この冬、白い世界から始まるもの
去年まで、五年ほど続けて京都駅の大きなクリスマスツリーを見てきたのに、今年は見ていない。
別にそのツリーを見るために京都へ行っていたのではないが、もうクリスマスも間近になってしまった今頃になって、何となく後悔のような淋しい気持ちになっている。
去年の今頃書いた文章には、クリスマスについての自分の思いを書き、自分たちのバカバカしさみたいなことと、単なるロマンチックなイメージづくりへの皮肉みたいなことを綴った。
それはそれで自分の感じ方なのだから仕方ないのだが、今年は少し違っている。
それは、やはりあの震災があったからで、こういう状況下でのクリスマスには、違った意味のようなものを感じている。
サンタクロースも、そのサンタが届けてくれるプレゼントも、ツリーの明かりも、それらがすべて、今はそれなりに必要なものなのだと思っている。
先週、銀座や有楽町などで見たイルミネーションの光などにも、ボクは特別な何かを感じてしまった。
節電への無配慮とか空虚な演出みたいな思いもあったのだが、それは不思議と消えていた。
職業柄、ああいうものにはいつも敏感でいるのだが、あんなに見入ったのは初めてだったかも知れない。
そのことを力強く意味づけたのは、何よりも子供たちの笑顔だった。そして、それを見て喜ぶ大人たちの表情だった。
雪が舞い始めて、年の瀬の慌ただしさとクリスマスの賑やかさに拍車をかける。
家の前の馬繋ぎと、その周辺の枯れ草たちにも雪がうっすらと乗った。
雪は何もかもを覆い隠すように白い世界を作ってくれる。
この冬が、もういちど新しい何かを生み出してくれるターニングポイントになればいいと思う。
すべてを白くしたあと、また新しい色を塗りたくっていくのは、絆で繋がれた日本人であるボクたち自身だ………