言葉のチカラを知った


地震が来る前、「yom yom」の19号(隔月刊)を買い求め、恒例の就寝直前型読書を楽しもうと思っていた。

地震が来て、その楽しみは打ち消された。日常が戻らなくなった。多くの人がそうであったように、地震の情報に日常のすべてが支配されていき、大袈裟に言うと自分を見失うくらいに、被災地や被災された人たちのことが気になり始めた。

能登半島地震で、その酷(むご)さ、特にニンゲンの心の部分に及ぶ酷さを目の当たりにしてからだろうか、ボクは人一倍そのようなことが気になるようになっていた。例えば“可哀想”などというようなストレートな感情を通り越し、必要もないのに絶望を自分自身に重ね合わせ、自分の無力さや存在感の無さに極度の脱力感を覚えるようになった。

しかし、今回の地震(と津波と原発事故)で、また何かが変わったと思っている。ボクを変えてくれた直接の要因はラジオの存在だ。

本来こういう言い方は、情報入手の手段を失った被災者に当てはまるものだろう。まだまだ被災者の人たちにとって、ラジオは大きな心の支えであるに違いない。しかし、今回ラジオを聞いていて感じたのは、被災者ではない全国の人たちが、ラジオに向かって多くのメッセージを発信していることの凄さだった。そして、そのメッセージが被災者はもちろんのこと、全国の被災者を気遣う人たち自身にも大きな勇気を与えているということに、正直、驚いた。

言葉のチカラ……。物資も何も届けられない中でまずできること、それが言葉によるメッセージを送ることだ。そして、それを受けとった人が、それを送ってくれた人に感謝の気持ちを伝えるメッセージが、さらに多くの心を動かし、大きなサイクルになっていく。

ボクが素直に感動したのは、今、本当に多くの言葉が日本中を駆け巡っているという事実だ。しかも、ひとつのテーマで、ひとつの目的をもって綴られたメッセージが、日本の空を無数に飛び交っている。そして、それらが、すべて美しい言葉の数々で綴られているということだ。

人を思いやる言葉の美しさ……。それはどんなに優れた作家でも詩人でも及ばないチカラをもっている。

今ようやく、「yom yom」が読めるようになった。それも、ラジオの中で誰かが語っていたことがきっかけだった。ボクたちが出来ることは日常の中にある。しかし、その日常もいつ失うか分からない。だから、その自分自身の日常を大切にしていかなければならないのだと……


「言葉のチカラを知った」への1件のフィードバック

  1. 本当にそうですね。
    ラジオやテレビから伝えられるメッセージに、
    私も涙してます。
    何ができるかもそうですが、
    思い続けていることも大切なのだと思います・・・

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