初夢/宇宙からのメール


久々に、しっかりと気合の入った雪が降った。夜更け、降り続く雪の中で黙々と雪すかしなどをしていると、雪国に生まれた歓びと筋肉痛の予感に浸れる。今なら、テレマークスキーを出してきて、誰も見ていない雪の上を自由に歩き回れる…。そんな思いにも駆られたりするが、雪すかしがまず先だ。

10年ぶりぐらいに、家の前に作ってある“馬つなぎ”も雪に埋もれた。家を建てるとき、駐車場だけでなく、駐馬場もいるだろうと思って作ったのだが、この15年、誰も馬では来なかった。

2011年がスタートして12時間ほどが過ぎた頃だった。かすかに感じ始めていた体調の異常が徐々に明確になり、はっきりと感じ取れるようになっていった。体調といっても腹部の胃の下あたりで、かなり前になるが、会社で残業している時に襲ってきた腸捻転(ちょうねんてん)に近いものを予感させた。

余談だが、腸捻転とか虫垂炎とか日本語の病気の名前というのは、アクセントを変えて口にしたりすると、中国語みたいに聞こえるようになる。一度試してみるとすぐに分かるが、これはたしか南伸坊氏が発見した現象でなかったろうか。ただし、中国の人たちからいろいろ言われて物議をかもしたというような記憶がある。

病状の話に戻ろう。とりあえず少し様子を見ていた。が、しばらくすると、やはりかな…的になり、もうしばらくすると、そうだろうな…的になって、さらにもうしばらくすると、もう全く間違いないな…的になった。かなり腹具合がおかしくなっていることを実感し始めた。一定の時間をおいて、腸が捻じれるように痛くなる。

「ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり」の中で、湧水を飲んだミツオというひょうきんな少年が、その日の夜腹を壊してしまう場面がある。あの時のミツオの症状を書く際に、ボクがかつて体験したこの腸捻転の痛みが役に立っている。ニンゲン、何事も経験が大切だ。

そんなことはどうでもよく、とにかくいつも行っているC谷医院へ電話した。うちは喪中で正月らしきことはしていないが、お医者さんだって正月なのだから、ゆっくりしていたいだろう。しかし、そんなことを考慮している余裕はなかった。

C谷医院は当然のごとく休みだったが、とにかく来ていいと言われたのですぐに向かった。暖房の入っていない待合室でしばらく待つと、診察室から先生の声が聞こえた。ノロウイルスかも知れないという危惧はあったが、吐き気がないのでその心配はすぐに消える。

先生はボクのことをかなり把握しているので、ついでにこの前の目眩(めまい)はどうなったかとか、紹介状いつでも書くぞとか、その他諸々へと話が飛んでいく。正月からそんな脅迫めいた話は聞きたくなく、もちろん考えたくもなかったから、とにかく早く普通に食事ができるようになることが今の重要課題だと、無理やり自分に言い聞かせていた。

諸々の診察が終わって、先生自らが揃えてくれた薬を、あれこれと説明を聞きながら受け取る。いつも女性の看護士さんから聞いているセリフだから、先生の男っぽい(男なんだが)声で聞くと、妙に落ち着かない。調味料を格別に配合して出された料理から、一升瓶の醤油かなんかをドドドッと流し込まれただけの、とりあえず何とかおかずにはなるだろうといった料理に変わったような気がして、ほとんど先生の説明は聞いていなかった。

家に戻っても、しばらくは痛みはひかなかった。家人におかゆを作ってもらい、梅干しといっしょに食べてから薬を飲む。とにかく休むのがいちばんと言われていたから、炬燵で横になった。

アッという間に眠気が全身を覆っていく。カンペキに分かる。もう堪らないくらいに眠くなってきた。眠い…。体調が悪いのだから、このまま眠ろう…。とにかく寝る、とにかく………

………… 何かが見えてきて、それから、ボクはクルマを運転していた。

クルマには、買った覚えのないカーナビの立派なやつが付いていて、頻繁にそれに目をやりながらハンドルを握っている。クルマは普通の市街地から郊外の町へと出て、さらにまた市街地みたいなところを通り、さらにまたまた違う郊外の町中へと入っていた。少なくとも、何度かそれを繰り返していた…ようだった。

ボクを導いているのは携帯電話に入ってきたひとつのメールの情報…らしい。その情報をカーナビに登録し、それに基づいてボクは誘導されている…みたいだった。

先に言うと、微妙な表現をしているのは、この話が夢の中の出来事だからだ。

クルマは大都市の中の商店街みたいな場所に来ていた。高層ビルが奥に見えていたが、脇を歩いている人たちは皆、普段着のおばさんや若い主婦のような人たちで、今では珍しい活気のある買い物風景だった。しかし、まだナビの目的地ではない…らしい。

まだまだクルマは前進し、高層ビルの間を走っていく。かなりのスピードでビル群が後方へと流れていく。そろそろボク(夢の中の)は、いい加減に、これはおかしいぞと思い始めていた。夢ではないかと……

突然、左前方に湖が現れた。湖ははるか奥へと延び、真っ青な空と雪をいただいた山と緑の森とで、実にバランスのいいカンペキな風景を創り出している。

“これはまるでカナダやアラスカの風景ではないか”と、行ったこともないくせに、ボク(夢の中の)は頭のどこかでそう叫んでいた…ような気がする。雑誌や絵葉書で見る写真だ。美し過ぎる。これでは夢であることがすぐにバレるではないかと、何だかよく分からないことを考えている。

そしてボク(もちろん、夢の中の)は、これは絶対に間違いだとあらためて思っていた。こんなところで誰が待っていると言うのだろう、と、ボク(夢の中の)はメールの送信者のことを思っている。が、それが誰なのか知らないままクルマを走らせている…ようだった。

突然、虚しい気持ちになった。それが夢の中の自分なのか、夢の外の自分なのかは分からなかったが、ひょっとすると前者がまずそう感じ、その後で後者も同じように感じ始めたのかも知れない。夢の中の自分と、夢の外の自分が同一化していると、中間にいる自分が考えている…

しかしすぐに、一連の流れが止まった。夢的に言うと、情景が消えた……

それから再び夢の中の情景が見えてきた時、ボクはなぜだか東京・山手線の電車を降り、どこかの駅の改札口を出て空を見上げていた。すぐにはっきりと新橋駅烏森(からすもり)口であることが分かった。季節は冬、空は青く晴れている。夢の中の話だ。どうやらメールが指定してきた目的地はここらしかった。夢は繋がっていたのだ。

新橋烏森口と言えば、椎名誠氏の小説『新橋烏森口青春篇』でボクの印象度は高い。若き椎名青年が、業界新聞社に勤務し始めた時代の私小説だ。NHKのテレビドラマにもなり、なかなか好評だった。ボクはその小説を昨年の終わりごろ再読していた。

駅を出た歩道で、ボクはなぜだか向かい側から歩いてくる友人のDクンの姿を見つけた。Dクンがなぜこんな場所にいるのかは分からなかったが、すぐにメールの送信者はDクンだったのかも知れないと思っていた。しかし、Dクンはボクを見つけても、きょとんとしている。

なぜボクがここにいるのかと、Dクンが聞いてきた。えっ?と聞き返す。ということは、Dクンはメールの送信者ではないのか?

……そこでまた情景が飛んだ。夢だから、とにかく何だかよく分からない。ボク(当然、夢の中の)は、腕時計を見ていた。時間ではなく、日付を。“2月2日”だった。そして、会社のデスクの上でパソコンを開き、あらためて受信メールを開いている。なぜか、ホッとしていた……

というあたりで、夢は、夢らしく消えていった。ボクはぼんやりと目を開けた。

実は、このあたりかなり神経を病んでいたのか、夢を激しく見続けていた。ちょっと居眠りをしても、夢だけはしっかりと見ているという不思議な状態だった。それも、続きもので。

その中でも、この夢が最も鮮明に記憶として残っているのは、あとから振り返った時に、今年の初夢だったと分かったからだが、単にそれだけではないような気もしていて、やはり不思議な感覚なのだ。

今年も残すところ11ヶ月ほどとなったが、何だか妙に落ち着かない新年の始まりを、今もついつい振り返ってしまうのであった………


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