上海紀行その2~まち歩き編 『上海・街なか徒歩ホのホ』ツアー


 上海二日目の朝が、しみじみとやってきた。

 どういうのをしみじみとやってきたというのか、明解な答えはないが、とにかくホテル10階の窓のカーテンを開けると、相変わらずはっきりとしない街の風景が眼下に広がってきたのだった。

 前日、上海空港から市街地までの道すがらも目にしたが、とにかく上海は街づくりが今も盛んで主体は郊外に移っている感じもするが、道路工事や建築工事がどんどん進められている。だから、自動車の往来も激しく、埃(ほこり)っぽい。

 それと梅雨入り間近の湿っぽさも加わり、空はうすらぼんやりとしている。空というか、街全体がそのぼんやりの中にあるように見える。

 そういえば、地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんも、上海ではあまりきれいな青空を見ることはできないと言っていた。それを聞いて、ボクは自分がこの街には住めないニンゲンなのだということを悟ったりもした。

 というわけで、上海二日目の朝6時40分(日本時間7時40分)頃に起き上がったボクは、朝食をとりに1階レストランへと向かい、いつもよりちょっと多めに朝食を食った後、相棒のSと「上海・街なか・徒歩ホのホ」ツアーへと出かける準備に入ったのである。念のために言っておくと、このツアーはエージェントのオプションではない。ボクが勝手に名前を付けたオリジナル・プライベート・ツアーなのだ。

 それにしても、着いた翌日から自由行動とはおかしいではないかと思うだろう。ボクもそう思った。こういうことをするから、「視察旅行なんて大方遊びに行くようなもんよ」と言われるのだ。しかし、決められたことは仕方がない。本当は着いたらすぐにでも万博会場を訪れ、正しく見聞を広めて、あまり長くもない将来の役に立てようと思っていたのだが、決まりは決まり。その決まりを破るわけにはいかない…

 8時20分にホテルを出てから、まず田子坊(でんこうぼう)という場所へと向かった。西か東か、南か北かは知らない。とにかくホテルの門を出て左の方向へと進んだ。

 あまりおろおろと歩かない方がいいと、地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんから言われていた。だが、ボクとSは出かけるのなら歩いてという明解な基本方針を打ち立てていた。田子坊から次の豫園(よえん)という人気スポットまではさすがに距離があり、タクシー利用を決めていたが、それ以外はひたすら歩くことにしていたのだ。

 外は蒸していた。もう本当に梅雨入りしてもおかしくないという頃らしいので、こういう蒸し暑さは、ある意味懐かしくもあった。もちろんいい意味での懐かしさではなかったが、久々に梅雨を意識させられた。

 書き遅れたが、ホテルは花園飯店上海といって、1926年に建てられた内部装飾の美しい建物だった。フランスクラブという名で親しまれていたという。1990年から日本のオークラ系列ホテルとなった。部屋の窓からの風景も高層ビル群と緑の庭園とが上下に配置され、いい関係を形成していた。日本人観光客が多いわりには、末端の従業員のサービスがイマイチだったが、それも今はまだ仕方ないことなのだろう。

 ホテルを出てから15分くらいが過ぎると、いよいよ上海市民の生活の匂いが漂うあたりを歩くようになっていった。もう観光客を相手にするような店はなく、華やかなブランドショップももちろん消え失せていた。歩道を行き交う人たちも普段着の人ばかりとなり、上海では禁止されているらしいパジャマ姿の人たちも何人か目にした。クルマやオートバイ、自転車などが、まるで敢えて混雑を煽っているかのように道路を走り抜け、交差点へと飛び込んでいく。その一団が通り過ぎると、とくに脇道などはサァーッと静けさを取り戻す。

 枝をたっぷり伸ばしたプラタナスの木々が並ぶ通りは、いつでも薄暗く、夏の暑さをしのぐ役目を果たしているのであろうと思わせる。しかし、それにしても狭い道での並木がもたらす薄暗さは、日本ではちょっと考えられないほどだ。このままでは根クラな人間ばかりできそうで、もう少し陽が当たってもいいのではないかと余計なことを考えてしまった。

 田子坊には意外なほど早く着いた。というか、早く着き過ぎて、その一画に集まるユニークなギャラリーなどはまだ開いていなかった。狭い路地の空間を歩く。映画に出てきそうな怪しい雰囲気の中に面白そうな店が並び、すでにオープンしている店では、屋外のテーブルで朝食をとっているのであろう欧米人たちの姿もあった。そのすぐ脇を身体をよけながら通り過ぎていくと、ちょっと大きなスプーンを持ってスープらしきものを口に運んでいた白人女性が、ニコリと笑い返してきた。そう言えば、ボクたちもここでは外国人なのだと思ったが、日本人であることがすぐ見破られることが後日分かり、往生した話については、覚えていたら、どこかで書く…

 ギャラリーなど見たいと思っていたものが見られず、どうしようかとしばらくボーっとしていたが、また歩くことにした。途中でこれも経験と、道沿いにあったスタバに入って休憩。そう言えば、地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんが、上海にはスタバが多いと言っていたことを思い出した。店の中はかなり殺風景な雰囲気で、日本とはかなりイメージが違った。ただ、そこの場所の問題なのかも知れない。二階に上がると、マフィアの下っ端みたいなオトッつあんが、一人携帯電話を覗きながら、ふんぞり返っていた。イスやテーブルも含め何となく落ち着かなかった。

 ホテルの方へとまた戻るようにして歩き、そして大きな通りに出たところで、今度はすぐにタクシーを利用することにしていた。

 上海の有名な観光スポットである豫園(よえん)へ向かうためだ。ここはどうしてもタクシーを利用しなければダメですと、地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんが言っていたのだ。距離的な問題でだ。

 大通りに出て、Sが素早く停めた、とても綺麗とは言えないタクシーに乗り込む。豫園を中国語で正式に発音すると「ユ・ユエン」とか言うらしいが、Sがそう言っても伝わらず、結局紙に書いた豫園の文字を見せたら、すぐに伝わった。髪が短く誠実そうで、根性もあって、そのくせ優しそうな30代半ばぐらいの運転手さんがニコリと笑った。

 が、走り出すと、タクシーはアクセルに遊びがないかのような勢いで加速していった。小さな隙間を合理的に活用していき、というと聞こえはいいが、早い話が小さな隙間にどんどん自分のクルマを割り込ませていき、容赦ない陣取り合戦の中へと我が身を投じていくのである。

 だが、しかし、我が身と言っても、その一心同体の中にボクたちも一応含まれていて、そのことを知ってか知らずか、時折運転手さんの斜め横顔を見たりするが、髪が短く誠実そうで、根性もあって、そのくせ優しそうな30代半ばぐらいの運転手さんは、表情ひとつ変えずに、アクセルを踏み続けるだけなのであった。そのおかげもあって?ボクたちは少なくとも自分たちが思っていたよりも早く豫園に着いた…ような気分になれた。

 豫園に来て、ボクたちは上海の凄さを実感させられた。前日の外灘(ばんど)もそうだったが、この豫園に集まってきた人の数もハンパではなかった。

 豫園を紹介するとすれば、一大テーマパークだ。旅行ガイド的に言うと、16世紀の中頃に18年の歳月をかけて造られた庭園があり、それを囲むようにして明・清時代の街並みが復元されているというところなのである。しかし、こんな説明では豫園を紹介はできない。街並みが復元されているという一帯は「豫園商城」と呼ばれていて、食べたり土産物を買ったりするバカでかいエリアなのだ。

 ボクたちはここでとりあえず昼飯にありつくことにしていた。そして、その時に冷たいビールなんぞも飲めるであろうことに、当たり前のように望みを抱いていた。ところが、そこにはビールはなかった。それどころか楽しみにしていた中華B級グルメのレストランでも席をとれる状況ではなく、できたのは、ただひたすら途方に暮れることだけだった。とにかく人でごった返していた。飲茶の店に入ろうにも長い行列をつかなければならず、豫園までは来たが、そこまでして昼飯にありつこうとは思わなかった。

 そこでボクたちは、B級グルメを諦め、C級もしくはD、あるいはEでもまあいいか的なところで手を打つことにした。そんな店はいくつもあったが、とりあえず屋台テイクアウト型の店に的を絞った。そして、何が不満なのか、とにかく機嫌の悪そうなお姉さんやお母さんが座っている、微妙な店を見つけた。

 まず食べたのが、上海ガニの天ぷら。上海ガニと言っても、ほとんどが足だけしか原形をとどめておらず、天ぷらの衣でそのことをカムフラージュした代物だった。代金は15元。1元が約15円だ。脂っこいが、それなりの味だった。立ち食いでかぶりついていると、やはりビールが要ると実感。しかし、それは叶わない。

 空腹はそれだけでは満たされず、次の店に梯子することになった。すぐ近くで見つけたのは、日本で言う油揚げに似た食べ物だった。日本における豆腐屋さん系食品にはウルさいボクとしては、そのまま素通りのできない状況になっていた。日中の油揚げ対決を見届けていかないと気が済まなかった。

 しかし、ここでも愛想などとは全く縁のないようなお姉さんが、白い袋にその食べ物を詰めると、放り投げるようにボクに渡した。呆気に取られながら、ボクは「シェ・シェ」と礼だけは言った。ちなみに、「シェ・シェ」とは中国語で「ありがとう」の意味である。

 直径15センチぐらいだろうか。手に持つとかなり温かかった。思い切りまず一口かじりつく。ウッ? 食感が違う。そして、すぐに味も異なり、それが油揚げでないことが分かった。思わず、かなりガッカリした。決して不味いわけではなかったが、油揚げでなかったことで、買ってしまったことに対する後悔が生まれた。この油揚げもどきは、実はお好み焼きを揚げたようなもので、とにかく後で胸やけに襲われることを予感させたが、実際に食べ終えて、三十分ほどその症状に悩まされた。Sは、シューマイにストローを差した奇妙なものを、美味い美味いと吠えながら食べていた。

 人並みに押されながら豫園のはずれにあった露店でコーラを飲み込むまで、ボクの胸やけは続いた。ところでビールなのだが、ここでは昼間から酔っ払うのを嫌うらしく、酒類は出さないのだということだった。

 豫園からは、いろいろな場所へと行けるのだが、ボクたちは前日空港からちょっとだけ立ち寄った外灘(ばんど)に向かうことにした。方角だけ確認して、とにかくその方向に向かって歩くことにした。地図で距離を見ても大したことはなかった。

 外灘は、19世紀末から20世紀半ばにかけて建てられた、ヨーロッパ風の建築物が並ぶ独特の街だ。黄浦江(こうほこう)という大きな川の対岸には、100階部分に展望台(後日上ってきた)をもつ上海ヒルズ(森ビル)や、ユニークな形のテレビ塔などが並び、上海の古さと新しさが川の両岸にある。

 15年前はまだ対岸は畑だったと、地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんが言っていたが、前日見た夜景のスケールは圧巻だった。何もかもが光っていた。         

 外灘である。実はボクはこの外灘に強い関心というか、親しみを感じていた。というのも、ボクの生まれ育ったのが内灘で、外と内という相反する意味を持つ文字でつながった因縁を感じてしまったからだった。そのことを地元ガイドで、日本語がぺらぺらで、年齢は20代後半だという陳(ちん)さんに話してみたが、陳さんは「はぁ、そうですか」と、特に強い関心も示さず、いつものようにただニコニコしていただけだった。しかし、ボクは街で「外灘」という標識などを目にするたびに、日本海を挟んで、上海とわが内灘とは何か歴史的につながっていたのではないかと思いを馳せるのであった…

 外灘から北京東路という通りに入り、これまた多くの人たちで賑わう現代的な商業ゾーンへと足を向けた。途中から歩行者天国のような状態になり、ボクたちは静かに人の流れに呑みこまれていった。

 それから約一時間後だろうか。

 ホテルの近くまで戻った時、Sが、妙なラーメンを食いたいと言い出した。すぐ近くに店があるはずだと言い張るが、なかなか見つけられない。ボクはどうでもよくて、店も見つからなくていいやと思っていたのだが、不意に自分の立っている目の前に看板を見つけてしまった。ビルの4階にその店はあった。

 時間も中途半端だったが、店員も中途半端で、Sが求めていたラーメンがなかなか伝わらなかったが、何とかそのラーメンにありつけた。醤油味のネギと肉を油で炒めたものが乗っかった、それなりに美味いラーメンだった。店員の愛想は相変わらずだったが。

 そんなわけで、またブラブラと歩きながらホテルへと戻ったのが夕方。

 翌日からの万博視察に向けて、足の筋肉に余裕を残しておきたかったのだが、それは精神力の方でカバーすることにしたのである……

      


「上海紀行その2~まち歩き編 『上海・街なか徒歩ホのホ』ツアー」への1件のフィードバック

  1. 早く、つづきが読みたいんだけどなあ…
    相変わらず忙しいのかなあ…
    でも、そんなん乗り越えるのがナカイさんなんだよね。
    雨の休日、待ってます。じっくりと。

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