カテゴリー: 金沢のこと
🖋 奥井進が語った午後~ジャズ人生からジャズ的人生へ2012.6.16
◆奥井進さんが亡くなって20年 これは、1998年5月に出したプライベート誌『ヒトビト』創刊号に掲載したものです。金沢のジャズの店と言えば「ヨークYORK」
🖋 金沢・香林坊日銀ウラ界隈におけるジャズ的俳句事情
2018年の冬 日本銀行金沢支店の移転話が現実味を帯びてきた頃、コールマン・ホーキンスの「It’s the Talk of the town」を流しながら書いて
湯涌温泉とのかかわり~しみじみ篇
休日の湯涌温泉で夢二館主催のイベントがあり、その顔出しとともに、最近整備されたばかりの『夢二の歩いた道』を歩いてきた。 その前に、かつて温泉街の上に存在して
🖋 金沢と能登・柳田村を結ぶ小さな想い出
金沢の街にあまり強く感じるものがなくなってから、何年かが過ぎたように思う。 今はただ漠然と街なかを歩いていたりする。特に新幹線と逆流するかのように、金沢観は
ねじめ正一氏と玉谷長武クン
1997年4月発行の『ユリイカ』。 161ページから169ページにかけて綴られた、ねじめ正一氏渾身(だと思う)のエッセイに心が撃たれた。 喫茶店でしか原稿が書け
金沢の高尾山を初冬らしく歩く
12月中頃の土曜の午後、つまり初冬の休日の午後である。 金沢の奥座敷こと湯涌温泉から高尾山方面を歩いてきた。 特に計画らしきものもなく、いつもの湯涌ゲストハウス
金沢文芸館~五木寛之文庫の仕事記
金沢市尾張町にある「金沢文芸館」がこの11月で10年を迎えていた。 もっと歳月が過ぎているような感じだったのだが、意外だった。 そして、10年を迎えたすぐあと、
母の笠を吊るした足軽屋敷
金沢長町の大野庄用水沿いに、二棟の足軽住宅がひっそりと佇んでいる。 二つを合わせて「金沢市足軽資料館」という。 1997年現在地へ移転され、足軽たちの生活や仕事
金沢城・江戸末期のビッグイベントと寺島蔵人のこと
今から10年以上も前、毎年6月に開催される金沢最大の祭りの、その仕組み全般を見直すという仕事に3年間関わっていたことがある。 ほぼ無関心であったその祭りについて
🖋 小林輝冶先生の想い出
石川の文学研究をリードされてきた小林輝冶先生が亡くなり、送る会に出てきた。 先生の後、湯涌夢二館の館長になられたO田先生の隣に座らせていただき、O田先生とも久し
🖋 西茶屋資料館の仕事‐2 茶屋の風情
西茶屋資料館は小さな展示館だ。 自分が関わった展示施設の中では最も小さな部類に入る。 ところで、茶屋街は「にし茶屋」なのに、資料館ではなぜか「西茶屋」と表記する
🖋 西茶屋資料館の仕事‐1 「島田清次郎の世界」
金沢三茶屋街のひとつ、にし茶屋街の奥に「金沢市西茶屋資料館」がある。1996年の春にオープンした。 今はどうか知らないが、出来てしばらくの頃はほとんど誰に聞いて
ある古い洋風の家
子供の頃、この家に友だちがいて、中で遊んどったことがあるよ…… 近所にお住まいの、七十才を過ぎたある方がそう言った。 板壁の塗装は褪色し、木肌も傷み、窓の飾りも
金沢湯涌ゲストハウスにて
今年も数日間の旧盆休暇がやってきた。 我が家では、この時期にちゃんとした連休があるのは自分だけで、あとの家族はみなカレンダーどおりに仕事をしている。 だか
🖋 「にし」への道にある石段
相当古い話になるが、金沢観光の仕事にチカラを入れ始めた頃、「ひがし」はまだそれほどでもなかった。 今の「ひがし」ではなく、東山の界隈というイメージを重視して