久しぶりに深田久弥・山の文化館を訪ねると…


  七夕の日の午後、一年ぶりぐらいに“深田久弥・山の文化館”に立ち寄った。

福井からの帰り道、加賀インターチェンジで高速を降りて、加賀市役所に向かった。しかし、何年ぶりかで会おうとしていたお目当てのYさんが予定外の外出中で、ちょっと考えた末に、ここはやはり山の文化館へ行くべきだろうということにした。

山の文化館も実は仕事のターゲットのひとつなのだが、なにしろ、山をやる人で深田久弥を知らない人はいないし、自分自身もそんな一人として、その日も敢えて仕事のスタンスを柔らかめにしていた。それぐらいでないと、この施設には逆に足が向けられない。

加賀市は、大袈裟に言うと、ボクの仕事史では非常に重要なまちで、今から20年くらい前に市全域の観光CIみたいなことをやらせていただいた。観光地の調査をし、観光ルートをつくり、観光のブランドデザインを整理した上でサイン計画を作った。その中には観光ポイントそれぞれの紹介文などを日英2ヶ国語で整備するなど、文章づくりや写真撮影の仕事も含まれ、そのための取材もあって市内の多くの地を訪れたりしたのだ。この計画はその後実施され、ボクのその後の道を開く大きな事業となった。ボクがプランナーという仕事のポジションを認識した最初の仕事だったのだ。

当時は地域のそういう事業が盛んに始められた時期だったが、加賀市は石川県どころか、全国的に見ても先進的に取り組んだ都市だった。その基本プランを、なんとこのボクが作ったのだから、それはもう“大変なことをしでかしてしまう…”みたいなものだった。

ボクはそのために約5年にわたって加賀市に足を運んだ。

加賀海岸の遊歩道や、城下町大聖寺の山の下寺院群や古い街並み、温泉街やその周辺などを歩きまわり、それこそ加賀市の隅から隅までを知り尽くした感があった。鴨料理のフルコース?もその頃初めて食わせてもらったし、どこのランチが美味いとか、どこのコーヒーがいい味出しているなどといったことはもちろん、白山を眺めるならあそこだとか、ちょっと木陰で昼寝するならあそこがいいといった情報などもかなり仕込んでいた。

そして、加賀市の成果が発端となり、次が羽咋市に呼ばれ、そして富山の旧大山町、さらに能登の旧能都町、白山麓の広域ユニット「白山連峰合衆国」、志賀町などへと出向いた。むずかしかったが、楽しい時期でもあった。

加賀市へ通っていた頃、市役所観光課の担当だったのがYさんで、元気ハツラツのYさんとボクは、地図やパンフレットなどを持って走り回っていた。ヤンチャ坊主がそのまま大人になったというパターンの見本みたいなYさんは、いつも愛車パジェロの自慢話ばかりしていた。一本数十万円のタイヤがどうのこうのと言いながら、きれいな道しか走らない主義?で、クルマが汚れるのを最も気にしているのではないかという、変わった4WDフリークだったのである。

勝手知ったる加賀市だ。特に古くからの街並みが続く辺りは、好きだし、詳しい。

ボクは旧大聖寺川の対岸から、よくパンフレットなどで見る長流亭の上品な姿を久しぶりに見て、そのまますぐ近くの駐車場にクルマを停めた。背後は錦城山だ。

 そのまま江沼神社の境内へと進み、長流亭の前を通った。置かれたサインの文章は、ボクが書いたもののはずだが… と読み返すが思い出せない。長流亭は、旧大聖寺藩主の休憩所として建てられたもので、国の重要文化財だ。対岸からの眺めは素晴らしい。江沼神社の境内には、深田久弥の文学碑があるが、久しぶりの対面だった。

裏口から入って正面に抜けようとすると、鳥居の下で草取りをするおばあさんがいた。

 「おばあちゃん、暑いのにお疲れさんですね」通り抜けながら声をかけると、おばあさんは驚いたように顔を上げ、「あ、はい、どうも…」と、上品そうなやさしい笑顔で答えてくれた。いい気持ちがした。おばあさんの可愛い目が何となく印象的だった。

小さな橋を渡り、しばらく静かな住宅地の道を行くと、左に小道が伸びる。その道へと折れると、旧大聖寺川沿いに道はさらに蛇行して伸びている。

 大好きな文句なしの青空とまではいかないが、梅雨の合間の晴天日としては充分な暑さがあった。大きな木立の間からは旧大聖寺川の水面が見える。梅雨時のせいだろうか、水は決してきれいとは言えない。しかし、歩いていること自体気持ちがよく、それはあまり気にならなかった。木陰に入ると、わずかだが涼しい風も感じられた。

大して歩かずに、館の方に通じる橋の手前に着く。

ふと見下ろすと、流し舟が繋がれている。乗船料千円。11月から2月まで以外は、いつでも乗れるみたいだ。桜の頃は賑わうんだろうなあと、その情景を思い浮かべた。

 橋を渡りながら、もう一度流し舟の繋がれた場所を見る。ごく自然な風情を残す旧大聖寺川に、しばらく見入っていると、日傘をさした女性が足早に脇を通り過ぎて行った。

“こんな暑いところで、何をボーッと見てるんですか?”とでも言いたそうな早足だったので、“舟はボート。ボーッとボート見てるんです”とアタマの中で答えて、身体の向きを変えた。

 山の文化館の周囲は塀で囲われている。その塀に沿ってまっすぐ進むと立派な門があり、何となくそこで一度息を整えた。門は、国の登録有形文化財になっている。

門の中は木立の日蔭だ。左手の庭にある木板のデッキらしきものが目を引いた。以前からこういう場所があっただろうか? と考えてみたが、しっかりとした記憶はなかった。

 まあ、どっちでもいいと思い、足を向ける。そのとき、「いらっしゃいませ」と、不意に声をかけられた。スーツ姿の女性が館の前に立っていた。立っていたことは分かっていたが、声をかけられるとは思わなかった。

ボクが戸惑っていると、「こちらは展示場になっています」と、さらに女性は続け、昨日で絵画展が終わり、今は何もないが、きれいな庭を見ることができるからとボクを案内してくれた。

「聴山房(ちょうさんぼう)」と名付けられた古い建物がデッキの奥にあった。入ってすぐのところが、喫茶室になっており、奥が畳の敷かれたギャラリーになっている。ガラス戸を透して庭が見えた。それほど広いスペースではないが、なかなかいい雰囲気だ。

「前に一度、お目にかかってますよね…」

突然そう尋ねられたが、答えようがない。ボクにはまったく記憶はなかった。しかし、この加賀市ではボクはかつてかなりの人たちと出会っている。その中にその人がいたとしても不思議ではない。その旨と、自分自身がこういう施設の企画運営に関する仕事もしているということを告げると、さらに納得したみたいだった。

なんと、その人はあのYさんのかつての同僚で、どの学校だったか聞き洩らしたが、同級生だと言った。元市の職員で、そう考えれば、かつてどこかでお会いしていても不思議ではなかった。そしてさらには、ボクが自分の公私分別のない仕事やモロモロについて語っていくと、ますます興味をもたれたのか、「ここのコーヒーは美味しいですから、どうぞ召し上がっていってください」と強く勧められた。

一応、名刺交換をしなければならない気配になっていた。しかし、その時、ボクは名刺を持っていなかった。こんなつもりはなかったので、上着をクルマの中に置いてきていたのだ。

一旦クルマに戻ることにした。そのことを告げ、すぐに出ようとすると、「コーヒー淹れて、お待ちしてます」との声。ボクは門を出て、橋を渡ったあたりから走った。

結局、クルマごと戻って来て、館の前の駐車場に停めた。

女性は、Mさんと言った。Yさんの同級生ということは、ボクよりも数歳上である。肩書は「事務長」さん。しっかりとした口調で対応され、気配りのできる、そして仕事のできる女性とみた。

  リラックスして、Mさんと喫茶室で話し合っているうちに、この施設の活用などについて、その可能性を問われるようになった。

ボクにとっては、こういう場所は大好きだし、自分でも得意だと自負しているので、少しずつ自然に力が入っていくのが分かる。

外に出て、デッキに立つ。大木を見上げ、木板デッキの足裏の感触を再確認する。さらに木(敢えて、「もく」と読む)のテーブルに手を触れる。いい感じだ。

こういうシチュエーションに直面して、ワクワクしないなどということはボクにはあり得ない。アイデアが湧いてくる… イメージが膨らむ…「いいではないですか」思わず上ずりそうになる声を抑え、ボクはクールに答えた… つもりだった。

Mさんが裏庭にも案内してくれる。この場所の活用についても話してくれた。フムフムと頷(うなず)きながら、アタマの中では深田久弥との関連、山の文化からの関連、そして加賀市との関連など、どこにどのような接点を見出していけばよいか…などと考えていた。といっても、そんなにむずかしいことを思っているわけではなく、この場所に相応しい行事とは何か?というくらいで、ここに集まってくる人たちが、何で楽しめるかということを、いろいろと想像してみる。

当たり前のように、音楽を聴く、お話を聞く、美味しいものを食べる、自由に語り合う…などといったイメージが見えてくる。それらをいかに特徴づけていくか、“らしく”させていくかといったことが、思いの中で広がっていく。どんなスタッフが必要か、どんな趣向が必要か、いろいろと“そもそも的なこと”を考えていく。

Mさんから、今度、館の関係者が全員揃う時に是非来てくださいという話が出た。嬉しいことだ。何かやらせていただけるなら、やってみたいと思う。

 再び正面に戻り、展示室を見せていただくことにした。その前に正面玄関の前で、建物を見上げる。明治43年に建てられた織物会社の事務所だった建物だ。昭和50年代半ばまで実際に操業していたという。二階の窓ガラスの半分は昔のガラスで、よく見ると、少し波打っているのが分かる。展示室につながる回廊の屋根などには赤い瓦が使われているが、昔のものを再利用したものだ。

 Mさんに導かれて玄関へ。ちょっと気が引き締まるような空気を味わい、料金300円を払う。左には、山に関するさまざまな本を集めた図書室があるが、あとで寄ることにして、廊下を右に折れて展示室へと向かった。

 パイプをくわえた深田久弥の写真と、その横の窓外の様子とがマッチして、ボクの好きな空間を作り出している。何度も訪れているから、だいたい展示内容は分かっているが、また敢えて見てしまうのが不思議だ。上がったことはないが、この建物の二階には「談話室」と名付けられた畳敷きの部屋がある。そこでは山に関するミニ講演会などが行われているらしく、その活用などもかなりしっかりと行われていると、Mさんは言っていた。

Mさんの話を聞きながら、震災で大きな被害を受けた、旧門前町(現輪島市)の総持寺前の通りにある「旧酒井家」の建物を思い出した。あの建物も蔵のホールがあったり、開放するとちょっとした広さになる座敷などがあったりして、素晴らしい施設だと思っている。最近は、地元の人たちによって活用が盛んに行われているとのことだ。自分が金沢の主計町で直接関わっている「茶屋ラボ」など、世の中にはまだまだ、よくは知られていない“いいところ”がいっぱいあるのだ。

この山の文化館も、やさしい大聖寺の街並みや川のイメージなどと融け込み、人を惹きつける魅力をたくさん持っているなあ…と、あらためて感じさせる。

人はもともとこういう何かに引き寄せられる生き物でもあるから、そういった場所に集った人たちは、安心して自分自身を自然体にしようとする。だから、よりそうなれる時間を提供してあげることができれば、その空間は活きているということになるのだと、ボクは思っている。

ボクたちの仕事もそんなものなんだろうと思っている。

図書室で短い時間を過ごした後、ボクは外に出た。

木立による日影の空間が、一段と色を落としたように感じた。

 「これから、何かご一緒にできればいいですね」Mさんがしっかりと手を前に組み、直立不動に近い姿勢のままで、ボクに言ってくれた。「是非、よろしくお願いいたします」ボクもそれに答えた。

門を出ると、再び日差しの下だった。Mさんが、クルマを出すまで門の前で待っていてくれ、最後は丁重に見送ってくれた。クルマの窓から、流し舟が見えた。

そして、静かな住宅地の中をゆっくりとクルマを走らせながら、加賀のまちとの結びつきを考えていると、懐かしい人たちの顔がいくつも浮かんできた。

やっぱり晴れてるのがいいなあ。

ボクはフロントガラスからの日差しの中で、素直にそう思った……


「久しぶりに深田久弥・山の文化館を訪ねると…」への1件のフィードバック

  1. 寄稿はいただいてないが、
    不思議なくらい、この文章にはいろいろと直接コメントがあった。
    やはり、深田久弥の人気と加賀市というまだよくは知らない街に対する興味なのかな。
    大聖寺、特にこのあたりは凄くいいところだよと言うと、
    道が分かりにくいとかという声が返ってくる。
    そこがまたいいところでもあるのだが、
    もっと地元も活用しないとね。
    オレの仕事もそんなとこに落ち着くのかも知れない。

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