春の残雪テレマーク
四月の第二日曜あたりと言うと、だいたい春めき方にも気合が乗り、セーターは当然として、コーデュロイのパンツなんかも思わず躊躇してしまうくらいになっている。そのような頃合いに、全く躊躇することもなく、朝からテレマークスキーを担いで医王山へと出かけるというのは、ボクにとって、ごくごく当然のことであった。
朝からというのは少々オーバーで、実際は九時頃であった。担いで出かけたというのもかなりオーバーで、実際はクルマで出かけたのだから担いでなんかいない。クルマまでは担いだのではと気を遣っていただけるかも知れないが、テレマークスキーの特徴は軽いことであり、担ぐというほどの大袈裟な行為は必要ないのだ。ただ、背中のリュックやらの関係で担ぐことはあるから、担ぐ必要がないというのは正しくない。
相変わらずそんなことは全くどうでもよくて、今シーズン初めてのミニ山スキーツアーに出かけたのである。今冬のドカ雪の時期に、家の周辺を人目をはばかりながら駆け回ったことはあったが、今度は全くはばかる必要はない。それどころか、どこでひっくり返ろうが、喚(わめ)こうが、こっちの勝手だ。それが山スキーツアーの醍醐味なのだ(敢えて強調するほどのことでもない…)。
そういうわけで、わが内灘から最も近い手頃なフィールドしては、まずこの金沢市と福光町との県境に伸びる医王山周辺がピックアップされるのである。
しかし、最近は雪が少なく楽しみがなかった。医王山の春は、襟裳岬みたいに何もない春だった。ところがだ。今年の冬は久しぶりに気合の入った雪が降り、医王山周辺の白さが際立っていた。戸室山も白兀(しらはげ)山も奥医王山(最高地点)も白さが強かった。特に白兀山は、頂上近くに岩や土が露出した場所があり、その場所が冬の降雪で完璧に白くなるところから、そう呼ばれている。
今年はまさにその白兀(しらはげ)だったのだ。逆に言えば、その樹林帯の切れた場所の白さ具合で積雪も把握できるということであり、樹林帯でも低木たちは雪の下にあるということだった。十年ほど前までは、それが普通だったとも思う…。
山麓のスキー場や放牧場あたりでも、想像したとおり四月としてはかなりの積雪があった。陽光を受けて光る雪原を目にすると心が躍る。それもかなり激しく躍るので、抑えるのに苦労する。
何年も前、仕事で立山山麓に出掛けた時にも、もう営業を終えた粟巣野スキー場で心が躍った。当時、立山山麓の大山町(現富山市)のまちづくり的な仕事をしていたのだが、太郎のマスター・五十嶋さんに委員になってもらい、ボクとしては最高の舞台だった。その日はスキー場のロッジ経営者たちと会合があり、夕方からの会合前の時間に、ふらふらと周辺を散策していた…と記憶する。
粟巣野スキー場というのは、立山山麓のスキー場の中で、最も奥にあり、そこから先は道もない。ボクは駐車場から、まだたっぷり雪が残っているゲレンデを見上げていたのだが、そのうち我慢が出来なくなり、そのまま雪の中へと足を踏み入れて行った。
その頃は、普段でも山靴に近いものを履いていたので、雪原歩きはちょっと注意すれば大丈夫だった。雪もこの季節になるとある程度締まっていて、埋まったりする心配はない。
気が付くと、ボクはかなり奥まで来ていた。始めはゲレンデの中央部を歩き、途中からは出来るだけ登りの緩い斜面を登ろうと脇の方へと移動した。本格的な登山靴を持っていれば、とてつもない快適な雪山歩行が楽しめたが、贅沢は言えない。
ちょっと大きめの斜面を登り切って、緩やかな雪原に出た時だった。大木が並んだ(と記憶するが)場所を歩いていると、いきなり木の陰から山スキーヤーが現れた。何となく、ゆっくりと滑り降りてくる緩いエッジの音が聞こえているような感覚があったのだが、目の前に現れたスキーヤーにボクは驚いた。
しかし、ボク以上に驚いたのは、そのスキーヤーだったに違いない。彼はボクを上から下までじっくりと見てから、コンニチワと普通に挨拶した。ボクも答えた。サイコーですねと付け加えたが、彼はそれには答えなかった。
小さなリュックを背負ったスキーヤーの後姿を追いながら、ボクはさっきの彼の視線を思い返した。そして、自分の着ているものにハッと気が付いた。ネクタイを締めジャケット姿のビジネスマン・スタイル…、TPOを全く逸脱したそのスタイルは実に奇妙に映ったに違いない。ひょっとして、自殺者とでも思われたかも知れないと、ボクは自分自身にゾッとした。
スキー場の前の道路の横に、わずかばかりの空き地があり、そこにクルマを止める。
リアドアを開け荷台に腰を下ろし、ブーツを履き、スパッツを装着する。今では骨董品みたいな革製のブーツは出がけに防水処理はしてきたが、日頃の手入れが行き届いてなくて乾いた感じだ。帰ったら、たっぷりオイルを塗って上げようと心に誓う。
傷だらけのスキーも痛々しいが、これは宿命だと毅然とした姿勢を示す。木の枝があろうと石ころがあろうと、雪の上であればとにかく進む。時にはアスファルトの上でも、面倒くさいから行っていいよと、かつて読んだ『スキーツアーのすすめ』というガイドブックには書いてあった。立山の超長い下りや笹ヶ峰牧場辺りでは実際にそうしたこともある。
ゲレンデには、朝から来ているのだろう競技選手っぽい二人がいた。この時季、彼らにとってもゲレンデは天国だ。ポールを立て、互いにビデオを撮って練習をしていたが、ボクがスキーを付けて歩き始めた頃には、その二人も片づけを開始していた。
去年コンビニで買った日焼け止めクリームを、顔と手の甲に塗った。たしか三百円ほどのものだったが、結構効果があった。UVカットのリップクリームも、割かし丁寧に塗る。これは二百円ほどだが、昔からの愛用品。
そしていよいよ、雪の上をひたすら歩き回ったり、走り回ったりを開始。ゲレンデの斜面を途中まで登っては滑り下りること数回。その間には二三回転んだ。いや、三回転んだ。どうも右回りの時に、内側のスキーを強く後ろに引いていない…。つまりテレマーク姿勢が出来ていないのだ。もう歳なのだから、無理するなということか。テレマークは片方の膝を曲げながら滑るのが特徴。それでバランスをとる。だから、その形が出来ていないとバランスが崩れるのは当然なのである。
スキーに慣れてくると、さらに奥へと進み、広い台地上の場所で、何の脈略もないまま動き回る。ここはたぶん畑だろうと、しばらくして分かる。高台の端に行き当たると、急な樹林帯の斜面を下って遊具の並んだ公園に出たりもした。そこはもう夏になると、小さな子供のいる家族連れが楽しそうに遊んでいたり、弁当を広げたりしている場所だ。この季節だと歩くスキーの格好のフィールドになる(している)。
雪融けが進んでいる場所では、露出した草の上を透明な水がさらさらと流れていた。陽の光を受けて眩しい。リュックから冷たくない湯涌の水を取り出し、口に含む。ほっと一息。
再び登りかえして、スキー場の方へと向かう頃には、じっとりと汗ばんできた。こんなことをもう何年も続けてきたんだなあ…と、我ながらちょっと恥じらいなどを感じたが、だからどうなんだとすぐに開き直る。
ゲレンデの方に戻るようにかなり滑り歩いて、木立の中にあった石の上で大休止。ゲレンデを見上げながら至福のひと時を過ごしているうちに、若い夫婦連れ(だと思う)の山スキーヤーが大きなリュックを背負って登って行く。
途中、振り返ってコンニチワと言葉をかけてきた。雪の上に刺してあったボクのスキーを見たのだろう。テレマークですか?と聞いてくる。そうです!と答えると、ヘェーッと言ってのけ反って見せた。どういう意味なのだろうか……
うちの向かいの若いお父さんも、実は昨年あたりから本格的に山を始めて、今シーズンからは山スキーにも熱を上げ始めていた。学生時代は相撲部にいたという豪傑なのだが、でかいリュックを背負う姿はなかなか決まっている。
そう言えば、彼もボクがテレマークだと言ったら、強い関心を示していた。ただ、どうやら自分には適さないと思ったらしく、それはテレマークのあの独特な滑り方にあるのだろうとボクは勝手に推測した。かなり柔軟さが必要と感じているのだろうか…。さっきの若いスキーヤーも、たしかに体がごつかった。
スキーを履いてからちょうど三時間。適度に疲れも出てきて、そろそろラスト一本決めに行くかと、また斜面を登り始めた。こういう時は、なかなかしぶといのがボクの信条だ。
しかし、なかなか…、とにかく疲れ切っているから、すぐに足が止まる。休んでばかりいる。大息をついて、体の向きを変えると斜面の下に向かって咳まで出た。行くか…
真っ直ぐに滑り降りはじめ、左にテレマークターンを一発決め、そのまま深いテレマーク姿勢を保って、すぐに次のターンに。いい感じで締め括れそうだと気が緩んだところでまたまた態勢が崩れそうになる。何とか辛うじて転ぶことはなく下方へ。ゆっくりとスキーを滑らせながらクルマの位置を確認し、スキーの方向を変えた。
スキーが止まって、フーッと長い息を吐く。今日はこれで終わりだが、これからまた楽しい季節にしよう。そう思うと、またしても心が躍った。それにしても…、太陽が、眩しいなあ……
帰り、山麓の道の脇には、桜が咲き始めてもいた……
お疲れさまです。
楽しそうですね。
こっちもなんだか、
筋肉痛になったみたいです・・・
2週間前から数年ぶりに懸垂を再開しました。順手で3回半、逆手で6回半でふ!(T-T)
お互い50代後半!!!、、、まぁ、無理せず、、、がんばろまい!!!
祥稜 拝
同感・・・・・。
ただカラダ動かしてるだけじゃ能はないけど、
やっぱァ、汗かいてないといけないな・・・。