「夏のハーフタイム的雑感~その2…」


 

 旧盆の休暇は、特に何をするでもなく、天候不順という最低な条件にも左右されて不満足な出来であった。昼間は独りでいることが多く、そうめんを作ったり、冷奴の試し食いなどに、微かな喜びを見出したりしながらやり過ごした。

 冷奴はシンプルなのがいちばんと前に書いたが、富山県八尾から某スーパーに入って来る「絹ごしどうふ」が、何となく健気(けなげ)で、心をそっと揺さぶってきたりしている。京都から、いかにも工夫しとりますゥ的雰囲気満載の豆腐が入ってきたりもして、そんな言葉の誘惑に負けそうになったりもするが、八尾という名前にも、尊敬する奥井進氏の生まれ故郷であることもあってか、ぐっとくるものがあるのだ。

 八尾の豆腐は四角だ。豆腐は四角で当たり前で、近年のやたら丸かったりしている輩には、まずもって不信感から入ってしまうのはボクだけだろうか…(そうだろうなァ) しかし、そのシンプルな味に共鳴している。

 そうめんはいつも適当に作る。冷蔵庫の扉に貼り付いているタイマーのようなものを一応セットしたりするが、ほとんどは見た目でいく。冷水にさらす時も指の感触で決める。食べる時は生姜あるのみ。30年前に奈良で三輪のそうめんに出会って以来、そうめんに目覚めてしまったボクとしては、そうめんはあくまでも、大切な食材のひとつなのだ。『ゴンゲン森・・・』の中で、ナツオが食べていた、あの時代のそうめんは一体何だったのか? 一説によると冷麦だったのではとの話もある。だから、どうなのかと言われてもボクは、その意味を理解していないのだが……

 フットサルの話を書いたが、能登島で合宿中の高校チーム同士のゲームを見た。言葉から推測するに関西のチームらしかった。凄いハイレベルのゲームで、選手たちが輝いて見えた。夏合宿で伸びる選手と、伸び悩む選手とがはっきり分かれていく。猛暑の炎天下、申し訳ないので、ボクも木陰に入らず、熱くなった木製のベンチに腰を下ろしていた。

 そういえば、山梨県旧勝沼町で、兼業でブドウ作りをやっているMくんの母校が30年ぶりに甲子園に出た。試合当日の朝、「今、応援バスの中か? 応援してるぞ」とメールしておいたが、昼近い頃になって、「ブドウ畑も忙しくて、今日はテレビで応援だ」と返信が来た。野球部熱血OBとしては、さぞかし応援に行きたかっただろうにと思っていたが、相手も強豪校でMくんの母校は久しぶりの甲子園を勝利で飾れなかった。夜のメールでは、「悔いの残る試合だった…」と。悔しい思いが綴られていた。話は変わるが、今年の秋には、Mくん自家製の甲州ブドウとワインを楽しみにしている…

 本格的な山には一度も行けないまま、夏はハーフタイムを迎えた。ラグビーで言えば、ノートライ、ペナルティゴールが辛うじて一本決まったという程度だ。上高地から穂高や、いつもの太郎小屋周辺をアタマに描いていたのだが、時間がボクを許してくれない。そんな中、前にも書いたが『笑顔の冒険家・植村直己』(NHK教育)が充分に楽しませてくれている。一回わずか25分のドキュメンタリーだが、今度が最終週となってしまった。第2回目のエベレスト登頂の話は、植村さんの真実を伝えるいい内容だった。

 もうひとつ、民放でやっていた『剣岳・点の記』もよかった。測量士の柴崎芳太郎もよかったが、案内人・宇治長次郎(うじちょうじろう)もいい描かれ方だった。山案内人であった長次郎の銅像が立っている場所を知っている人は少ないだろう。旧富山県大山町(現富山市)の立山山麓家族旅行村の入り口にある。もっと分かりやすく言えば、ゴンドラスキー場の入り口。分かりやすくもないかな… 一緒に連れて行ってあげた人でさえ、覚えていないと言うかもしれない。

 宇治長次郎は山の案内人として剣岳登頂に貢献したが、もう一人この旧大山町からは日本の山岳史上偉大な人物が出ている。それは、北アルプスの盟主と呼ばれる槍ヶ岳を開いた播隆上人(ばんりゅうしょうにん)で、百姓から僧侶になり、笠ケ岳、そして最も難しいと言われた槍ヶ岳を開いた。播隆の物語も『剣岳・点の記』と同様、新田次郎によって小説化され、『槍ヶ岳開山』のタイトルで広く読まれている。ついでに言うと、新田次郎の山岳小説は『孤高の人』、『栄光の岩壁』など、どれも昔最高に面白く読んだ。

 本と言えば、『ゴンゲン森・・・』でも大変お世話になっている、うつのみやさんの百番街店で、実にもって嬉しいかぎりの文庫のレイアウトを見つけてしまった。なんと、椎名誠氏の『岳物語』と伊集院静氏の『機関車先生』とが並んで置かれていたのだ。これは集英社文庫の企画らしく、同じ装丁デザインで特別販売されているシリーズなのだそうだ。サイトのプロフィールにも書いているが、ボクの尊敬する二人の作家の、しかも『ゴンゲン森・・・』という作品では、ボクが手本したといっていい二作品なのだ。

 なんてことだろう…と、ボクは大いに驚き、そしてゾクゾクと背中を縮み上がらせてしまった。嬉しかったが、なんだか怖くもあった。こんな感性がやっぱりまだまだ生きているんだ…、だとしたら、このまま『ゴンゲン森・・・』を眠らせていくわけにはいかないなあ…と、大いに思ったりもした(思わず店内で小型カメラによる撮影もしてしまった)。

 そういえば、盆休暇直前日の夕暮れ時、独りで待っていた我が家に、「地デジ」がやってきた。ところで、ウォシュレットの出現により、だいぶ前に「キレぢ」が去ってから十何年が過ぎたが、両者はなんら関係ない。言葉の響きによっては、同類に聞こえたりするので誤解を招きやすいが、全く関係ないのだ。地デジによって、我が家のテレビ文化はかなり変わるであろうが、なにしろかなりの衝動買いであったため、その支払いなどの条件も、我が家の生活文化を変えそうだ。番組では、特に天気予報が見やすく分かりやすくなり、買った甲斐があった。

 しみじみとした夏のハーフタイムには、古いお寺を訪ねたりするのが良かったりする。加賀大聖寺の山の下寺院群は、かつてボクがルートづくりをさせていただいたところだが、久しぶりに行ってみると、一段とやさしい雰囲気に包まれていた。ちょっと休めるところがあったらいいなあと感じながら、人のいないことに中途半端な安ど感…… 暑いからだろうなあと思いつつ、もっと多くの人に知ってもらい、来てもらうためにはどうしたらいいのか? 深田久弥・山の文化館でも、必ずその話題になったりする。

 カフェで、独り静かにかわいいカバーを付けた文庫本を読む女性がいた。カバーもやたらと目を引いたが、アイスコーヒーのストローにも夏を感じていたんだなあ…

その3につづくかもしれぬ……


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