桜の中から~上を向いて歩こう~が聞こえた


 休日の朝、山梨にいる友人からメールが届いていた。前日の夜、こちらから送っておいた件の返事だった。そのさらに前の日だったか、茨城県ひたちなか市に住む後輩のT沼にメールを送っていた。強い余震が続いている。

 三月十一日の大地震の後、T沼にすぐメールした。が、返信が来たのは数日後だった。“無事です。また連絡します”という短い内容だった。

 そして、それからまたその数日後の夜、今度は彼から電話が来た。「T沼です。ご心配かけています」元気そうだった。

 その声を聞いた瞬間、涙が出そうになった。大丈夫だったか?と聞くと、ええ、何とか大丈夫ですと彼は答えた。家は二年前に新築したばかりだったから、何とか持ったが、周囲の家などは壊滅的ですと彼は言った。そして、勤務先の銀行の支店も建物が崩壊。その始末など、燃料も電気も水道もない状況で奔走していたという。

 それと……。彼の弟さんが東京で亡くなっていた。地震と直接関係があるのかどうか分からないが、とにかくその時に突然死し、東京まで遺体を引き取りに行ったと言う。葬式も上げられないまま葬ったとのことだった。あの大パニックの最中に、兄として弟の遺体を引き取りに行く…、そのことを考えただけで胸が痛くなった。

 負けんじゃねえぞ、T沼…。ボクは電話を耳に当て、家の階段に腰を下ろし、半分涙声でそう彼に告げた。何だか、学生時代に戻ったような気がした。

 彼は気丈夫だった。クラブでも小さい体ながら、弱音を吐かない頑張り屋の裏方で徹した。世話役もしっかりこなし、今ではボクたちの代で作っているOB会のマネージメントを引き受けてくれている。

 そんな彼だから、東北にいる他の連中のことも把握していた。皆失ったものもあったが、命は無事だと言う。

 会話が落ち着くと、T沼が今年の秋に皆で集まる予定になっているOB会の話をしはじめた。今年は無理だな…とボクが言うと、またみんなに会えることを楽しみに頑張りますよ…と彼は答えた。また、涙が出そうになった。

 さらに数日が過ぎ、強い余震の続く朝、再び送った激励のメールには、体は大丈夫だが精神的に参っているという意味の返信が来た。いくら気丈夫でも、やはり震度4とか5とかが続けば参って当然だろう。

 関東から東北の人たちは、T沼のように極限の中で今闘っているのだということが、はっきりと伝わってくる。それでもT沼は、東北はもっとひどいですから…と、自分たちはまだまだいい方ですと言っていた。

 ……街には、桜が咲いている。観光客は半分以下になったという人もいたが、桜が咲いたとなれば人出は違う。兼六園周辺も休日前日の午後はたくさんの人波が出来ていた。

 加賀の大聖寺川でも、動橋川でも桜は見事に咲いていた。昔からよく出かけていた金沢犀川奥地の熊走(くまばしり)では、何でもない里山の春の風景に心が癒され、小さな校庭に咲いていた桜をボーっと眺めていた。

 人ばかり見ているような名所ではないところでも、桜はそれなりに咲いていて、それなりの美しさを誇っている。その桜たちが、一生懸命に頑張っている人たちと重なった。

 ラジオで、福島出身の西田敏行がアカペラで歌う『上を向いて歩こう』を聞いた。司会のK沼アナウンサーも一緒になって歌っていた。生放送だった。被災地である福島の方言で話す西田敏行は泣いている。この歌を、こんなに真剣に聞いたのは初めてだ。

 涙がこぼれないように…、思い出す春の日…。幸せは、雲の上に…、幸せは空の上に…。耳の奥に今もこの歌詞が残っている……


「桜の中から~上を向いて歩こう~が聞こえた」への1件のフィードバック

  1. 何だかすぐに涙が出そうになる。
    いや、実際出ているケースが多い。
    感情がこうしてストレートに出るというのは、
    やはり非常時だからなのか。
    泣くニンゲンが少なくなった・・・?
    そんな時代なのか?
    それを強いというだけで評価できるか?
    強いというだけのニンゲンの方が優れているのか?
    五木寛之氏が講演で話していた。
    ニンゲンは泣かないといけないと。
    特に日本人は泣くという行為を大切にしてきた。
    感情が豊かであり、情緒的であることが
    日本人のいいところなのだ。
    またこのことについては書いてみたい・・・

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