上海紀行・やっと最終章 上海の夜は更けて…… 


 

 万博2日目の日が、実質の上海滞在最後の日と言ってよかった。翌日の上海出発は朝早かったからだ。

 万博会場を午後2時に脱け出したボクたちは、朝、北ゲート近くのバスを降りた地点まで戻り、そこでタクシーを拾った。

 「ユ・ユエン(豫園)」 前回は伝わらなかったが、今回は一発で伝わる。少しずつ発音が中国人っぽくなってきたのだろうか。

 なぜまた、豫園(よえん)に行くことになったのか? それはみやげを買うにあたって、いろいろと見てきたが、ガラクタも含め、あの辺りがいちばん面白いのではないかと考えたからだった。そして、豫園に寄ってから、そのまま新天地という上海の新しい人気スポットへ行き、そこでビールでも飲みながら、上海最後の夜をしみじみと過ごそうではあるまいかと決めていた。それにはおまけがあり、豫園から新天地までの歩きの時間もまた楽しみのひとつになっていた。

 豫園に着くと、またしても、とてつもなき人の波に呑みこまれた。前に来た時に、だいたいのところは歩き尽くしていたと思っていたのだが、今回来てみると、また新しい道を歩いていることに気付かされる。

 ボクにはどうしても一度行ってみたい工芸品の店があった。そして、真っ先にその店に向かった。その店さえ行ければ、あとはどうでもよかったのだが、それでも歩いているうちに、面白そうな店があると、何度も立ち寄った。

 Sは、球状のガラス玉がどうのこうのと言って、怪しい店に入って行っては、思うようなものはなかったとガッカリして出て来ていた。そして、半分あきらめつつ、豫園のはずれまで来た頃、その辺りに急に増え始めた得体の知れない店ばかりが集まる一画で、ついに求めていた物体?と出くわした、みたいだった。

 若いのか年寄りなのか、よくは分からないオトッつぁんが、しきりにSに対して石を見せていた。Sも分かったような顔をしながら、それを手に取り、そのうちのひとつに興味を示すと、即決で買い求めた。

 “30元(約450円)”と値が付けられていた。Sが値切ったつもりで10元札を2枚出すと、オトッつぁんが1枚だけ持っていく。Sがきょとんとしていると、オトッつぁんは手を顔の前で横に振りながら、ニコニコしているだけだった。値引き過ぎでねえか?と、一瞬思ったが、もともとの30元が異様に高かっただけなのかも知れなかった。

 その一画には面白そうな店がいくつかあり、ボクはその中の石碑のパーツばかり集めたような店で、しばらく時間を過ごした。

 パーツばかりというのは、つまり石仏の頭部だけとか手だけとか、そんなものばかりが目立っていたからで、頭部と言っても1メートル近いものがあったりして、全体を創造すると、とんでもないものなんだと驚いたりしていた。現実的に自分が買い求めるなど思いも付かないが、絶対こういうのを買っていく欧米人のモノ好きがいるのだ。運賃も高いだろうなあと想像したが、かつて縄文遺跡をもつ奥能登のある町で、モニュメントを計画した際、中国で製作されたものが、日本国内で製作されたものよりもはるかに安かったということを思い出した。これらもそれほど高価ではないのかも知れなかった。あの時聞いた値段は、輸送船の運賃も含めても日本国内の製作費を下回っていた。さっきの石の最終的な値段も考え合わせると、何となく納得できる。そんなややこしい話はどうでもいいのだが、とにかくボクはしばし、その中途半端な石像たちと向き合い、それなりに有意義な時間を過ごせたのだった。

    豫園から新天地までの歩きは、途中で通るであろう下町の商店街の空気に触れることが、楽しみのひとつであった。そして、実際にそういう空気の中に浸ってみると、自分が異なる国のニンゲンなんだなあということを、うすらぼんやりと実感した。ただ不思議なことに、どこかついこの間まで自分たち、いや自分たちよりももう一つ上の世代の人たちが、同じような空気の中にいたのかも知れないなと思ったりもした。それは万博会場でも同じだった。見るからに地方から出てきたと想像できる家族連れなどは、40年前の大阪万博の日本人の姿だろうなと思った。

  

    商店街は活気に満ちていて、往来するトラックやオートバイも活気を煽(あお)るかのようにクラクションを連発しながら走っていた。とにかくうるさい。人も車道にあふれていて、茹でたての湯気を上げるザリガニの山や、美しい肌色をした豚の頭部の明解なディスプレイなどに目を奪われる。かと思えば、将棋のようなゲームに興じるオトッつぁんグループが、のんびり店先に腰を下ろしたりと、自分たちのペースで面白おかしく、そして愉しくいい時間を送っているのだ。

    日本からわざわざやって来て、こういう風景に見入っている自分が不思議に思えてくる。ある意味、情けなくもある。残された人生、オレはこんなことでいいのか? と空を見上げようとするが、空はほとんど見えず、代わりに3階の窓から棒を出して無造作に干されていた、デカいブリーフだけが目に入った。そのデカさも異様だったが、黄ばみも一目瞭然で、思わず上海にも進出している“ユニクロ”のことを思ったり、そういえば、“しまむら”はどうなんだと余計なことに気を配ったりしてしまった。

 

     商店街を抜けると、静かな住宅地…… というか、これから何かが建てられるのであろう、だだっ広い空き地に沿った細い道を歩いた。ずっと塀が張り巡らされている。空き地の中央に、中途半端に残されたままの建物がぽつんとあって、その解体状況の中途半端さが、余計に興味をひいた。政治の体制が違うと、ここまで変わるものなのかということを、いろいろ教えさせられたが、街なかの大型ビジュアルによる広告や、さまざまな工事の姿などを見ていくと、個人の力ではどうしようもないことが、いとも簡単に具現化されていることを実感させられる。これがひとつの理想郷なのかどうか、よくは分からないが、少なくとも何らかの大きな魅力をもっていることには変わりはない。

 

     金沢の片町にも同じ名前の飲み屋街があるが、上海の新天地は歴史が新しく、とにかく都会的な匂いをプンプンさせた、おしゃれな、大人のための一画だった。

ここでは無愛想な店員はおらず、何もかも中華づくしといった雰囲気もない。物販の店も中国であることをそれほど強調したイメージはなく、歩いている人たちも欧米系が多かった。もちろん日本人もかなり多くて、ボクとSが入った店では、すぐ横のテーブルから「私は、生まれも育ちも石川なんです」「ボクは長崎です」という会話が聞こえてきたし、少し離れたテーブルに集まっていた10人ほども、日本の大学の研究会かなんかで来ていたグループだった。

   ボクたちは、まだ明るいうちは裏通りの探検や店回りなどして時間を過ごし、薄暗くなって、まず最初の店で、ジョッキで飲むドイツビールを楽しんだ。店はほとんどが屋外にテーブルを用意していて、中よりも外で飲み食いする客の方が多かった。店は広くもない道の両側にあり、通路はとても狭くなっている。もともと照明も少ないのか、明るくはなく、テーブルの上のキャンドルが目立つほどだった。

    ドイツビールの後はまたブラブラし、腹ごしらえのためにまた別の店に入った。といっても戻ってきた場所の、さっき入った店の二軒となり。店と店との境もよく分からず、店員もよく見ないと間違えてしまう。実際、ボクたちも間違った。

    まずまたハイネケンを注文すると、Sがパスタを食べませんかと提案。グルメではないボクとしては、何でもよかったのでSの提案に賛成した。

    万博会場で食った昼食のカツカレーは胃袋にはなかったが、脳ミソの味覚記憶ボックスには残っていた。それもかなり鮮明に… それを打ち消したいという思いが強かったわけではないが、上海の最後の夜のメニューはパスタだったというのも悪くない。店員さんに注文メニューを告げると、何だか妙に気持ちが軽くなった。

     そういえば、何年か前の出張の時に、昼も夜もマクドナルドを食べたという、史上稀(まれ)にみる情けない記録を残したことがあった。クルマでの日帰り出張で、時間がなく、とにかく慌てて移動していたことを覚えている。訪問先のある町への道中で往きは昼飯抜き状態で仕方なくマックに入り、夜は早く帰りたくて、とにかくマックに入った。ドライブスルーなどというシステムに惑わされたようなものだったが、さすがに夜の部ではもらった瞬間、匂いを嗅いだだけでハゲしい後悔に襲われたのを覚えている。上海最後の夜に、なぜかそんなことを思い出した。

 それにしても、金沢でもめったに食べないくせに、なぜパスタを選んだのか。いや選べたのか。後で考えてみて分かったのは、やはり中華はもうイヤ、ということだけだった。

     パスタはなかなかいい味だった。腹も適度に膨れて、ボクたちはイスから立ち上がると、新天地からホテルまでをまた歩くことにした。

    小さな公園を横切り、大きな横断陸橋を上り下りし、明るいウインドーが並ぶ通りをまっすぐ進むと、少しずつだが街が落ち着き出す。交通量にも、人の数にも慣れてくる。スーパーに寄り道し、ボクたちのような一般庶民が買い求める食品などを見て回っていると、何だかこの街にずっと住んでいるかのような気持ちになってくる。店員さんと意味不明な会話をしたり、商品に手を触れてみたり。しかし、ボクたちのような服装をした、しかも男が二人では、店員さんたちも客だとは思っていないみたいだ。ほとんど無視されている。

    ウインドーのディスプレイも仕事柄大いに気になった。面白そうなものがあると、素材は何かとか、照明の光源はどこだとかと言って覗(のぞ)きこんだりしていた。

    ああ、こうして、上海の夜は更けていくのだなァ~そんなことを思い始めると、並木のイルミネーションの輝きや、すれ違う人たちの表情に、うすら淋しい思いも重なる。

そう言えば、本当は行きたくはないのだが…と初めは言っていたな。仕事だから仕方なしに行くなどと言っていた。

しかし、いざ帰りが近づくと、今の日本に、今の金沢に戻っても何が待っているというのだ!? 待っているのは、ただ梅雨の湿気と絶望の日々だけではないか!?などと、妙に「日本帰還反対論」を唱(となえ)えたりし、いっそのこと、このまま残っても何とかやっていけるのではないだろうかといった、「上海永久定住説」も、頭の中で整理し出す始末だった。

     しかし、日本に帰ろう!と、ハゲしく思った。日本に帰らねばならない!と、ボクはハゲしく思っていた。日本に帰って、アサヒ・スーパードライも、サントリー・モルツも、サッポロ・黒ラベルも、キリン・ラガーも、その他も、正しく飲み直そうと思った。甲州の白ワインも、まだ飲み尽くしていないではないか。そして、それらの横には、きちんと冷奴(生姜以外は何ものせないやつ)や厚揚げ(これも同様)を置こう。それらがなくなれば、当然柿の種も置かねばならない。

     そして、何よりも『ゴンゲン森と海と砂と少年たちのものがたり』の著者が中国に移住したでは、シャレにもならないだろう。

    そんなわけで、ボクの上海紀行は終わりを迎えつつあった。サヨナラ、上海……

  長くこの上海紀行にお付き合いいただき感謝。

     しかし、書いている当方もいい加減疲れてました……

  

                       


「上海紀行・やっと最終章 上海の夜は更けて…… 」への1件のフィードバック

  1. 相棒Sです。
    まんざら悪い旅でもなかった様子。
    今度は韓国でも行きますか。

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