🖋 「にし」への道にある石段


トマソン的石段

 相当古い話になるが、金沢観光の仕事にチカラを入れ始めた頃、「ひがし」はまだそれほどでもなかった。

 今の「ひがし」ではなく、東山の界隈というイメージを重視していたくらいで、茶屋街そのものよりもあの狭い路地の空気感を金沢らしさと捉えていた…とボクは思う。表記も「ひがし界隈」らしき表現としていたはずだ。

 しかし、「ひがし茶屋街」の人気が急激に上昇し始めると、当然ながら、実は「にし」もなかなかいいのだヨ的空気が漂い始める。

 それからまた相当の時間を経て文学をベースにしたストーリーを作り、室生犀星から始まって、島田清次郎、松尾芭蕉、それに中原中也などといったゆかりの文人たちをめぐるコースを企画したことがある。

 タイトルは『金沢のにしを歩く』……。

 知り合いの女性詩人に、金沢を初めて訪れたという設定でリード文を書いてもらったが、その最初の訪問地を「にし茶屋街」にした。打ち水がまかれる夏の朝の光景だったと記憶している。

 今回の石段はそんな頃にクローズアップしたものだ。

 室生犀星が育った雨宝院の前から「にし茶屋街」の方向へ抜ける狭い道があることは随分前から知っていた。

 ただ、犀星の周辺世界を探っていく中でつながっていただけだった。

 しかし、西茶屋資料館という金沢市の施設の展示計画をさせていただくことになって、大正時代のベストセラー作家・島田清次郎ゆかりの場所としてにわかに詳しくなった。

 雨宝院からの道には左手に高い石垣が続く。

 道が狭いために、石垣が迫ってくる感じだ。その上には神明宮があり、石垣の道の先を左に折れると、大蓮寺の裏塀?がある。両者とも金沢の歴史に彩を添える由来を持つ。

 その辺りにちょっと歩いてみたくなる怪しげな道らしきものがあり、そこを思い切って行ってみると神明宮の有名なケヤキの大木へと出る。なかなか雰囲気のいい道だ。

 石段に戻ると、雨宝院前からのびる道がゆるく右に曲がっていくあたりにある。

 立ち止まりしばらく眺めていると、あやしげな曲がり方をした手すりにも、微妙な組み合わせで成立してしまっている石段そのものにも、誰かの思いが込められているような気がしてくる。

 トマソンではないだろう。かつて、一度だけこの石段を上ってみようと思ったことがあるが、これは鑑賞のためにあるのだと自分に言い聞かせてやめにした……

 金沢にはこうしたモノが数多く残っていたが、やはり街がきれいになったり、物騒さや猥雑さなどが消えていったりした経緯の中で今はかなり減ってきた。

 ややこしいことは語れないが、裏道好きのニンゲンとしてさびしい気がしているのはたしかだ。


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