変だったと感じていない。

 そのわけの一つに、仕事のことできりきり舞いしていたということもあるが、それよりもなんとなくコトが過ぎていったという実感の方が強い。

 淋しさとかもそれほどではない。

 そう言うと必ず、やせ我慢して…などと突っ込みをかける人たちがいたが、これはかなりの本音だ。むしろ、これからの自分自身に残された時間の乏しさがより明白になり、強く感じるようになったことの方が切ない。

 それは時に強烈な焦燥感を伴って迫ってきたりもする。

 母親の方はお金のことも含め大変だったろうと思う。淋しさも大きかったはずだ。

 

 娘たちは二つ違いで、大学在学は二年重なった。

 二人のうち一人だけがいた時期も合わせれば六年京都と縁があったわけだ。いや、次女が卒業後も京都が赴任地だったことがあり、なんだかんだで京都は今も我が家にとって大切な街になっている。

 二人の娘を京都へ送り出すという父親の心境というのは、実に微妙だった。

 最初は特に京都にこだわっていたわけではない。

 しかし、長女が京都の大学に合格し、そこへ行かせてほしいと言ってきた時、こちらの気持ちとしてはほぼそれで固まっていたと言っていい。

 次女が受験でややもたついていた時も、京都で決めようと励ました。

 いろいろあったが、二人とも京都を楽しんだようだし、何よりも京都でたくさんの友人を得たことがよかったと思う。

 親としても、おかげで京都への旅を何回も重ね、一応名所的なところはほとんど足を運んだ。夏休みなどは、京都で観光した後、家族四人で家路につくという旅程が新鮮だった。  

 

 今から思えば、結婚する娘たちを送り出す時よりも、大学生活を始める京都へと娘たちを送り出す時の方が(正直)淋しかった。

 引っ越しは早朝にクルマで出発し、長女の時は、母親を残し独りだけ先に帰らなければならず、気持ちを抑えるのに苦労しながら夜の高速を飛ばしていた記憶がある。

 次女の時は、淋しさに涙する母親の横顔を心配しながらの帰路だった。多くの親たちが経験したことだろうが、どちらにしても、実に切ない時だった。 

 結婚はしたが、娘たちはいなくなったというわけではない。そして、自分もまだ生きていかなくてはならない。生きていくというよりも、自分らしくやっていきたいと思う。

 ……… この文章を走り書きしているボクの前で、若いカップルが実に楽しそうに語り合っている。

 特に女の子の方は、明るく爽やかに笑顔を振りまいている。バカでかい声でゲラゲラ笑っているのでなく上品である。

 だからどうなのだということではないが、日々に少しでも潤い…なのだろう。

 外では雪が舞いはじめた。なんだか、また切なくなってきて、危ないのである………


「娘たちを再び送り出す」への3件のフィードバック

  1. あけましておめでとうございます。

    いつも思いますがしみじみとしたいい文章をお書きになられるのですね。じっくりじっくり読ませていただきました。片手においしいワインが欲しいところです。

    失礼します。ご発展を祈っております。。。。

  2. 渡辺様、いつもありがとうございます。

    久しぶりに開いて、そう言えばと、正月のことを書いてそのままになっている小雑文があることを思い出しました。
    近いうちにアップさせていただきます。
    今年もよろしくお願いいたします。

  3. 雑文集、再会い。♬

    女の子っていいですね。
    転勤族の我が家では居住地で1年半頃から気持ちがソワソワしだし次は何処かしらと…。夫の単身先、長男の大学先、二男の就職先への引越し準備を殆ど1人でこなし何だかいつもバタバタしていました。
    子供達から高校卒業時「ありがとう」は多分無かったかなと。2人とも4回転校しているから子供なりに必死。大変だったけれど逞しく育ってくれました。
    結婚式で「これまで育ててくれて有り難う」が1番大きな「ありがとう」でしたね。

    今は1人でのんびりと過ごしています。私にもやっと小さな春が訪れた気がします。
    気持ちが落ち込んでる時に手を差し伸べてくれた同級生に心から感謝しています。
    「ありがとう」

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