hisashinakai
3月のありがとう
「3月のありがとう」はいつもより少し重い。
高校生の間、通勤がてら二人の娘をほぼ毎朝学校の近くまで乗せていった。
ほとんど会話らしきものはなかったが、当たり前の日課だった。
そして、二人とも3月の初めのある朝、「3年間ありがとう」と照れ臭そうに父に言って車を降りて行った。
家人から事前に聞いてはいたが、知らなかったふりをした。
そして、わざとらしく「おっ、そうやったっけ」と、とぼけた。
二人とも高校を出ると、京都へと巣立った。
長女の引っ越しの時は、母親を残して独りで先に帰らねばならず、こっちも敢えて急を装うようにして帰ってしまった。
翌日、母親を京都駅まで送った長女は、バスに乗ろうとした母親に「お母さん、いろいろありがとう」と礼を言ったという。
バスの中、涙が止まらなかったと母親が言った。
… 二年後、次女を京都に置いてくる時も、車で立ち去る直前になって「いろいろ、ありがとね」と言われた。
ただそれだけの言葉だったが、母親の目には涙があふれていた。不覚にもこっちもグッときた……
今朝、父と高校生の娘らしき二人が車で通り過ぎていくのを見た。
かつての「3月のありがとう」を思い出し、そろそろ、あの父娘にも同じような「3月のありがとう」が訪れるのだろうなと思ったのだ……
立て続けに、いい話をありがとうございます。