🖋 スマホ周辺の出来事


 ある事務所(営業オフィス)で見た光景だが、スタッフの何人かが電話で話す際に席を立ち、そのまま事務所から出ていく。もちろん携帯電話の場合であって、固定電話では座ったまま話している。

 不思議に思ったが、これは電車の中などで注意を喚起される、現代人のクセというか習慣みたいなものと繋がっているのかもしれない。ひょっとすると、ボクが一応外部のニンゲンだからという理由なのかなとも思うが、いつも十分にぎやかだし、それは当たっていないだろう。

 しかし、そこまでしなくてもいいのではないかと思うほどに、よく席を立っていく。最初は何となくどうしようかナといった雰囲気で立ち上がり、机の周辺をうろうろする。そして、少し話が長引きそうになると、もう間違いなくドアの方へと歩き出す。

 その事務所にできた特有の空気なのだろう。それは、常に事務所というのは静かに仕事をする場所なのだということを強制しているようにも見える。かつては、電話が鳴りっぱなしで、やや大きな声を張り上げて話す雰囲気が、活気に満ちたいい事務所みたいに思われていたようだが、今はそうではないのだろう。

 ところでボクは、電車の中で普通に電話による会話の声が聞こえても、それほど気にはしない。もちろん大声を張り上げたりされるのは問題外だが、普通に会話しているだけだと、その人がとなりの席の知人と話しているようなものとしか感じないのだ。だから、ほとんど気にならないと言っていい。

 会社の事務所の中もそれに近い。そもそも携帯電話は、あの着信音がまずうるさいのであって、あれが突発的に発せられるところから不快感が始まるのである。それに輪をかけて大声で話したりするから否定される…。

 こんなストーリーではないだろうか。そう考えると、まずはマナーモード、そして普通に話す。この習慣づけで充分席を立たなくてもいいように思ったりする。

 ただそれだと、せっかく携帯電話という持って歩きながら話ができるという機能を放棄していることになるのでややこしい……

 さらに少しだけ付け加えると、ボクの感覚だが、だいたい携帯電話の会話において煩く感じさせる人の多くは、古い型式のもの、つまりガラケーを使っている…ような気がしないでもない。

 ある街で遭遇した夕方の光景は、まさにそのとおりで、ごく普通のいかにも営業マンらしき男性が声を張り上げて話し込んでいた。使っているのはガラケーである。仕事上の話なのだろうが、信号待ちをしていた周囲の人たちなど全く気にしていないかのように喋りまくっていて、はっきり言って煩かった。

 一方、また同じ場所に戻ってきた時に、たまたま横に立った男性は全く大声を発することなく静かに電話で話していた。最初は電話で話していることに気が付かなかったくらいだ。耳に当てているのはスマホであった。

 話の内容に左右されることは当然だが、だいたいはスマホの方が静かである。スマホの方が音がやわらかくて聞きやすいのも事実だ。もっと分かりやすく?書くと、品がよさそうにも見える。それが話し方に影響を与えているのだろう。オーディオにも共通することだが、やはりいい音はいい感性につながる…ということか? 

 話は緩やかに飛んだが、かつてオーディオ評論家の某氏から教えていただいたことだ。事実、ジャズのイベントをやっていた頃に使用していたスーパーオーディオでは、かなりの音量になっても不愉快な感覚がなかった。実験的に和太鼓の競演(CD再生)をスピーカーのすぐ前に立って聞いたが、カラダ全体が少し揺れるくらいで、思わず耳をふさぐといった感覚はなかった。

 もう少しジャズ的かつ具体的に書くと、トニー・ウイリアムスが叩く超ハイスピードのシンバル音も心地よくカラダ中で受け止められた。もしかしてあの感覚がスマホの感覚なのか?

 ますます話がそれていきそうなので、また別の機会にしようと思う…………


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