アジフライと、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」と


マイルス

 店名のわりにはそれほど入り口の戸が大きくないなあと思うある店で、夏メニューだという“アジフライ定食”を食べた。

 実は中学二年の夏頃から、にわかにアジフライ好きになり今日に至っている。

 今は亡き母が、突然アジフライを作るようになった。

 もともとが漁師の家だから、アジなどは簡単に手に入ったのかもしれないが、よく大皿に山のように盛られた小ぶりのアジフライが出てきたものである。

 中学三年の時、野球の試合中にケガをし二ヶ月ほど入院したことがあるが、その時、退院間近になって食欲も出てきた頃の母の差し入れはアジフライだった。

 それも大量に持ってきて、同室のご近所さんたちに配ったりしていた。

 大人になってからも、漁港のある町などで食堂に入ったりすると、アジフライ定食の存在が気になった。

 最近では金沢市内にある小さな大衆食堂と、ちょっと足を伸ばし、県境越えをしたあたりにある某所のアジフライ定食が特に好きだ。

 それで、店名のわりには入り口の戸がそれほど大きくないある店のアジフライなのだが、これもまたそれなりにいい感じだなと思った。おしゃれなアジフライだった。

 ソースがユニークで、洋風と和風の二種類が楽しめるようになっている。

 最初は洋風で食べ始めたが、途中から和風に切り替えると、その新鮮な食感に納得した。夏メニューの意味が理解できた。

 早い話が見た目は大根おろしなのだ。が、味は大根なます。つまり醤油ではなく酢が味の決め手になっている感じだ。

 それをアジフライの上にふわりと乗せて、オオ~ッと、といった具合に口に運ぶ。

 この場合のオオ~ッとは、こぼしちゃいけないという意味で出てくる感じである。

 ただひとつ残念だったことがあった。それは開きのフライでなかったことだ。

 やはりアジフライは、大らかに開かれたシンメトリー的形状のもので、箸にあのふっくら感が伝わってくるものが自分にとっては基本になっている。

 というわけで、待つこと数分で夏のアジフライ定食が届けられた。

 開きでないことでの違和感は拭い去れないが、二種類のソースに興味が移る。

 健康のためにと最近家人からも言われているので、まず“野菜の先食い”からだ。

 そして、ひと切れ目のアジフライを先程の要領で…… 味には十分満足。

 そして、食べ終えた時のことだ。

 店内に流れるBGMが聴覚をじわりと刺激した。一応味覚の後でよかったとも言える。

 やや聴きづらいながらも、懐かしきそのサウンドは鼓膜を震わせカンペキに脳まで伝わってくる。

 マイルスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」だ。

 最近はどこでもジャズブームで、ジャズを流さないと世間体が悪いのだろうか。

 それはいいとして、あのミュートソロを聴覚で意識しながら、一方で大根なますを乗せたアジフライを、味覚の方でエンジョイする。これはなかなかむずかしい。

 しかも、ほとんど覚えてしまっているメロディラインだから、どんどん先走って脳ミソがソロでハミングしていく。

 気が付くと、アジフライは知らぬ間に(?)二切れ減っていた。

 気を取り直して、最後の一切れに集中したが、やはりうまくいっていない。

 それに、あのクールで研ぎ澄まされたマイルスのミュートソロが終わって、豪放なコルトレーンのテナーに移るあたりで、またしても脳が活性化した。

 そう言えば、マイルスのぐっと抑えたソロのあと、あのアンサンブルはないわナア~と、かつて周辺の偏屈ジャズ通たちは語っていたのだ。そのことが俄かに蘇ってくる。

 マイルスからコルトレーンへのソロの繋ぎ。曲はモンクの名作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」。

 レッド・ガーランドのピアノがシンプルに響いたあと、ここであのチャッ、チャッ、チャー、チャッ、チャッはなア~なのだ。

 それほどまでに、想定内の、さらにその中心に近いあたりの平凡な展開で、時間がなかったのか、あまり考慮のあとを感じさせない編曲であった……

 そのあたりのところ、もしレコードやCDのない方は、香林坊・ヨークや、尾山町・穆然、柿木畠・もっきりや、さらに湯涌ゲストハウス・自炊部あたりで確かめてもらえればいい。

 ただ、モダンジャズが誕生して15年ほど、これからジャズが一気に音楽性を高めていく時代の歴史的転換期を示す演奏と知れば、それも納得できる。

 演奏は聞けるが、湯涌ゲストハウス・自炊部はもちろん、その他の店にもアジフライがないことは了解しておこう……

 話は戻る。コルトレーンのソロが始まると少し解放感に浸れて、気分的にも肉体的にも楽になったような気がしてきた。

 しかし、せっかくのアジフライが十分に堪能できないまま胃の中へと行ってしまったことで、やや消化不良の感。

 この場合、もしアジフライが開き状態で来ていたら、様子は変わったかも知れないなと振り返る。

 明確にアジフライを意識させ、箸でコロモと身を裂きながらという本来の食べ方の習性が活かされていれば、もう少し集中できたに違いないのだ。

 それに開きの場合には、骨に注意するなどのことも求められるし、集中力はさらに増す。

 気が付くと、またマイルスのソロに戻って、そして静かにゆっくりと演奏は消えていった。

 残されたわずかな味噌汁とお新香と、それにひと掻きほどのご飯をランダムにいただいて、夏のアジフライ定食は終了した。

 ただ、出だしに感じたあの爽やかな夏の風味は忘れていなかった。

 あとから近くに座ったご婦人たちの一人も、夏のアジフライ定食を注文している。

 しっかりと気をそらさないように食べなくちゃダメですよと、余計なお世話的に思う。

 自分ももう一回来てみようと思った。

 レジを済ませて外へと出た。体中を包み込む夏の熱気が凄まじい。

 もう、店の戸の大きさのことは忘れていた………

 

 


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