股引について


芽吹き1

恥ずかしながら、たまァに今風の股引(ももひき)を穿くようになった。

が、自分の感覚では、それを穿いても決して暖かいといった感じがしない。

それどころか、余計に足がヒンヤリとした感じになる場合が多く、穿いてしまったことを悔いたりする。

そもそも、股引については中途半端な思いを抱いてきた。

中途半端ではない思いというのも説明できないが、冒頭にも書いたように、股引にはどこか羞恥心みたいなものを抱かせる性格があり、そのことによって積極的に利用したくないといった思いがあった気がする。

たしかに、最近の股引はデザインもそれなりに施されていて、昔とはかなり違う(つまり、ラクダの・・・ではない)受け止め方がされているみたいだ。

だがどうしても、股引を穿いているという状態はよろしくない。

どうやっても股引だからだ。

その名も、何となく侘しい。

ももひき…という音の響きは侘しく、そして、せつないのである。

さらに、漢字では「股(また)を引く」と書くところにも奇妙な感じを受ける。

たしかに、「股」には「もも」という読み方もあるようだが、この場合の「もも」と言えば、太腿などの「腿」を連想するのが普通だろう。

だから、本来ならば「腿引」という漢字にするか、もしくは「またひき」という呼び方になっていてもよかったわけだ。

それがなぜ、股引(ももひき)なのだろうか。

 

ところで、股引の話題を出すと、必ず突っ込まれるのが、小倉百人一首のあの歌である。

「ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」

この歌の出だしの「ももしきや…」に、思わず赤面してしまったとか、吹き出しそうになったという経験を持つ人は多いだろう。

これは、「ももしき」が、宮中の意味であることを知っていれば何でもないのに、その響きから「ももひき」と聞き間違えたり、またはモロに「股引」そのものだと勘違いしてしまったことが原因である。

ちなみに、この「ももしき」は「百敷」と書くのだそうだ。

多くの石が敷かれているというとかで、宮中とか御所とかを表す。

そういうわけで、少し寒さも和らいできたせいか、股引を穿くことはほとんどなくなった。

そのことで、なんだかアタマの中のモヤモヤが取れたような、奇妙な思いも抱いたりしている。

なくなったから、堂々と股引に関する思い(不信に近い)も書いていられるのだろう。

また寒さがぶり返した時にはどうするかだが、今のところまず穿く予定はない………


“股引について” への2件の返信

  1. おって、報告させていただきますが、
    それこそ実感がなくて・・・・・・

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