「甦った試合……」


 八月後半の三日間ほど、ソワソワしていた。ソワソワだけではなく、ワクワクもしていたし、ドキドキもしていた。だが、総体的には、すべてまとめてイキイキしていたとも言える。

 大学時代、ボクは体育会の準硬式野球部に四年間籍を置き、小田急線の生田にある合宿所で生活していた。準硬式野球というのは、分かりやすく言うと、硬式のボールの表面だけが軟式のようにラバーになっているボールを使う。今では大学だけでやっているジャンルだと思う。使用するグローブやバットなどは硬式と同じだが、ルール的なことで言うと、大学の硬式野球リーグでは、木製バットを使用するのに対し、準硬式野球リーグでは金属バットが使える。大きな違いだ。

 前置きが長くなったが、今夏金沢で全日本選抜大会が開かれ、母校明治大学の準硬式野球部が出場していたのだ。

 明治は初戦と二戦目を順当に勝って、ベスト4に残ったが、準決勝で九州の大学に敗れた。ちなみにそのチームが最終的に優勝した。

 初戦の市民球場ではそれなりに観戦した。そして県立球場の二試合目は少しだけだが顔を出し、三試合目は、もし負けた場合のことを考え、打ち上げの場所・時間などを確認しておかねばなるまいと、途中から最後まで見ていた。

 OB会長でもある長老K大先輩が直々に来ていて、また在学中に世話になった前監督のK先輩も、東京から一週間休暇をとっての応援。さらに現監督が二年後輩のO君だ。応援に行かないわけにはいかない。伝統の血は、こういう時に騒ぐのが当たり前なのだ。

 ボクたちも現役時代には三度全日本に出た。しかも選抜大会ではなく、選手権大会という大学日本一を決める本大会の方だ。

 特に四年生の時の全日本は、六大学リーグで優勝できず、全日本への出場権を得るには、関東選手権を制覇するしかないという厳しい条件下にあった。

 なんとか準決勝まで勝ち進んだが、決勝進出をかけた相手は同じリーグの覇者・早大だった。普段から慣れ親しんだ?早大はすでに全日本出場を決めており、完全に戦力ダウンしたメンバーで臨んできた。

 しかし、ボクたちはその相手に手こずった。なんとか勝つには勝ったが、情けないくらいに無様な勝ち方だった。普通は無様な負け方というが、この場合は勝ち方なのであって、このあたりにもその情けなさが滲んでいる………

 こんな試合をしていて、全日本に出る資格があるのか?と、チーム全体に思い空気が充満していた。試合を終えて、キャプテンだったMと二人、新宿西口の喫茶店にいた。真面目に“クソ”が付くくらいのMは、その試合の責任をすべて自分で負っていた。時折、涙さえ浮かべていた。

 「オレ、キャプテンやめるわ…」何度その言葉を聞いたか。その度に「今やめてどうする」と、ボクは彼に言った。電車の中では、横に並んで立ったまま、ほとんどしゃべらなかった。

 合宿所に戻り、ミーティングを開いたが、重い空気は翌日のゲーム(決勝戦)に決して明るい展望をもたらさなかった……

 西武新宿線・東伏見。早大東伏見球場はリーグ戦でも使用しており、勝手知ったる場所だ。決勝の日、その東伏見に雹(ひょう)が降った。雷が鳴り、真黒な雲が球場の空を覆った。試合開始は二時間ほど遅れただろうか。正直このとき、ボクは今日は試合がない方がいいと思っていた。

 決勝の相手は、東都リーグの強豪・専修大学だった。春のオープン戦やその他の大会などでも、あまり勝ったことのない相手だった。

 しかし ────

 明治は、5対0で快勝した。エースのSが貫録の投球を見せつけ、相手の強力な打線を抑えた。バックもしっかり守った。打線は期待の一年生もタイムリーで貢献し、準決勝まで打ち込まれることの全くなかった相手エースから、コツコツと5点を奪った。

 いつもながら地味な、明治らしい試合。明治らしい勝ち方だった。そして、皆が勝つことに集中していた。勝たなければならないと思っていた。今でも思うが、もしあの時負けていたら、あのチームはいったいどうなっていただろう? 想像したくはなかったが、たまに想像するとゾッとする。

 ボクにとって四年間の中でもベストと思えるゲームで、明治は優勝した。試合後のベンチ前でのキャッチボール。Mが、ボクの投げるボールを受け取るたびに、嬉しくてたまらないといった顔を見せた。笑いたくてウズウズしている。笑いを抑えるのに懸命になっている。あんなに楽しいキャッチボールも経験したことはなかった。

 その年の全日本は、北海道釧路市。

 早大と一緒に羽田を発ち、早大と一緒に札幌から特急に乗った。そして、同じ日、早大と一緒に初戦敗退した。一応、早大と一緒に優勝候補に上げられていたのだが………

 その後の二週間は、北海道にいた。釧路出身で、知床の小さな町で中学の英語教師をしていたI先輩の住まいとクルマを借り、道東を駆け巡っていた。七時には家の明かりが消えてしまう小さな漁村の、先輩の住まいでは、近所の人が採れた魚を調理して届けてくれたりした。合宿所で同部屋、そしてロマンチストであったI先輩が好きだったが、そんな先輩の人柄や日常が思い起こされる素晴らしい場所と時間だった……

  ずっと前の出来事が、金沢で躍動する後輩たちの姿から甦ってくる。ユニフォームやポロシャツやシューズなどに記された、“meiji” のロゴが元気をくれる。ベンチ上のスタンドの金網には、新調されてはいたが、懐かしい部旗が張り付けられていた。

 負けた準決勝の夜、金沢駅前の店へ現役4年生も含めて飲みに出た。たくましく礼儀正しい現役たちがまぶしかった………

 ※追記だが、せっかく関東大会で優勝し北海道での全日本に出場したにもかかわらず、キャプテンMは某資格試験があって初戦に間に合わなかった。先に書いたとおり、ボクたちは初戦敗退したのである。特にMの存在がどうのこうのではなかったと思うが、ついてないヤツだったことは確かだろう………


「「甦った試合……」」への1件のフィードバック

  1. 4月に大学の日本拳法部時代の監督だった先輩が仕事で金沢にいらっしゃると連絡をいただき、会った。7学年上で、しかも現役時代は全日本拳法選手権で優勝された先輩でもあり、当時は常に武道家然とされていて、学生の頃はこっちから話しかけるなんてとてもできなかった。
    15年前の部創立35周年のパーティ以来の再会であったが、拙者が学生の頃の『厳しい監督』の雰囲気は微塵も見せず、こちらが恐縮するくらいに気さくに接してくださった。まぁ、互いに社会人であり、当たり前といえば当たり前のことではあるが、久しぶりの武道談義に花が咲き酒が進んだ。

    毎日の練習は超キツかったし、まぁ色々と悩みはあったし、良い思い出ばかりじゃないけど、高校の柔道部や大学の拳法部の思い出は今となってはかけがえのない貴重なものです。

    祥稜 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA