笹ヶ峰のスキートレッキング
一年ぶりの妙高・笹ヶ峰である。正確に言うと、一年と一日ぶりで笹ヶ峰に来ている。
朝は、それほどよい天気とは言えず、一時は雨が来るかも知れないと覚悟させられたが、その心配もなく、昼になった今は風はわずかにあるものの、陽も照って気持ちがいい。
ついさっき、リュックからノートと万年筆を取り出した。ノートは九十七年の夏に岐阜県清見村のオークビレッジで買ったもので、表装が木の板で出来ている。その時同じようなボールペンも買った。ペンはなくなってしまったが、ノートはずっと本棚に入れておいた。昨年の笹ヶ峰行きに久々に持ち出し、岩の上でペンを走らせた。その時が十年ぶりに開いたという具合で、ボクはずっとこのノートとはご無沙汰していたのだ。何となく、今年もこのノートをリュックに入れてきた。だから、この文章は笹ヶ峰での現地書き下ろしなのである・・・・・
八時半過ぎにスキーを履いた。去年とは少し違うコースを歩き、走り、滑って来た。今年はスキーの滑りがいい。ワックスを入念に塗ってきたというわけでもないのに、思っていた以上にスキーが前へと出る。笹ヶ峰グリーンハウスの建物や周辺の雪原を会場にして、クロスカントリースキーのセミナーが始まったばかりで、数十人の競技スキーヤーたちがコースを走っていた。ボクもそのコースに最初に入れさせてもらったが、そのせいでスキーが滑るのかも知れない。いきなり、百メートルはある直滑降となり、危うく少年スキーヤーたちの前で転ぶところだったのだ。
よく滑るスキーに乗ってコースを外れ、緩やかな雪の斜面に大木が並ぶ笹ヶ峰牧場の方へと移動。いつものように、“岩棚の清水”からの湧水が流れる沢の音が聞こえるようになり、沢に沿ってやさしい流れを見ながら緩い登りに入って行く。去年は岩棚の清水でスキーを外し下りてみたが、水中の草を押し流すかのように透明な水がたっぷりと流れていた。ボクとしては真夏に見たこの流れに最も感動したのだが、残雪期の流れも春の躍動みたいなものを感じさせてよかった。
少し登ったところで、岩棚の清水を見下ろしながら回り込むように横に進むと、牧場の上部に出る。一度牧場の最も下まで一気に滑り降りる。一気にと言っても、春の雪の上だ。軽快にとはいかず、時折雨水が川となって流れた雪面の溝に阻まれたりして、立ち止まらなければならない。
雪解け水や沢の水が注ぎ込む清水ヶ池まで来ると、ぽつんと釣り人が独り糸を垂らしていた。邪魔をしないようそのまま樹林帯の中へとスキーを進ませる。まだ開き切らない水芭蕉が、大小いくつかの水場で目についた。
今年はやはり雪が多い。途中の山道でも両脇の雪の多さは近年にないのではと感じた。そう言えば、去年昼飯を食った大岩も今年はまだ雪に埋まっていて、先端が少し見えているだけだった。
去年、その岩の上でボクはコンビニおにぎりの包装ビニールと格闘し、その苦闘の最中に、せっかく沸かしたお湯をカップヌードルに入れておきながら、カップごとひっくり返してしまうという失敗をしでかした。風が突然吹いて、手にしていたおにぎりの包装ビニールがめくり上がったのだ。
カップヌードルは半分ほどが辛うじて残り、何とか腹の中に入れることが出来たが、それ以上に笹ヶ峰の雪をカップヌードルのスープで汚してしまったことの方が虚しかった。そしてボクは、あれ以来というか、実は前々からだったが、コンビニおにぎりの包装に関する余計なお世話的外し方について、疑問を露わにしたのだった。
わざわざあんな面倒臭い外し方にしなくてもいいのではあるまいか…と、久しぶりに、そして真面目に、どうでもいいことを真剣に考えてしまった。海苔もあんなにパリパリしてなくてもいいのではないかとも思った。
立山山麓にあるコンビニ風の店では、その日の朝、店のお母さんが握ったというおにぎりが売られていた。でかくて、何よりもサランラップに巻いて置いてあった。食べる時はペロンとはがすだけだ。コンビニおにぎりにある順番①とか②とか③とかがない。①があるだけ。おにぎりは元来、おふくろ、またはお母さんの味とかが基本である。それにはパリパリ海苔など全く完璧に必要ない。そして、そのために考案されたのであろう、あの包装についても、特に意味を感じていないのである。あれを考案したニンゲンはさぞかし鼻高々だろうが……
そんなことを言っておきながら、今年もまたボクは昼用にとコンビニおにぎりを買ってきてしまった。鮭と昆布の二個で、おかずは家の冷蔵庫から持って来た魚肉ソーセージ一本だけにした。コンロも持たずに軽量化に踏み切ったのだ。コッヘルもないからリュックも小さめで済ました。ただひとつ、去年と変えたのは、リュックの隅っこに、なんとノンアルコールビールを入れてきたことだった。
これは今年の笹ヶ峰スキートレッキングにおける最重要研究テーマなのだ。山行におけるビールの重要性を強く訴え続けきた?ボクにとって、特に日帰り山行において、ノンアルコールがその満足度に近づけるかということが最大の関心事であった。
昼飯タイムに入る前、ボクは車道を越えた山の斜面に入っていた。スキーを脱ぎ、雪に埋もれて斜めになったままの木の幹に腰かけ、ぼんやりとそのことを考えていた。気になり始めると、ますます早めに味見したくてウズウズしてくる。目の前の樹林帯への陽の照り方も強く感じられるようになると、ボクはすぐにスキーを履き直した。そしてまた下って、車道を渡り牧場の雪原へと戻っていた。
少し滑り降りて、手頃な岩を見つけた。夏ならば、黒や茶色などの大きな牛たちが、ゴロンとしながら午後のひと時を過ごしている場所だ。日差しと木陰との明暗バランスも見事に調和していて、緑と空の青さ、雲の白さなど高原の夏の美しさを実感させてくれる。
ボクはすぐにリュックからノンアルコールを出し、雪の中に缶の三分の二ほどを埋め、そして指先でその缶を素早く回転させる。これは『伊東家の…』(テレビ番組)でやっていた裏ワザだ。これだと、温い缶でも五分もかけずに冷やすことが出来る。雪のある山では、ボクはよくこの手を使う。ノンアルコールはすぐに“かなりの状態”になった。早速、実験に入る・・・
結論から言えば、やはりノンアルコールは、ビールではなかった。当たり前と言えばそれまでだが、大きな期待をしてはいけないことを知った。ただ、口に入れた時の感触的にはビールに似たものがあり、後味さえ無頓着でいれば、それなりにウーロン茶を飲んでいるよりもはるかに満足度は高いことも知った。
それほど落胆するほどのこともなく、ボクは魚肉ソーセージを片手に缶に記されたノンアルコールの成分を眺めていた。アルコールが入っていないということは、即ち酔うこともないということなのだが、喉元を通り過ぎていく時に、もう少しビールらしい後味があればと思っていた。
ノンアルコールの一口目を仰ぐようにして飲んだ時だった。アタマの上まで来ていた太陽が目に入った。太陽の周りに円状の薄い虹の輪が出来ていた。
それからボクは、コンビニおにぎりを、去年の因縁も忘れ穏やかな気持ちで口にした。パリパリ海苔が一部崩れ、雪の上に飛散していったことが残念だったが、それでものどかな気分でいられた。ボクは成長していたのだ。
目の前にそびえる、地蔵山が朝よりも少しだけ鮮明さを増しているように見える。右手には、さらに高い焼山や火打山、後方には三田原山と妙高山。標高二千メートルを越す山々に囲まれたここ笹ヶ峰は、かつて湖の底だったらしい。ボクは今その場所で、山肌の残雪の上に漂う春の空気にのんびりと浸っている。東日本で大きな地震と津波が起き、多くの人たちが苦悩の日々を送っている。ボクはボク自身の中で、そのことについても思った……
……これからどうしようかと、時計を見る。一時少し前だ。この場所にいられる時間は約六時間。六時間を楽しむために、往復六時間をかけてやって来る。何とも贅沢な一年に一度の楽しみだ。と思いつつも、来年からはテント持参、または下の民宿かロッジでもいいから一泊にしようかとも考えている。
もういちど、下部まで下りて行ってみることにした。樹林帯をできるだけ深く探検してみたくなった。とにかく、時間がもったいないのだ………
※ノートに走り書きした文章に少しだけ加筆・・・・・
楽しそうですね。
テレマークスキーって、まじまじと見たことないですが、
写真で不思議な構造だということを知りました。
というか、意外と素朴なんですね。だから軽いのか。
ブーツも渋いです。登山靴かと思いました。
ノンアルコールビール、ボクも同感ですが、
コンビニおにぎりは便利じゃないですか?
でも、軽量化している中居さんは、
中居さんらしくないのではないかと思ったりもしていますが・・・
楽しいです。
楽しくて、嬉しくなってきて、凄く幸せな気分になれますね~。
オレのテレマークはね、もうかなり古いタイプになっているんで、
もう革のブーツなんか誰も履いていないみたいです。
実際、今回分かったんだけど、靴底はかなり傷んでいます。
そろそろ修理が必要です。
帰ってから、ミンクの油をしっとり塗りました。
今年はもう一回、近々に立山方面に行きたいと思っているし、
そのあと、しっかり直しておきたいとも思っています。
山にいると、自分のすべてがシンプルになっていくみたいで、
やはりやめられない。子供みたいだと自覚もあるし、
ずっと、続けていきたくなるのですね……