森秀一さんと・・・


 

久しぶりのような感じで、森秀一さんと会った。一昨年の秋だったか、去年の冬だったかに某イベント会場で会って以来だ。だが、その間に電話で何度か話していたので、それほど久しぶりといった印象はなかった。一緒にいたのは映像プロデューサーのTさんで、昼飯を森さんと食べようということにしたのだ。

森さんとのことは時々書いてきたが、俗に言う長い付き合いである。今では“KAZUさん”という愛称が定着していて、しかも本業のインテリアプランナーよりも、ユニークな書道家さんとしての名声が高くなり、いろんなところで森さんの“字”が活躍している。ボクよりひとつ年上だが、ボクが知っている森さんは、昔からもうちょっと年上といった感じの兄貴分だった。

そして、何よりも、かつてボクが出していた私的エネルギー追求誌『ヒトビト』第2号でのインタビューで、森さんの少年時代からの話を書いたのが深い縁結びのきっかけとなった。

 今の森さんを知る上でも、『ヒトビト』での話は貴重なのだ。例えば、森さんはついこの前まで、小松の子供ミュージカル上演のためにTさんらとロンドンへ行っていたのだが、森さんらしく?得意の単独行動に出て地下鉄で迷い、なかなか戻れず皆に心配をかけたらしい。

このようなことは、インタビューの中の少年時代の思い出の中にも出てくる。小松の赤瀬という山里に育った秀一少年の、ちょっと好奇心旺盛な一面を知れば、ロンドンの地下鉄で迷うことぐらい、当たり前の真ん中のちょっと横ぐらいのことだと分かるだろう。

ボクは、十三年ほど前、その赤瀬に建てられた森さんの事務所(工房と言った方がいいかも知れない)で、裏の畑から差し込む陽の明かりや爽やかな風に和みながら、じっくりと森さんの話を聞いた。ただ、意外さと納得とが交互に押し寄せてくるような、奇妙な心境でいたことは今でもはっきりと覚えている。

それまでのボクの知っている森さんは、あざやかなイエローのジャケットに黒のハイネックのシャツ、そしてレイバンのサングラスをかけた、オシャレなインテリアデザイナーだった。都会派の商業施設やホテルの仕事をクールにこなしていた。

森さんが所属していた会社から独立した後、ボクは自分が参画していた博覧会の設計監理スタッフとして森さんを事務局に推薦する。それからボクと森さんとの新しい関係が生まれ、森さんの仕事へのスタンスなども少しずつ感じ取れるようになった。

しかし、その頃には、後に生まれ育った赤瀬の里に戻るなどということは全く予想も出来なかった。それは、ひょっとするとまだ森さんを理解し切れていなかったせいかも知れないが、それを差し引いても、森さんの赤瀬移転(動)は意外だったのだ。

十三年前の初夏、赤瀬に通じる山道をクルマで走りながら、ボクはまだまだ森さんとこの山里の風景を結びつけるものを見つけられないでいた。しかし、珪藻土(けいそうど)に被われた森さんの棲家を見た時、なぜかホッとし、思わず唸っていたのだ。

自然人・森秀一がいた。この場合の自然人は、アウトドアなどのネイチュア的ニュアンスではない。“自然にふるまえる人”という意味の自然人である。まだ完成されているとは思えなかったが、森さん自身が一生懸命にそれを目指しているように強く感じた。そのこと自体にも自然なスタンスが感じられた。

ボクは森さんが口にした、「スープが冷めない関係って、いいげんてねえ…」という言葉に何かを感じ、文章のタイトルを『スープの冷めない関係…』とした。それは、直接的には森さんの仕事場と、畑を挟んで向かい側にある実家との心地よい距離感を意味していた。

ご飯出来たよ…と呼ばれてから、畑を歩いて実家の食卓に向かう。いつでもその感覚の中でいられる安堵感のようなものが、仕事にもゆとりをもたらしてくれる。それが森さんの言う“スープが冷めない関係”の原点であり、日常も仕事関係もそのことを根底において相対していこうとしている…そういうふうにボクには伝わった。

 そして、森さんは、そのとおりに生きて(やって)いき、その“関係”というのをいつの間にか具現化していったのだ。ボクはちょうどいい時期に森さんと話し、森さんのことを書いたのだと思っている。あの時のことがまさに今の森さんを示唆する証(あかし)だったのだと思っている。

 だから、ボクは今の人たちのように“KAZUさん”とは呼ばない。昔のインテリア業界の人の中には、“KAZU”と呼ぶ人も多くいる。が、そうとも呼ば(べ)ない。

ボクは“森さん”と呼ぶ。ボクの知っている森さんは、旺盛な好奇心と自立心を持った少年時代の森さんであり、とことん体に沁み込ませた知識と感性によってクールにインテリアをプランする森さんであり、山里・赤瀬の空気を腹いっぱい吸い込んだ森さんだ。そして、今、縦横無尽に筆ペンを走らせながら、人の心を和ませる絵文字に自分を託している森さんでもある。

それらの何が欠けても、ボクにとっての森さんにはなりえない。

待ち合わせしたのは森さんのデザインした店だった。もう一時を過ぎているのにお客さんでいっぱいだ。

昼食をすませた後、ボクは森さんにまだ伝えていなかった『ゴンゲン森と……』の本を差し出した。すぐに森さんが、カバンの中から筆記用具がびっしり詰まった容器を取り出し、ボクにサインをと言う。

 森さん愛用の筆ペンは、素晴らしく書きやすかった。なめらかでかなり速乾性のものらしい。森さんもボクのためにすぐに何か書き始めている。森さんに書いてもらうのはこれで何枚目だろうかと思ったが、アタマの中で計算は出来なかった。

森さんとTさんがロンドンの思い出話で盛り上がっていた。ボクは森さんの得意のスケッチが詰まったクロッキー帳に見入っていたが、相変わらずシンプルで好きな絵だった・・・

ボクは、多分、今森さんの周辺にいる人たちとはちょっと違う視点を持って付き合いをさせてもらっている。それは「ヒトビト」のコンセプトでもある“意外性”が、森さんには顕在化しているからだ。森さんの変化、そしてその後の自然な成り行きが、ボクの中の森秀一というニンゲンを何となく独特な存在にしている。

ボクはある意味、森さんのように自分を変えれなかったことに後悔している。いやいや十分にN居はN居らしくやっているとも言われるが、自分の中ではそう思い切れていない。欲の深さもあってか、森さんのような変化もボクには重要なことだった。これから先、自分がどうなるのか、まだよくは分からないが、とにかく前を向いて行くことだけは間違いない。森さんと会って、そういう確信だけは十分に得たのである………


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