正月における正月的雑感・・・


 

 今年も、正月が“それなりに”やってきた。 “それなりに”やってきて、“それなりに”去っていった。

最近の正月は“厳(おごそ)かに”やってこなくなった。

一月は単に一年の最初の月であって、大晦日から元旦にかけての、あの独特な空気にも鈍感と言うか疎くなっている。

独特な空気って何ですか? と言われても簡単に説明はできないが、かつては、「そうか、いよいよ新しい年が来たのだナ」とか、「日本の正月はいいなあ」といった感慨みたいなものがあったのが、そういうものが最近はあまりない。

なぜなのだろうか?と考えていると、まず思ったのが、NHKの超年末年始番組『ゆく年くる年』を見なくなったことである。

テレビは娘たち中心に流されていて、紅白歌合戦も最近ではよくて二画面の片方。しかも歌番組なのに音無しで映されていて、聞きたい歌のところになると一画面になるといった具合だ。

さらに、紅白の勝負など問題ではなく、好きな歌が終わったらすぐにお笑いの方に戻る。一応こちらも嫌いではないので、それなりにその方向のものを楽しんでいたりもするので始末が悪い。

『ゆく年くる年』を「超年末年始番組」と位置付けるのは、まさに大晦日の切羽詰まった時間から始まり、名刹・古刹の寺で鳴らされる除夜の鐘の音(ね)を聞きながら、そのまま静かに新年の空気の中に染み入っていくあの演出が、「超」に値すると思うからだ。

実に全くカンペキなまでに、日本の正月風景(情)が、あの番組からは伝わってくる。

今年の大晦日も見れないなと録画予約をしようと思ったが、あれを録画で見ても特に意味はないだろうとやめにした。

 

もうひとつ正月が厳かにやってこなくなった理由を上げるとすれば、やはり正月に仕事関係のスケジュールが入ってきたことだろうか。

会社に長くいると、そのうちちょっとばかり偉い立場になっていき、その後に妙な役割が巡ってきたりするから、会社長くなってきたなあ~と思う人は気を付けた方がいい。

正月がいつのまにか窮屈な日々になってきたのは、そんな影響からなのだろうと最近思っている。

時々、正月なんか来なくてもいいなあと思ったりもする。来てもいいけど、すぐに去っていってほしいなあとも思ってしまう。こうなると重症と言えるかもしれない。

酒が入ると、俄かにそんなことは忘れてしまうくせにだ……

今年の正月も当然そのパターンがやってきた。元旦の午前中から礼服を着て出かける。

「あれ?オレって経済人だったの? いやたしか文化人だったはずなんだけど…」と、ネクタイを締めながらマヌケなことを考えたりしている。

そんなことは特別なことではなく、世の中には正月から働いている人もたくさんいるのだから、深く考える必要はないのです……と、言われそうだが、こちらとしても深く考えているわけではない分、余計に浅くボーっと思い耽ったりしてしまうのだ。

 

元旦の昼前、ある儀式的会合で一緒だった古い親友・A木クンと街に出た。ちなみに、A木クンは今や金沢では大手になる会社の“やり手”社長さんだ。大学時代には、少林寺拳法部の主将を務め、試合前の練習中に日本武道館のでかい(高い)ガラスを割ってしまったという愉快なエピソードを持つ。

二人でニューGホテルからブラブラ歩き、東QホテルのSタバに入ろうと思ったが、そこは休み。斜め向かいのミスDにするかと互いに顔を見合わせたが、どうもなあという表情……。結局、竪町の入り口まで歩いて、Mックに入ることになった。

若者や、ちょっと大人の夫婦連れだろうか、そういう客層の中で礼服を着たオトッつァん二人が、コーヒーとフライドポテトを口にしながら語り合う。店はいっぱいで、その雰囲気には、全く今が正月真只中という匂いもない。

何となくその空気がさびしかったなあと思いつつ店を出ると、コンビニなども客が入っていて賑やかだった………

 

話は一気に飛ぶ……。

学生時代、北海道釧路市出身で文学部英文学科の三年だったI松さんという先輩が、東京で年を越そうとした。

ボクとその先輩は某体育会クラブの寮で、当時同部屋だった。とても面白い先輩で、卒業後は釧路に戻って高校の英語の教師になり、今はどこかの校長先生をしていると聞いている。

お父上がまた破天荒的ユニークな人生を歩んだ人で、本当はかつて釧路でサントリーレッドに顔をしかめながら聞いた話などに脱線したいのだが、容量不足になりそうなのでやめとく……。

で、ボクはその年、暮れの二十八日まで麻布十番でバイトをし、二十九日の電車で帰省した。しかし、先輩は東京で正月を迎えると言って、帰省しなかった。

そして、年が明け、また学校が始まる頃、寮に戻ってみると先輩がいない。

翌日になって、大きなバッグを持って戻ってきた。釧路へ帰っていたという。

先輩は大晦日の深夜までバイトをしていた。そして、正月は布団にもぐり込んで昼を過ぎても寝ていたらしい。

当然腹が減ってくる。部屋にも食堂にも食べるものは何もない。せいぜいお湯を沸かしてインスタントコーヒーかお茶を飲むくらいだ。

とりあえず駅の方まで歩いて、どこかで何か食べて来ようと思った。

ところがだ……。駅前などにある飲食店は軒並み休みだ。商店なども完全閉店状態。飲食店には、新年営業開始は早くて三日からといった貼り紙が出ていた。

今と違ってコンビニなどまだ広まっていない。せいぜい、たすと18になる数字が名前となって、なぜか“いい気分”になるよとコマーシャルしてる店が都内に出始めた頃だ。小田急線生田という小さな駅前の商店街などには、まだその匂いすらも感じることはなかった。

先輩は電車に乗って、すぐ近くの駅にも下りてみたという。しかし、どこも店はやっていなかった。

寮に戻ると、すごい危機感みたいなものを感じたらしい。大袈裟に言えば、このままここにいたら、野垂れ死にするかもしれないみたいな……。

それですぐに荷造りし、翌日羽田からキャンセル待ちで勝ち取ったチケットを手に、釧路へと帰ったのだと……。

 

今だったらカップ麺くらい用意しておけば、何とか越年はできただろうにと思う人も多いだろう。それが普通のニーズであることも間違いない。さらに新宿まで、いや下北沢まで行けば、なんかあったのではないかと思うかもしれない。

しかし、先輩はそれ以上動かなかった。正月からみじめな思いをしたくなかったのだろうと思う。気持ちは分かる……

 

最近よく、正月になると先輩のこのエピソードを思い出す。

あの時代頃までは、やはり正月に、特に元旦にわざわざ外出するなどということはあまり考えなかった。

 

 

正月二日も午前中から初売りを始めたお店などへのあいさつ回りに出た。

着替えながら、朝のテレビで特集されていた京都・修学院の美しい姿に、しばし“厳かさ”を感じた。

そのすぐ後、正月型の顔に矯正しながら街を歩く。街はかなりの賑わいだ。

数字をたすと10になり、かけると0になるという渋谷系の某商業施設では、十代らしき若い女の子たちでごった返していた。

「おお、あけおめ~」「いやあん、あけおめ~」と、十メール半ほどの距離をおいて新年のあいさつが交わされる。

こっちは、ついつい「なんだ、おめ~」と言いそうになった。

責任転嫁せず、今年はしっかり『ゆく年くる年』を見なければならない。正月は、やはり、好きなのだ………

 


「正月における正月的雑感・・・」への3件のフィードバック

  1. 1980年代、前半頃まで、元旦は、ほとんど休みで、本当に正月らしかった気がします。車も少なく街が静かでした。正月には静寂が大事だと思っております。

  2. 「ゆく年くる年」のあの雰囲気は、
    いい意味で緊張感があって、私も好きです。
    いつだったか、永平寺からの放送の時には、
    雪におおわれた境内がとても素敵で、
    強く印象に残っていますね。
    それにしても、正月は家でおせち料理なんて時代は
    もう終わったんですかね。
    二日の夜は、すき焼き、三日の朝はトーストとコーヒー。
    誰が残ったおせちを食べるのか・・・・・・です。
    だから、作らなくもなった。
    新年早々、沈んでちゃいけないんだけど・・・・・・

  3. おめでとうございま~す。
    そうなんですね。
    何気なく、ぼーっと正月を過ごしてましたが、
    帰省とかある人たちは大変だし、
    いろいろと動かなければならない人たちは
    のんびりと正月を送っていないんですね。
    でもまあ、一年始まってしまいました。
    今年も楽しませていただきます。

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