ねじめ正一氏と玉谷長武クン


ユリイカ

1997年4月発行の『ユリイカ』。

161ページから169ページにかけて綴られた、ねじめ正一氏渾身(だと思う)のエッセイに心が撃たれた。

喫茶店でしか原稿が書けない氏が、喫茶店のトイレに「大」のために入るが、固体を出そうとして意図せず大きな音を伴う気体を出してしまったという焦りが、リアルに綴られていた。

音が出た後に期せずして起きた店内での笑い。

自分(の尻)が発した音と、その笑いの相関について悩む筆者……

喫茶店

このエッセイで、さらにねじめ氏が大好きになったボクは、1999年の金沢市観光協会50周年のイベントに氏を呼び、金沢市民芸術村のドラマ工房でトークショーをやっていただいた。

紡績工場を再利用した市民芸術村ドラマ工房は、特有の構造と空気感を持ち、会場入りしたばかりの氏が、「いい場所ですねえ」と言われたのを覚えている。

氏はそこで、商店街の魅力はさつま揚げの美味さで決まるとか、長嶋茂雄さんの職業は長嶋茂雄だとか、ひたすらねじめ節を語り、そして、創作中の長い詩を東京からFAXで送らせ、『詩のボクシング』風に即興で読んでくれたりした。

ボクがステージに用意したのは、かつての小学校の教室にあった小さな机と牛乳瓶に入れた一本の花だけ。

工房の道具部屋を見回し、ボクも発作的にそれに決めた。

知り合いも大勢来てくれて、なかなかいい企画だったと思う………

 

このことを今語りたいのは、あの時ボクの机の上にこの『ユリイカ』を置いていったある後輩の命日月が2月であったからだ。

玉谷長武(たまたにおさむ)という、奥能登門前町出身のナイスガイは、ボクに色々と余計なお世話的言葉を発しながら、27歳という若さでこの世を去った………

彼の稀有な存在を綴った拙文を、必ずこの時季に読み返す。

今でも、彼がもし生きていたら、自分の人生も途中から何らかの形で変わったのではないかと思ったりする。

それくらいに、彼が好きだった………

 

遠望の山と 焚火と 亡くした友のこと


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