自説“年の瀬”について


 

 静岡の三ケ日から、丹精込めて作られ、収穫されたばかりの新鮮なミカンが届いた。

あの甘さを味わうと、今年もそろそろなのであるなあ~としみじみ思ったりするのが毎年の恒例だ。

大学時代、クラブの同僚だったS水クンの実家から送っていただいているものだが、初めて送っていただいてからもう三十年ほどが過ぎた。

ボクには幸運にも三ケ日のミカンとともに、甲州勝沼の葡萄農家(本業は公務員)の同僚もいて、秋口にはその幸にも恵まれていたりする。持つべきものはいい友人なのだ…

 

ところで、年が押し迫った時期のことを“年の瀬(セ)”と呼んだりするが、その決まり事でいくと、今頃は“年の砂(サ)”にあたるということを知っているだろうか。

そんな話聞いたことないという人のために説明しよう。

昔の人は、十二月はその年の最後の月であるから、できるだけ細分化して時間を有効に使おうと考えた。

昔と言うのははっきりしてないが、たぶん江戸中期から後期にかけてで、どちらかと言うと後期が正しいのではないかとボクは思っている。

で、その昔の人たちが考えたのが、十二月を五分割にしようということだった。

つまり、そうすることによって、その年の締めくくりや、新しい年を迎えるための準備がきっちりできるであろうと考えたのである。

そこで考案したのが、“あいうえお”の応用。つまり五つの文字で分割した期間の呼び方を決めようとしたのだ。

ただ、すんなりと決まらなかったのは言うまでもない。

“年の…(なんとか)”にしようというまではよかったが、“アカサタナハマヤラワ”の中からどれにするかだった。

さらに、特に力の入る十二月の下旬に入っていくあたりを軸にして、しっかり決めようということになっていて、四番目(「え」の列)に出てくる言葉の響きを大事にしようということにした。

最初はやはり元になるア行でどうかと考えた。が、“年のエ”では締まらない。

次にカ行で考えてみたが、“年のケ”でボツ。サ行は飛ばして、続いてタ行も今ひとつ。ナ行も“年のネ”ではね~と、甘ったるいとされた。

ハ行に至っては、“年のヘ”で問題外。

マ行はそれなりに頑張ったが、やはり“年のメ”は弱かった。ヤ行には四番目はなかったし、ラ行は“年のレ”でどうも日本語的でないとされ、ワ行は初めから相手にしてもらえなかった。

そんなわけで十二月は、残ったサ行を用いて分割されることになったのだ。

その後、漢字をあてていき、“セ”を“瀬”にしたあたりなど、昔の人たちの粋な風流心に敬服せざるを得ない。

年末に向けて、時が沢の瀬のように流れていく様子を当てたのだろうが、見事である。

ところで、現代では、“年のセ”つまり“年の瀬”だけが残って使われているが、もちろん当時は、“年のサ”から“年のソ”までがあったのだろう。ただ、どういう漢字が当てられていたのかは分かっていない。

自分なりに想像してみると、年の砂(サ)・年の思(シ)・年の守(ス)・年の瀬(セ)・年の甦(ソ)あたりでなかったろうかと思ったりする。

砂のように揺れた年を思い、今年にかけた信念を守り続けてきたかを自問し、瀬のごとく流れ去っていく時の中で、見失いそうになる自分自身をもう一度甦らせようとする……

やはり、サ行はなかなかいい感じなのだ。

 

今年の十二月、つまりこの師走はすーっと音もなくやってきたという感じがしている。このまま音もなく今年が終わり、新しい年が来るのかというと、決してそんなことはないだろうが、この十二月への入り方は、どうも胡散臭い。

今この文章を書いているのが十二月のアタマ。その胡散臭さを示唆するかのように、十二月には仕事の予定がどっさりと組み込まれた。

なぜこんな時期にと、あちこち飛び回ることにもなっている。何とか“年の甦”まで生き延びねば……


「自説“年の瀬”について」への2件のフィードバック

  1. ナカイさんの自説は、
    大概「偽説」なので、
    騙されませんよ…(笑)。

  2. 久しぶりです。
    「年のへ」にならなくてよかったなあと、つくづく思いました。
    でも、何となくそうなのかもなあとも思ったりして、
    昔の人たちのアイデアだとしたら、それもあるんじゃないかなあと。
    想像はどんどん広がりますねえ…

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