日常に句点を打つ


 日常の中に、句点をうつ……… 誰かが言っていた言葉だ。

 ニュアンスはちょっと違っているかも知れないが、句点つまり「。」をつけると、ひとつのことにケリが付く。

 逆にそれができないでいると、いつまでもだらだらと引きずってしまう。

 つまり、読点しか付けられない日常になってしまうというのだ。

 なかなかいい言葉だと思った。初めて聞いたとき、すぐにその意味がピンときたし、心地よくアタマを刺激し心に響いた。

 ボクには自分がよく考えるタイプのニンゲンだなと思える時と、そうは思えない時とがある。

 ひらめき重視の度合いが非常に高いと思うが、そのひらめきを上手く活用できているのかは疑わしい。

 答を先に設定しておく方が思考にレールが出来てやりやすい。

 もちろん、それには危険も伴うが、なんとなく、とにかくこのまま行ってみよう…という前向き姿勢?があるように思える……

 本音で言えば、ひらめいた瞬間に句点というよりも、「!」マークを付けて終わりにできるのがいいが、実際にはそんな具合にコトが片付くことはない。再考の時間に入っていく。

 再考は繰り返され、再々考され、さらに再々々考になっていったりして、そのまま思考の迷路に入っていったりもする。石橋を叩きすぎて石橋自体を壊してしまい、せっかくのチャンスを失うこともある。

 多くの人が言うように、世の中にはそういったケースが少なくない。しかし、実際のところはそうやって出てきた、つまり再考を繰り返して出てきたのがベストに近い結論なのだよ…と、世の中は指導している。

 話がずれてきた。

 日常というのは流れの中にある。日常の延長は一応無限だ。だから、日常は基本的に読点で構成されているようにも思えたりする。

 それほどむずかしく考えたり、話をねじらせたりする必要もなく、ちょっとコーヒータイム的に句点を打つ…… それくらいがいいのであろう。

 ボクにとって、こうして雑文を無作為に書き綴っているのも、ややこしい日常の中に句点を打っている合間である。

 ただそう言いながらも、この雑文集のほぼすべてが「……」という曖昧な終わり方をしているのはなぜか? それは余韻というやつ………


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