hisashinakai
18年ぶり父娘山行の反省
還暦山行…… どこかでこんな言葉を聞いたことがあると思ったのは、その山行から帰って三日後だ。
行く前は、そんなことなど考えてもいなかった。
しかし、久しぶりの山行でズタズタになって下山してきたことを思った時、自分の年齢を考えた。
そして気が付いた時には、自分が60歳であり、一般的に還暦であって、そんな自分が登山をするのであるから、これはもう還暦山行で間違いないと思うしかなかったのだ。
何だかいきなり初老の無気力オトッツァンの書く文章みたいになってしまったが、とにかく、そういうところから話を始めるしかない……
今から18年前の夏休み、翌日9歳の誕生日を迎えるという長女を連れ、北アルプス薬師岳へとつながる登山口・折立にボクはいた。
未明に石川県内灘の自宅を出て、一気に折立まで来ていた。
幼い頃からとにかく足が強かった長女は、まだ幼稚園に入る前に夏のスキー場の斜面を一気に登って行ったり、一輪車なども自由に乗りこなした。
小1の時には長距離走で2位に入るなど、そのパワーの凄さを見せつけていた。
山へ連れて行きたいという思いも、すでに早いうちから持っていた。
どうして9歳になろうという時にしたのかというと、その年の誕生日が月曜日で、日月で登山ができるめぐり合わせだったからだ。
ボクは月曜日を休みにし、少しでも小屋の混み具合が緩むと思われる日曜日に小屋泊まりの予約をした。
その頃、すでに薬師岳登山のベースとなる太郎平小屋の五十嶋博文マスターと親しくさせていただいており、それがあって気持ち的には楽だったのだ。
日帰り用の小さなリュックを背負った長女は、ボクの想像したとおり、全く弱音を吐かないまま黙々と最初の樹林帯を登った。
飴を持たせていて、自分でそれを取り出しては口にし、いつも口をモグモグさせながら歩いていた。
「アラレちゃん」の看板が目印となっている最初の休憩場所でも、長女は疲れた表情ひとつ見せず、カメラを向けると照れ臭そうに笑った。
樹林帯を抜けて太郎小屋までの登山道は、長女にとって単調なだけだったかも知れない。
ボクは気が付かなかったが、やはりまだ美しい山岳風景に感激するといった感じではなかったのだろう。
石が敷かれた登山道の、その石を囲うためにある角材の上を長女は楽しいのかどうなのか、こちらには分からないまま歩いていた。
石の上を歩いたほうがいいよと言っても、こっちの方が歩きやすいと長女は答えた。
左手には、明日登る薬師岳の美しい稜線が見えている。
天気は全く心配なかった。
太郎小屋に着くと、マスターが「おお、来たか」といつもの笑顔で迎えてくれた。
ボクたちは二階の山岳警備隊の向かい側にある個室にお世話になった。
ボクも初めて使わせてもらう部屋で、二人で使うには勿体くらいの広さだった。
日曜ではあっても、やはり夏休みだ。
夕食が数回に分けられるなど、混み具合はさすがだ。
マスターから夕食はスタッフと一緒にと言われていたので、長女は少し腹を減らしていたみたいだったが、ボクたちは客の食事が終わるのを待った。
山の夕食時間は早い。バイトさんに呼ばれて一階の食堂へと向かう。
奥の窓際のテーブルに皆が勢ぞろいしている。
正直言って、夕食は何を食べたのか、ビール以外は覚えていない。
長女はカンペキに緊張していた。
マスターが大きな握り飯を、モルツの500mlと一緒に食べていた。
その横で本当に小さい長女が、静かに箸を動かしていた……
部屋の窓からは、自分でもそれまで目にしたことがないほどの星空が見えていた。
窓辺に長女を呼んだが、しばらく見上げていただけですぐに部屋の布団の上へ。
持ってきた夏休みの宿題?を広げ始める。
そして、それが終わると、ゲーム。
何を話したのか、何を思ったのか覚えていない。
ただ、時間が過ぎていき小屋の明かりが消えた……
翌朝、つまり長女の9回目の誕生日の朝、マスターが貸してくれたナップザックに防寒具などを入れて、小屋を出発した。
6時半頃だろうか。
テント場を過ぎた岩場の急登に少し緊張したみたいだったが、小さな流れを渡る時には楽しそうにも見えた。
薬師平では、遠くに槍ヶ岳が見えていた。
長女はその奥へと足を進め、目の前に広がった雄大な風景に見入っているようすだ。
ガレ場の登りが続くが、長女はしっかりとボクについて来る。
途中の薬師岳山荘で水分補給をし、その上のジグザグ登行に備えて上着を着せる。
ここからは吹きさらしの稜線歩きだ。
単調にジグザグを繰り返すと、いよいよ頂上への最後のアプローチ。
岩がごろごろする子供には少し危険な場所もあるが、特に気を遣わせることもなく進んだ。
そして、もう頂上まで残りわずかというところで、長女に前を歩けと告げた。
全く問題ないように長女はボクの前に立ち、そのままどんどん歩いて行く。
その姿を見て、やはりボクも親バカになってしまった。
目頭が熱くなってくるのだ。
そして、ついに登頂。
直前に擦れ違ったパーティの女性から、「凄いねえ、何歳?」と問われ、今日が9歳の誕生日であることを告げると、そのパーティはわざわざ引き返して、ボクたちを、いや長女を祝福してくれた。
ただ長女は、自分が男の子と間違えられたことに釈然としない顔をしている。
そう言えば、マスターも最初、男の子やったっけ?と聞いてきた。
太郎小屋に戻ったのは昼少し前。
長女は眠いのだろう、小屋の前のベンチに寝そべっている。
またマスターはじめ、スタッフたちと昼食をとり、マスターから記念のバッヂをもらい、小屋前でマスターとお世話してくれたバイトの女の子と一緒に記念撮影。
午後になって、下山を始めた。快調な足取りだった。
18年後、27歳になった長女との二度目の山行が実現した。
ボクは少なくとも5年以上は、本格的な山から遠ざかり、靴なども傷んだままにしていた。
長女との山行を決めてから、生涯で4足目の山靴を買った。
しかし、カラダの準備はほとんどしていなかったと言わざるを得ない。
スポーツセンターで、マシーンの角度を最大限にして歩行訓練などをしていたが、3000m級はそんなに甘くはなかった。
今回の薬師岳山行で、自分の肉体的な弱さを実感した。
登りはまだしも、下りでは全く歯が立たなくなっていた。
かつてはコースタイムの半分近い時間で歩いていたといっても、それは今の長女の話になっていた。
ボクは太郎小屋からの下山道で、ガレ場で踏ん張れなくなり、樹林帯の下りでは、大きな木の根っこのある段差を下りることができなくなっていた。
二度も転んだ。膝が崩れたと言った方がいい。
最後は、長女がボクの重いリュックを前で担ぎ、ふたつのリュックを持っての下山となったのだ。
薄暗くなった樹林帯の下りは、正直言って焦った。
そんな時には、また熊のことなども考えたりして冷静さも欠く。
下山のコースタイムを一時間もオーバーして、折立に戻ったのは午後5時過ぎ。
クルマも長女が運転して、夕闇の迫る有峰の谷間を下った。
長女には申し訳ない山行だった。
思い出の薬師岳であったのに、最後にはつらい思いをさせてしまった。
そういう結果を招いた父親の責任は重大である。
ただ、少しの救いは、太郎小屋の前でいただいた生ビールの美味さや、そのあと好天の中で楽しむことができた美しい山岳景観など、長女も北アルプスを大いに楽しんでくれただろうという思いだ。
そして、もう一度、なまったカラダを鍛え直すことにした。
リベンジは来年夏の山行。それまでにもスキーではない春山行もあるだろう…?
長女にもう一度、強い父親を見せない限り、リベンジはあり得ない。
もう二週間ほどが過ぎたし、そろそろ山靴の汚れなど落とさねば。
当然、長女の靴も父がしなければならないと思っている……・