🖋 奥能登・珠洲蛸島を歩く


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奥能登・珠洲蛸島の入り組んだ町の中を歩いてきた。

暦で見れば秋も深まり、しかも能登半島の先端に近いとくれば、そぞろ歩きなどあまり適さないと思う人もいるだろう。

しかし、そんなことを言っていては能登の空気感は分からない。

粋がって言えば、これからが本当の能登の味が分かる季節なのだ。

と、やはり軽薄に粋がって言っているが、その日は特に肌寒さを感じることもなく、至ってのどかな、冬に向かう奥能登とは思えないほどの日であったことも事実だった。

クルマを旧蛸島駅前に止め、まず入っていいのかどうかさえはっきりしない、廃墟的なホームに出てみようと思った。

この小さな駅はかつての能登線終着駅だ。

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珠洲の街のはずれ(?)に、なつかしい黄色と黒の車両が置かれている場所があるが、この季節に見るとその姿はなんとなく哀愁を帯びていた。

ホームの方も今は当然草が伸び放題で、レールがその草の中から見え隠れしている。

しかし、その先に広がる畑地は、真夏、ここで下車した人たちの心を躍らせたにちがいないと思わせる広がりをもっていた。

この場所からは海は見えないが、海の匂いは十分すぎるほど感じられるからだ。

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詳しいことは忘れたが、蛸島(たこじま)という地名には、文字どおりタコにまつわる伝説があるらしい。

普通に考えれば、タコがよく採れたという話で済むのだが、人食い大ダコの話などもあって、やはりそうだろうなあと妙に納得したりする。

実は、一ヶ月ほど前、仕事で珠洲に来ていた。

そして、クルマで蛸島の町の中を慌ただしく見ていた。

もちろん初めてではなかったが、記憶に残っていた光景もほとんどなく、もう一度ゆっくり見ておこうと思っていたのだ。

駅舎の前から歩こうと考えていたが、クルマを港の方に運び、海辺から歩くことにした。

青空の中に白い薄い雲がたなびいている。

ゆるやかに、家々の屋根の上で踊っているようにも見える。

人の姿はなく、こちらも静かに細い道へと足を踏み入れてゆく。

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漁業や海運などでにぎわいを誇っていた雰囲気が漂い、立派な家屋の姿に目を奪われながら、知らず知らずのうちに先を急ぎたくなっていく。

今は閉められている風呂屋の玄関先に立つと、桶と手ぬぐいを手に、火照った顔付きで出てくる日焼けした漁師たちの姿が想像された。

流れが止まったような小さな川を渡ると、しばらくして勝安寺という寺のあたりに出た。

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一部に蔦が絡んだ廃屋の土壁に陽が当たって、一帯をより明るくしているように見える。

小さいながらも形のいい山門があり、その脇にこれも形のいい大木が立つ。

山門をくぐり境内に足を踏み入れると、のどかな空間が広がっていた。

再び山門をくぐって、そのまま直線的に高倉彦神社へと向かう。

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海沿いに建てられたこの神社では、日本遺産という「蛸島キリコ祭り」が行われ、能登で最も美しいと言われる16基のキリコが町なかをまわるのだそうだ。

そして、境内の舞台では、「早船狂言」という伝統芸能の披露も行われている。

境内のその先には草地を経て砂浜が見える。

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その先には当然日本海が静かに広がっていた。

この季節にしてはおだやか過ぎる海辺の気配に、ここが奥能登であるということを忘れるほどだ。

ぼーっと海を眺め、もう一度町の中の道へと戻り、しばらく歩いてから左へと折れた。

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このあたりの家並みも美しい。

空き地もそれなりに意味を成しているように思えてくる。

さっきの川をもう一度渡りながら、水面のおだやかさに、なぜか足を止めたりもしている。

この町の得体の知れない魅力(というと平凡だが)に取りつかれたか?

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それから後は、ただひたすら淡々と歩いた。

小さな家内工業の作業場があったりするが、人の気配には遭遇しない。

そして、それからしばらくして、ようやく狭い道端で午後のおしゃべりタイムを楽しんでいる、ややご高齢の女性二人組と出会うことになった。

夏であれば、もっとのんびりした空気感が漂っているのであろうが、暖かいとはいえ、やはり秋だ。

道端の段に腰かけている二人の姿にも、なんとなく少し体を丸める仕草が見える。

聞きたいことがあった。港の方に行く近道だ。

狭い路地は日陰になっていた。

「海はこの道まっすぐ行って、突き当ったら右やわ。それからはね……」

空き地を照らしている斜めの日差しが太陽の場所を想像させ、当然西の方向が海、つまり港の方になる。

女性は右に折れた後は、またまっすぐ行って、それから先はまた聞いてみてと言った。

歩いてゆくと、なんとなく日差しが明確になり、人に聞くこともなく海の方向が察知できた。

聞きたいと思っても、人影はなかったのだ。

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クルマを止めた辺りまで戻り、あらためて海の方を見る。

まだ十分に陽は差しているが、少し雲が出て、水平線から長く帯状に流れている。

船が係留されているところまで歩くと、わずかに風が冷たく感じられた。

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何年か前の夏、旧門前町の黒島という美しい場所で、能登地震によって傷ついた北前船主の館を復興する仕事に関わった。

仕事が終わりに近づいた頃の、暑い昼間、黒島の海に突き出た防波堤をずっと歩いてゆき、その先端あたりから黒島の町を撮影した。

そこは、かつて突然の嵐に見舞われ、海草採りをしていた地元の人たちが命を落とした場所だった。

海の中の岩場に供養碑が建てられていた。

そして、本当はそれを撮影するのが目的だったのだが、撮影後に見た陸地に広がる黒い屋根瓦の町に目を奪われた。

ただ青いとしか言いようのない空と、その下に広がる緑と、段違いに組み合わされた屋根瓦が美しかった。

海岸から数百メートルといった防波堤からでさえそうなのだから、漁から帰ってきた漁師たちが見る“自分たちの町”の美しさは格別だろうと想像した。

蛸島も同じだろう………

防波堤の先まで行く時間はなかったが、ほとんど波打つこともない港の水面を見ていると、気持ちが空白になっていくのが分かる。

それからしばらくして、蛸島の魅力とは何だろうか?と、俗っぽいことを考えている自分に気が付いた。

なかなか答えの糸口が見えなかったが、最近ちょっと、それらしき光明が見えてきた気がしている。

きりのない話だが、そんなことを考えてしまうのも、“日常の中の非日常的楽しみ…?” のひとつなのだ………

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