hisashinakai
🖋 …梅雨明けはなぜ宣言されなくなったか?について
2011年7月5日、梅雨明け間近の夜
◆なんとなく予測がつきそうな雰囲気の中で……
どんよりとした空のねずみ色とぴったりマッチする湿気。降り続く雨が描く数えきれない縦の直線。雨粒を受けるあじさいや新緑の葉っぱの絶妙な輝き。廂からぽたりぽたりと落ちてくる雨のしずく。やたらと立派に見える他人の雨傘など、この季節は多感にさせるものであふれている。
今から書くのは、“梅雨明け宣言は、なぜ消えてしまったのか?”に関する自己整理である。自己整理がどういうことを意味するのかは、至って簡単だ。今までいろいろと語ってきたことを、活字でしっかりと残し、自分自身の疑問、そして世の多くの人たちの疑問に少しでもお答えしようということだ。
これは、ボクのことを少しでも知っている人には、待ちに待った真説の登場ということになろう。
かつて、何となく耳にしてきたこの話の顛末…、それは今から二十年ほども前の、もちろん季節は梅雨どきだったが、もう晴天の日が二日ほど過ぎたにもかかわらず、いまだ梅雨が明けたというニュースが流れてこないという、そんなある日の夕暮れ時であった。
ボクは香林坊日銀ウラで、今は亡き奥井進大先生に向かって語っていたのだ。
ある年の梅雨明け間近、ある地方の気象台の一室で、「もう雨も上がってきたし、太陽もギンギラギンにさり気なくなってきたから、今年は派手にやりましょか?」「うん、そうやな。明日準備して明後日あたり一発カマシたろか……」といった会話が囁かれていた。
ある年とはいつをさすのか? それはわからない。ボクの推測では昭和三十三年あたりでないだろうかと思う。なにしろ長嶋茂雄が立教大学から読売巨人軍に入団し、世の中は長嶋のあの溌剌としたプレイ、今風に言えばパフォーマンスに酔っていた。日本中が元気になっていった頃だ。
話は若干寄り道するが、この辺りの話は、作家で詩人のねじめ正一氏が詳しい。かつて氏をトークショーに呼んだ際、氏はいきなり長嶋茂雄の話を切り出した。長嶋茂雄の職業はプロ野球選手ではない。長嶋茂雄の職業は“長嶋茂雄だ!”と氏は言われた。ちょっと意味不明にも聞き取れるが、ボクにはその真意が分かった。氏はさらに、商店街はさつま揚げの味で決まるとも言われていたが、それについても大いに納得した。
話を戻そう……
ある年が昭和三十三年として、ある気象台とは、多分関西地区にある気象台だろうと推測する。こんなことは関西人らしい発想だ。そして、そんな時代背景を受けて、その気象台では、全国をアッと言わせようという企画をたてていたのだ。
それは、気象台の玄関前に紅白幕を張り、タスキを付けた職員がお立ち台に立って、にわか音楽隊のファンファーレのあと、力強く梅雨明け宣言をするといったものだった。つまり、お立ち台から「梅雨明け、宣言!」とやるわけである。これには地域ごとに違った設定があり、音楽隊ではなく和太鼓だったという所もある。なぜ和太鼓なのかというと、人々の話題になるようにと、和太鼓と話題をかけたのだというわけだ。他愛ないおやじギャグのようにも聞こえるが、そのけなげさを笑うわけにはいかない。
そのようにして、実際多くの見物人の前で宣言が初めて実行されるや、見物人からは拍手喝采、一躍そのニュースは翌日の新聞に載り全国へと発信された。
全国の気象台がそれを真似しようとしたのは言うまでもない。そして、当然のごとく我らが金沢気象台でもそれを行う準備が進められていた。全国初の梅雨明け宣言が実行されてから、それをやらないのは国益に反するとまで言われ、各地の気象台では、より容姿のいい職員、より声のいい職員を選んで宣言させた。
宣言する職員は、いつの間にか「宣言人(せんげんにん)」と呼ばれるようになり、独身の宣言人などには多くの女性ファンがついた。中にはそれが縁で結婚までしてしまったカップルもいたという。世間では、こういうカップルのことを「梅雨明けカップル」と呼び、“ジメジメしない、さわやかな関係”などと褒めたたえた。
特に全国に名を知らしめたのは、京都気象台のある宣言人だったといわれている。彼は平安貴族の衣装でお立ち台に立ち、雅楽の奏でられる中で、華麗に蹴鞠(けまり)を披露した後、その最後のキックで鞠を空中高く蹴り上げ、それが落ちてくるまでの間に、麗しい声で「梅雨明け、宣言!」と叫んだという。そして、体をクルリと一回転させたあと、落ちてきた鞠を左の手のひらで優雅に受け止めたというのだ。見物の輪の中に居た若い女性たちが次々と失神し、病院に担ぎ込まれたのは言うまでもない。
この華麗な宣言人の出現は、すでにとっくに梅雨が明けてしまっていた九州などの気象台職員たちに衝撃を与えた。中には、もう一度梅雨入りさせ、梅雨明け宣言をやらかそうとした気象台もあったという。しかし、一般市民の反対にあい、それはできなかった。やはり市民にとって梅雨は一日でも早く明けてほしいものだったのだ。
そして、この梅雨明け宣言ブームはいよいよ北陸へと移ってくる。金沢でも明日あたりがその日だろうという噂が広まると、街中がそわそわし始め、気象台への問い合わせも殺到したという。
ところが…、当時の金沢気象台には大きな問題があった。それはどう見ても宣言人に相応しい職員がいないということだった。悩んだ末に、気象台の責任者は、一時雇用の用務員だったある若者にその役をやらせようとする。風貌はまあまあ、なんとかなりさそうに思えた。
責任者は秘かに若者を呼び、宣言人になることを告げた。驚いたのは若者だった。
「わし、そんなこと出来んわいね…」 しかし、若者は強く辞退する。責任者はそれでもしつこく若者に説得を試みる。次第にやさしかった口調が命令調になり、最後は強制的に若者を納得させた。
そして、梅雨明け宣言しようという当日。若者は半ばあきらめの心境のまま出勤し、いつものように庭の掃除などをすませた。職員たちが出勤する前、一度練習しようとして声を出してみたが、なかなかうまくいかない。もともと口ごもるような癖もあり、語尾をはっきり言えないのが致命的だった。そして、ついにその時が来る。
舞台はできていた。糊のきいた紅白幕が張られ、風はなく、太陽は容赦ないまでに燦々と照っている。誰が見ても、もうカンペキに梅雨明けだった。若者は、別に宣言しなくても梅雨明けぐらい、この空を見れば分かるのにと思った。汗が吹き出てくる。その汗が冷や汗に変わっていく……
若者が責任者から猫背の姿勢を注意されながら、お立ち台に立つ。しかし、正面を向いた瞬間に、すぐにまた猫背になっていた。そんなこととは関係なく、拍手が起こった。歓声も上がった。そしてすぐに訪れる静寂と緊張…。若者の猫背は、二度と元には戻れないかのように硬直して見えた。
「ツユ…アケ…センゲン……」
か細く力のない声がした。どう考えても宣言というものではなかった。見物人たちからは、もっとしっかりやらんかいなどと罵声が飛び交う。
「ツユアケェ~、センゲン……」若者がもう一度言う。猫背は直らず、相変わらず、はっきりしない語尾。そして、悲劇は起きる。
見物人たちは耳を疑った。「梅雨明けせんげん、やとォ…」口々に怒りをぶつける。「お前、何言うとるんや。こんないい天気なんに、梅雨明けせんてか!」
「いや、わし…、今、梅雨明けたんで、せんげん…て、言ってんけど…」「だから、なんで梅雨明けせんがやて、おい、はっきり説明せえま!」「だから、わし、梅雨明けせんげんって、言うたがに…」
若者はお立ち台から引きずり降ろされると、見物人たちに体を押され、そのまま紅白幕の方まで押し込まれていった。危険を感じた責任者が止めようとして手を伸ばした。その手がまずいことに見物人の一人の右側頭部に当たって、たまたま右側にいた全く関係のない見物人と小競り合いが始まった。小競り合いはまた小競り合いを呼び、さらにまた新たな小競り合いを誘発、ついに警察の出動に至る大騒動になったのである。
このニュースは翌日すぐに全国へと発信される。“金沢で梅雨明け宣言失敗!”そして、“金沢では梅雨明け宣言は無理だったのか?”といった見出しが新聞紙上を賑わした。
詳しくはこう書かれていた。
『全国でブームをおこしてきた梅雨明け宣言が、金沢では通用しなかった。いや金沢では否定的にとらえられた。金沢気象台が、昨日午前十時三十二分頃に行おうとした梅雨明け宣言の会場で、職員が発した宣言に一部の見物人からおかしいという声が上がり、そのことが発端となって見物人たちが暴徒化。職員を追い詰めるなどしながら、さらに乱闘騒ぎをひきおこした。金沢真ん中警察署の警官十人が出動し、騒ぎは三十分後に収まったが、数人が軽いケガをした……』
『警察では、職員の発した梅雨明け宣言の、特に「宣言」の部分が不明瞭だったため、金沢の方言である○○せんげん(○○しないの意)と誤解されたことが騒動の原因と見ている。見物人たちの中の生粋の金沢人たちは、職員の発表を「梅雨明けしない」と解釈したらしい。また、金沢気象台では、この職員が正規の気象台職員ではなかったにも関わらず、所謂、宣言人として任命していたことも明らかにし陳謝した。”
このようにして、金沢の方言が梅雨明け宣言の全国的なブームに水をさし、この社会現象はすぐに消滅したのである。宣言人が容姿端麗で美声でなければならないという風潮を生んだことも、金沢の悲劇を生み、このようなことで気象台の権威を汚してはいけないという世論も高まった。
話はここでひとまず打ち切るが、いずれそれなりにまとめたい……
※梅雨に関する前出エッセイ 『もうすぐ梅雨明けかな?の日に・・・』 http://htbt.jp/?p=416


・・・すげー、ローカル・ネタのローカル落ちでしたね。
「月刊アクタス」くらいなら、載せられるんでしょうか、中居ヒサシ名義で(笑)。
そうだったんでしたねえ。
なんとなく覚えているような、
でも、こんなに長いお話があったとは驚きです。
長生きしててよかった。
もっともっと、N居節を期待するひとりです。
YORKのカウンターで、
奥井さんとこの類の話をしていると、
納得しながら聞き入っているような人がいて、
大変困ったことがあったなあ……
このような作り話は、別役実という本業が
脚本家である異才の影響だったのです。
蒸し暑かった夜に
これを読まされた気持ちとは…
読み始めは半信半疑だったのに、
不覚にも、中盤から後半にかけて、
読み込んでいくうちに納得していた自分が腹立たしい…?
でも、好きです。こういうの…
本文の中で書こうと思っていたのに忘れていたこと…
村上春樹は小説家は、いかにうまく嘘をつく(書く)か
みたいなことを書いています。
現実にないことはすべて嘘とは言えないけど、
ボクも何となく、こういうものを真剣に考えながら
日々過ごしてきたのでした。
すこぶる、楽しき日々でした。
かつての「ポレポレ通信」などには、
まだまだ、この手のものが残されています……