カテゴリー: 金沢のこと
香林坊日銀ウラ界隈における…こと
金沢・香林坊の中心に建つ日本銀行金沢支店が、近い将来移転する…… そんな話が “街のうわさ” になっているよと某氏が言う。だが、もう新聞にもデカデカと載って
湯涌温泉とのかかわり~しみじみ篇
休日の湯涌温泉で夢二館主催のイベントがあり、その顔出しとともに、最近整備されたばかりの『夢二の歩いた道』を歩いてきた。 その前に、かつて温泉街の上に存在して
金沢と旧柳田村を結ぶ小さな想い出など
金沢の街にあまり強く感じるものがなくなってから、何年かが過ぎたように思う。 今はただ漠然と街なかを歩いていたりする。特に新幹線と逆流するかのように、金沢観は
喫茶・Eでのひさびさの時間
紺屋坂を上りきると、兼六園と金沢城公園への入り口である石川門とで方向は左右に分かれる。 実際は左右という感覚ではないし、四方に道が伸びているといった感じだ。
ねじめ正一氏と玉谷長武クン
1997年4月発行の『ユリイカ』。 161ページから169ページにかけて綴られた、ねじめ正一氏渾身(だと思う)のエッセイに心が撃たれた。 喫茶店でしか原稿が書け
金沢の高尾山を初冬らしく歩く
12月中頃の土曜の午後、つまり初冬の休日の午後である。 金沢の奥座敷こと湯涌温泉から高尾山方面を歩いてきた。 特に計画らしきものもなく、いつもの湯涌ゲストハウス
金沢文芸館~五木寛之文庫の仕事記
金沢市尾張町にある「金沢文芸館」がこの11月で10年を迎えていた。 もっと歳月が過ぎているような感じだったのだが、意外だった。 そして、10年を迎えたすぐあと、
母の笠を吊るした足軽屋敷
金沢長町の大野庄用水沿いに、二棟の足軽住宅がひっそりと佇んでいる。 二つを合わせて「金沢市足軽資料館」という。 1997年現在地へ移転され、足軽たちの生活や仕事
金沢城・江戸末期のビッグイベントと寺島蔵人のこと
今から10年以上も前、毎年6月に開催される金沢最大の祭りの、その仕組み全般を見直すという仕事に3年間関わっていたことがある。 ほぼ無関心であったその祭りについて
🖋 小林輝冶先生の想い出
石川の文学研究をリードされてきた小林輝冶先生が亡くなり、送る会に出てきた。 先生の後、湯涌夢二館の館長になられたO田先生の隣に座らせていただき、O田先生とも久し