まみむMEMO・書きくけこ


note

 会社勤めになって、25年くらいはメモ帳として大学ノートを使ってきた。

 仕事柄、“メモ魔”的な部分が大きく、大学ノートは重宝した。

 それ以前は若気の至りで、カッコいい手帳型などを使っていたが、元来が公私混同の走り書き屋なので不相応だった。

 だいたい季節が二つ過ぎると一冊が終わる。

 ノートにはタイトルがあった。初期の頃は『モロモロ・ノート』としていた。

 その後、何気にペンを走らせていてあることに気付く。それは「memo書き」と記した直後のことだった。

 「メモ」は、「まみむ・メモ」につながり、「書き」は「書き・くけこ」につながるという、言葉遊びが好きな自分としては、かなり “うれしい法則?” の発見だった。

 こうして、ボクのノートは『まみむ~MEMO書き~くけこノート』という、歯切れは悪いが、その分ニタニタとしながら呼んでもらえる名前が付けられたのである。

 メモ用という域をはるかに超越したこのノートたちは、まさしく自分の分身になっていく。書いている内容も見境がなくなり、ほとんど人には見せられないことも多くなってきて、厳重なる機密ノートになっていった(…というほど大袈裟ではないが)。

 ところが、数年前からボクの好きだった大学ノートが店頭から消え始めた。

 形状としては似ていても、もう前のような分厚さがなくなっていた。ボクにとって、あの分厚さこそがノートの大切な要素だったから、薄っぺらな大学ノートには興味がなくなっていく。

 そして、ついに大学ノートの使用はやめにしたのだ。

 新しいノートは、かなり上品になった。結局走り書きしているだけの中身なのだが、上品すぎて、時々戸惑うこともある。

 メモの内容自体も少しずつ変わってきて、“ 感情 ”が入らなくなっている。そんなもん入れる必要もないだろうと言う御方もいらっしゃるかも知れないが、そんなこともなく、ボクとしては感情が入っていないメモには、何となく淋しさのようなものすら感じてしまうのだ。

 そんなわけで、分厚い大学ノートの再来に少しだけ期待しつつ、今はその上品なノートと素っ気ない付き合い方をしていくのである……


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