風鈴の音が……


 風鈴を買ってきて窓際にぶら下げたが、なかなか鳴らない。

 真鍮製のおしゃれなデザインで、値段も風鈴を買うという自分のイメージからすると、それなりのものだったのだが、鳴らないので物足りない気分でいる。

 最初は、下げた場所の問題かと思ったが、どうやらそれだけではないのではと考えるようになった。たぶん下に付いている紙の部分の形状ではないかと思ったからだ。

 風を受けるには下の紙が細すぎるような……

 この紙のことを短冊と呼ぶのだそうだが、このネーミングからするとやはりデザイン性も重視されて仕方ないのかもしれない。

 が、しかし、やはり風鈴は鳴ることに意味がある。

 しかも、やさしい風というか、わずかな空気の動きにも敏感に反応してくれるものの方が価値は高いのではと。

 真鍮というテイストからすれば、そう捉えても不思議はないだろうと思う。

 今のところ(買ってから一週間ほどが過ぎて)、自然の風では一度も音を発していない。

 短冊は微妙に揺れたりするが、よく見ると回転しているだけだったりもして、役割を十分に果たしていないような感じにも見えたりする。

 ときどき、いい風が家の中に入ってきたりすると、十分に涼しさを感じているにも関わらず、風鈴が鳴らないことでその涼しさが半減したり…… 不信感はさらに深まり、どうも納まりが悪い。

 対策としては、短冊を作り替えるしかないかと………

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 世の中では風鈴は夏のものと決まっていて、その機能は涼しさの演出というところだろう。

 音で涼しさを感じさせるなんて、ちょっと不思議で凄い機能のような気もする。

 そもそも音で涼しさを感じるというニンゲンの感覚そのものも凄い。

 生(ナマ)で聞くせせらぎの音や、木の葉の擦れ合う音などが、涼しさを感じさせる代表格と思うが、そこには視覚的なイメージが付いている。

 かき氷機の氷を削る音などもあるが、鼻の付け根の奥あたりに激痛が走ることを想像してしまうのであまり好きではない。

 風鈴はそうした意味でいうと、音の素が焼物やガラスや金属などだから、奇妙な存在だ。まさに音そのものの中に涼しさの要素を秘めている。

 風鈴の音を聞き、風鈴が揺れているのを目にすると、「暑いなあと思っていたけど、それなりに涼しいのでは…」と、つい思ってしまうような。

 しかし…… しっかりと外から風が吹き込んで、部屋中が涼しく満たされているのに、風鈴だけが自らの使命を忘れて鈍感な態度をとっているとなると、やはりおかしい。

 風鈴が鳴らないという現実によって、豊かな感性を持っているはずのニンゲンの尊厳が失われかねない。

 そういうことで、風鈴は姿かたちももちろん重要だが、やはり音が出やすくなっているということにも存在意義があるのではと思うのだ。

 かつて、商店街の夏の行事で風鈴をやたらと吊り下げるという企画があったが、正直言ってあれはうるさ過ぎた。音もガチャガチャといった感じだけで、風情が逆になくなってしまっていた。

 そういう意味では、ちょうどいい具合に上品に鳴ってくれるくらいがいいのだが、そこがまたむずかしいところなのだろう。

 ところで、風鈴は夏と言うが、音を楽しむということからすれば、秋でもいい。秋風と風鈴という組み合わせの方が、日本的な気がしないでもない。

 蚊取り線香がなくならないで、ずっと愛されていると聞く。蚊は夏だからいいとして、風は年がら年中吹くものだから、風鈴もそれなりに鳴っていてもいいのではないかと思ったりする。

 わが家の真鍮製風鈴も、そうした存在でいてもらおう……

 

 


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