「夏のハーフタイム的雑感~その1……」


 

 ある休日の夕方、美しい夕焼けが窓から見えていたので、カメラを手にしてふらっと外に出てみた。そして、数枚の写真を撮影した後、あることに気がついた。

 それは、夏の夕暮れ時というのが、これほどまでに静かなものだったのか…ということだった。鳥のさえずりと、ヒグラシの鳴き声だけが遠くから聞こえてくるだけ。ごくごく日常的なことでありながら、いつもはゆっくり夕焼けなど見ていられることがない分、その日の夕焼けは美しさとともに静けさを、強く感じさせた。

 そういえば、その何日か前、夜の打ち合わせが加賀であり、高速の帰り道、海を見ていたことがあった。SAの自販機でブラックコーヒーでも飲もうと思ったのだが、小銭入れのカネがわずか10円足りず、コーヒーを諦めて夜の海を見ていたのだ。なかなかコーヒーへの恨みは消えなかったが、それを癒してくれるに十分な夜の海の美しさだった。

 海も山もそうだが、人だかりでごった返す雰囲気は好きではない。ボクの思いの中には、その両者ともが、独りでボーっとする場として位置付けられている。だから砂浜なんかに、小さな舟が一艘だけ繋がれているのを見つけたある日の風景などには、惜し気もなく自分自身の感性をリンクさせようとし、出来るだけその風景の中に自分を同化させるための努力をしていた。

 必ずしも近づいて行こうとは思わない。ちょうどいい距離を見つけて、その空間の中でいい気持ちになれる瞬間を探す。カメラのピント合わせの感覚に似ているのかもしれないし、レンズを動かしている時の感覚にも似ているかもしれない。

 暑い夏には、やはり入道雲が似合う。

 今年の夏の入道雲は、8月に入って気合が入ってきた。入道雲が怒っている(とボクには見える)時は、夏がいい夏であることを証明している。だから、子供の時の夏は、やはりいい夏だったのだと思ったりする。真っ黒に日焼けしたボクたちの肩や腕や足や、そして首や顔などと、入道雲はぴったりの相性を誇っていた。

 仕事で立ち寄った金沢市民芸術村で、正装した高校の吹奏楽部だろうか、練習を終えて全員がぞろぞろ炎天下を歩いて来るのを見た。その光景と芸術村の赤レンガと黒瓦の建物、そしてその上に、純青の空と、怒りを露(あら)わにした入道雲を見た時には、思わず心が騒いだ。声を上げたくもなった。無性に誰かにこの凄さを伝えたくなったが、誰に伝えていいのか分からないまま高ぶりを抑えるのに苦労した。

 

 今夏でも、めったに自分からは食べない「カキ氷」が出された時には、心の中で“しまったなあ…”と思うことがあった。ボクは極度に冷たいものはあまり好きではない。適度に冷たいものは好きだが、極度はダメなのだ。なぜかというと、アタマの前方付近に突如やってくる、あの刺激的痛みに襲われやすいタイプなのだ。だから今年も、極力、極度に冷たいものとは付き合わないようにしてきた。

 しかし、夏のイベントの打合せで兼六園下の坂道をオロオロと歩きまわっていた後、ついにその商店会の会長さんのお店、詳しく言うと、店舗二階の階段付近にあるL字型応接セットのテーブルの上にその「カキ氷」は届けられ、“見た目”的には爽快感満点のソレを思い切りよく口へと運び、その後、三度ばかり激痛に襲われ、眉をしかめ、唇を噛み、鼻の穴をおっ広げては耐えに耐えた。

 そのおかげもあってか、旧盆直前に催した打ち水イベントは大成功で、県内各紙と各局が取材に来てくれ、NHKは全国ニュースでも流してくれた。

 そういえば、自分がクーラーも好きではないということを、今夏あらためて認識した。特に暑いのと冷えたのとを繰り返すのが嫌いだし、局部的に冷やそうとするカーエアコンなども好きではない。暑いのなら暑いだけのところで、暑いままいる方がいい。

 何日だったか、小松で全国一の気温(37.7度)になった日があった。その日の夜、小松在住の一級建築士兼フラメンコ・ダンサー及びスパニッシュ系ミュージシャンの“m”さんに、日本一おめでとうございますとメールした。ボクとしては、非常にうらやましい話で、何年も前に一度京都で40度近い気温を体験したが、最高気温日本一になった感想とその体感の喜びの声が聞きたかったのだ。しかし、夜遅くなって、いよいよメールが返されてきたが、「運よく、小松にいなかったので、よかったです…」的お言葉だけで、ボクの期待はカンペキに裏切られた、のであった。

 その2につづく……


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