梅雨どきの雑感


 梅雨が好きだという人をあまり知らない。あまりと言うより、ほとんど知らない。たまにいるかも知れないが、そんなことを大きな声で言うと、周囲から妙な目で見られるかも知れないので、そのような人たちはこの時季、静かにしていると思われる。

周囲に、最近妙に言葉が少ないなあという人がいたら、そっと聞いてみよう…

「あなた、ひょっとして、梅雨のこと好きなんでしょう?」そう言った後、その人がポーッと頬を赤らめたりしたら、間違いなく梅雨に好意をもっている。両手で顔を覆ってしまったとしたら、好意以上、つまり梅雨に恋している、もしくは梅雨に愛を感じていると思っていい。だから、どうなんだと言われても困るが……

 しかし、梅雨は決して悪者ではないことだけは知っておこう。梅雨にはまったく悪気はない。

 梅雨が来なければ、われわれ日本人は主食である米を手に入れることができず、米がないと、われわれの食生活は大いに狂ってしまうのである。

 たとえば、カレーライスはカレーだけになるし、オムライスはオムだけになったり、ハヤシライスにいたってはハヤシだけになって、書いている方も何だかよく分からなくなってしまうが、楽しみが半減から四分の三ほど減ってしまう。つまり、梅雨があるからこそ、雨が農作物に恵みを与え、その結果われわれは豊かな食生活を満喫できるということなのだ。だから、梅雨を一方的に嫌いだと言ってしまうのはまずいかなあ、ともボクは思う。

 ところで、梅雨は嫌いだが、雨は嫌いではないという人がいる。ボクの場合も、自分の都合と合わせてしまうが、家でのんびりしたいなァと思ったりした時は、雨がいい。何か用事があって外出できない時や、家で仕事や書きものをしたいという時なども、雨がいい。しかし、外へ出たがりのボクとしては、基本的に晴れているのがいちばんいいから、一年を平均したりすると、圧倒的に雨に対してはダメにしてしまう。

 今年も石川県では六月の中頃にしっかり梅雨入りし、七月も下旬に入ろうかという頃には、何だか梅雨明けしそうな雰囲気になっている。週間予報でも、かなり定番的なパターンになっていて不信もあるが、西日本の雨の状況など見ていると、やはり石川の梅雨明けも微妙だ。

 七月に入って、ようやく梅雨らしくなった。

 中旬のある日、ボクは用事があって、金沢・本多の森にある歴史博物館へと出かけた。その日は、梅雨の合間の晴れの日で、ときどき目にしていた紫陽花の花を撮影した。帰り際に、クルマまでカメラを取りに戻っての撮影だった。

 それから数日後、引き続きの用事があって、また歴史博物館へと出かけた。その日は、梅雨の合間の晴れ間と晴れ間の間…… つまり正しい梅雨そのものの日で、ズボンの下の方がビショビショになるくらいの、激しい雨が時折降ってきた。用事を済ませた後、ボクは先日晴れた日に撮影した紫陽花を、もう一度撮ろうと思っていた。今度は最初からカメラを担いでいた。仕事のためだが。

 紫陽花は、木立の下に咲いているせいか、それほど雨に濡れているという印象はなかった。紫陽花の背後に、歴史博物館の赤レンガの外壁が木立の新緑の間に見え、いい雰囲気だった。

 雨の中で写真を撮るというのはあまりやらないが、雨を撮ろう、雨のある情景を撮ろうという思いが、その時強くボクの中に生まれていた。それは初めてのことだった。

 学生時代、日本文学の先生が、「日本の雨の情景がうまく表現された作品が、まだ世に出ていない…」というような意味の話をしていたことを思い出していた。その時は、なんと大胆なことを言う先生だと思ったが、その言葉を、なぜかボクは、それからずっと長い間忘れないでいた。

 ある時、兼六園の茶店の軒下で雨宿りする機会があり、その時、庇(ひさし)から落ちてくる雨粒を見ながら、これが日本の雨の情景かと思ったりした。別所の竹林に降る雨にも、同じことを感じた。しかし、雨の情景というのは、もっと心情に訴えかけてくるものであろうと勝手に思い込んでいたボクは、どうしてもその程度では納得できなかった。そこから生まれてくる物語が、ボクには何もなかったからだ。

 今年の梅雨は、なぜだか雨の情景をよく撮っている。

 山に入りかけの若い頃、雨が大嫌いで、山で降られるとすべてがゼロになったように落ち込み、訳も分からず怒ったりもした。なんで雨なんか降るんだろうとか。しかし、それから何年もの間、山に通ううち、雨の中をひたすら歩くことにも、何らかの喜びを感じるようになった。喜びとは大袈裟で、楽しみ程度といってもいいかもしれない。

 雨の情景は、見えているはずの雄大な山岳景観にベールをかけてしまうが、ベールをかけることによって、別な情景を生むことも分かった。そして、何よりも、その情景から得られる精神的な何かに気付くようにもなった。

 ただ、ひたすら歩く。黙ったまま、時折顔を上げるが、ほとんど足元に目を落として歩く。それはじっと耐えながら、ひとつの目標に向かって進む強い心の象徴のようにも思えた。山は、雨や風や雪の中にこそ、その神髄(しんずい)があるのだということを、その頃から意識するようになっていた。

 「梅雨が、明けましたァ~」 初めての北アルプス奥穂高岳… 頂上に立つ前日の正午過ぎだったろうか、上高地・横尾山荘の従業員が大声で登山者たちに梅雨明けを告げた。一斉に歓声が上がり、手持ちの鍋でラーメンをすすっていたボクも、思わず近くにいた見ず知らずの人たちと顔を見合わせ笑った。

 その日は朝から抜けるような青空が広がり、梓川の流れが一段ときれいに感じられた日だった。

 あんな嬉しい梅雨明けは、あの時以来ない。

 今年もそれほど嬉しがることはないだろうが、それよりも、雨の情景に心を揺れ動かされている自分に言ってやろう。

 「ちょっとは、大人になったみたいだな」と…


“梅雨どきの雑感” への2件の返信

  1. 雨は嫌いじゃないです。
    でも、どうせなら降らないでほしいと思ってしまいます。
    今年はまだ梅雨だなあと実感する日が少なく感じますね。
    テレビでは、いろいろと雨の被害のニュースを見ていますが、
    私たちのところは恵まれているのかなあ。

    ところで、日本の雨の情景ですが、
    私は浅野川の天神橋で見た、雨の日の雰囲気が好きです。
    日本の雨というより、金沢の雨と言った方がいいのかも。
    ちょっと寂しい気配ですが、
    それが金沢の、日本の雨なのではと思いますです。

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