イブの夜の独り言


 

病院での長い検査の帰り道、年末ジャンボ宝くじが当たったら、いよいよ京都にでも移住しようか、いやあ、やっぱァ、初心のとおり八ヶ岳山麓がいいかなあ…などと考えていたら、いきなりラジオから『聖しこの夜』が流れてきた。しかもあのカラヤンが指揮する何とかというオーケストラの伴奏に、何とかと言うオペラ歌手が歌っているという荘厳さで、移住先の思いがウィーンあたりに飛びそうになった。

そうか、今日はクリスマスの前日、つまりよく言われるところの“クリスマス・イブ”なのだということを思った……。

ところで、何かに書いてあったのだが、若者たちの間でクリスマス・イブは恋人と過ごすのが当たり前としているのは、日本と韓国と中国だけらしい。その三国では、その日に若いのが一人でいると“淋しい人”というレッテルを貼られるらしく、クリスマスまでには、連れを作っておかねばならぬよと、後ろ指をさされたりするらしい。

ある意味マヌケな男たちが、また別な意味でマヌケな女たちから、さも当たり前のようにプレゼントをせがまれたりしている。そして、さも当たり前のように何万円もするプレゼントを買い求め、与え、自らもそれに満足し、「メリークリスマス…」などと意味もよく知らずに呟いたりしている。

キリスト教徒の人たちが不信に思うのは、クリスマス・イブは家族と過ごすのが当然と考えているからで、恋人同士がイチャイチャしたり、熱く燃え上がったりするのを、クリスマスにかこつけているのがおかしいというわけだ。そう言われればそうだ。なにしろ、キリストの生まれた日なんだから、そのこと自体に何の意味もない異教徒の人たちが祝うことすらもおかしい。それになんだかんだでイチャイチャされたりするのでは、キリストも迷惑だ。

我々仏教徒は、お釈迦(しゃか)さんの生誕の日を知っているか、祝っているか。その日は4月8日なのだが、答えは明白だ。

なぜ、こういうことが日本では当たり前になったのだろうか。商業的な仕掛けにすぐ負けてしまう弱点が、かつての高度成長期の浮ついた流れに飲み込まれた。今の中国を見ていたら、日本的なクリスマスの誕生の経緯みたいなものが見えてくる。逆に、韓国や中国に悪影響を及ぼしてしまった張本人が日本人だったとも言える。

子供が小さかった頃には、我が家でもクリスマスの真似事が行われていた。夜中にサンタクロースが家へやって来ることになっていた。父親であるボクは、その夜起きていて、サンタさんが来ると、「アンタが、サンタ?」と、身元を確認してから家に入れていると子供たちに伝えた。それで子供たちはサンタの存在を実感として捉えていた、と思っていた。しかし、賢い上の娘はそのノンフィクション的演出をフィクションと察知し、不信に思い、翌年には鼻で笑った。負けん気の強かった上の娘に鼻で笑われながら、その見抜かれ方が嬉しかったりもした。

寺で生まれた古い友人がいるが、幼い頃から当然クリスマスや初詣などは関係なかった。長く付き合っているが、当然クリスマスなどしたことはなく、息子が出来てからもクリスマスはしなかった。“できた息子”は、成長しながらも、“メリー・クリスマス”という言葉を口にすること自体に強い違和感をもっていたと言う。話は飛ぶが、今テレビでやっている司馬遼太郎の『坂の上の雲』を見ていると、そういうことにも納得できそうな気がする。

前にも書いたことがあるが、ボクはアートや音楽などの世界にあるクリスマスに共感する。クリスマス・ツリーやイルミネーション、その小さな飾り物ひとつひとつに温かいものを感じる。夢とか希望とかが潜んでいるような錯覚を覚える。だから、たくさんの人と一緒に見たくないと思ったりもする。

以前に書いた京都駅の大きなツリーを、階段の端っこから一人きりで見つめている女の子や男の子をよく見かける。あの若者たちは誰にも邪魔されずに、自分の夢や自分の日常、挫折ややる気などをあのツリーの中に見出しているように感じる。それは、日本の仏像や寺院建築や庭園などと通じるものだと思っている。季節が、きりりとした冷たい空気に包まれているからもあるが、余計に熱いものを感じる人が多いのだと思う。

そして、クルマのラジオなどで聞くクリスマス・ソングも癒してくれるものだ。カーラジオだからこそ、よかったりする。あれが家の中のオーディオでは何となくダメだ。街の慌ただしさやネオンなどと一緒に流れてくるクリスマス・ソングがいい。ナット・キング・コールの「ザ・クリスマス・ソング」などはカーラジオで聴く最高の一曲だし、ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス・アンド・・・・」もいいし、ヤマシタ・タツローの“雨は夜更け過ぎに~”も、それなりによかったりする。とにかくみな、情緒的になるのがクリスマスソングなのだ。

学生時代、クリスマスは当然のごとくバイトの最盛期だった。麻布十番の家具屋(大学野球部のOBが経営していた)で夜まで働き、渋谷までバスで移動し、渋谷から下北沢まで井の頭線、そして下北沢から生田まで小田急線と乗り継いでの帰り道。特に25日の深夜などは、渋谷の駅前で売れ残りのケーキが2個1000円とかで売られていた。一緒に働いていた同僚とそのケーキを買い込み、そこからさらに一時間ほどかけてクラブの合宿所へと帰る。途中から電話すると、そこには同じくバイト帰りで腹を空かした仲間たちが待っていた。酒はなかったが、コーヒーが淹れられ、ケーキはアッと言う間になくなった。

いろいろと考えていたが、今夜はクリスマス・イブ。それに相応しくボクの晩御飯のおかずは、“ハタハタの煮たやつ”だった。

NHK総合テレビでは、今年の『ザ・名古屋・JAZZ 』の名場面集が放送されていた。テレビ購入後初めて、ボリュームの数値を30にして聴いた。素晴らしかった。前号のマイルスのところでも書いたが、名古屋は日本でいちばんジャズが分かっている、愛している街だと思う。金沢のなんとかストリートなどバカバカしくなって、情けなくなって、穴があったら入りたくなった。詳しくはまた書こう。今夜はこのあたりにして、なにしろクリスマス・イブなんだから。アーメン……


「イブの夜の独り言」への4件のフィードバック

  1. 昨夜の拙宅では、長女が作ってくれたケーキを食べました。格段に美味しいケーキをいただきながら、実はイエスが産まれたのは5月頃なのに、なぜに12月25日がイエスの誕生日と捏造されたかと言うと、ゲルマン諸部族にキリスト教を広めるに当たって、一年の内でゲルマン諸部族にとって最も重要な日であった冬至の日がそれに充てられたする学説が有力であるなどと、、、薀蓄をのたまわって、家族を呆れさせたりしたのでした。(T-T)

    祥稜 拝

  2. 名古屋ジャズの番組は、遠征先のホテルで私も観てました。
    MCの三宅裕司はともかく、横にいた戸田恵子さんがステキだったりしますw

    よいお年をww

  3. 何だか分かるような気がします。
    クリスマスって、何なんですかね。
    考えてみると、一年の中のひとつのイベントなんだけど、
    いちばん意味も分からずやっているような気がします。
    ツリーなどの話は同感。
    でも、東京のスカイツリーはいただけない。
    あんなもん作って、何になるんですかね。
    あんなもんに感動しているやつらの気が知れないです。
    ナカイさんも絶対そう思っていると思っているんですが…
    年内、もう一発あるのかなあ。
    でも、まあ来年も楽しく読ませていただきます。
    ナカイさんにとって、2011年が良い年でありますように。

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