秋のはじめのジャズ雑話-1
前にも書いたことがあるが、久しぶりにまたマイルスが聴きたい症候群がやって来て聴き込んだ。
一年に数回か… こうしたことが起きる。
9月の金沢ジャズストリートに、再びチック・コリアが来るというニュースを聞いたのはかなり前のことだったと思う。
今回はトリオ編成だし、ニューヨークの若手を連れてくるのだろうから行ってみようかなと思っていたが、8000円と聞いてやめにした。
そこまで払って行く気はしなかった。
ギターのリー・リトナーも来ていたが、昔、渡辺貞夫と来た時に聴いたことがあって、関心はありつつ、結局チックに行かずにリトナーだけ行くというのもなんだからとやめにした。
チックのコンサート時間には、家で昔の演奏を聴いていた。
少なくとも今よりはるかに若いし、しかもベースはミロスラフ・ヴィトウスで、ドラムスはロイ・ヘインズだから見劣り、いや聴き劣りはしない。
それどころか、圧倒的にこっちの方がいいに決まっているだろうと音量も高めにしてライブ感を出し、かなりのめり込んで聴いたように思う。
その後、続けてサークル時代のパリ・コンサートを聴いたが、「ネフェルティティ」だけ聴いてやめた。
何となく空虚になり、その後は一転して(?)なぜかレスター・ヤングになったのだ。
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ジャズストリートがあった9月の連休最終日には、朝から『巨匠たちの青の時代』(NHK-BS)の再々(だったと思う)放送があって、これもまた久しぶりに新鮮だった。
ジャズの巨匠と言えば、マイルス。
いや待て、エリントンもパーカーもコルトレーンも、ロリンズもかと心は揺れ動いたが、やはりマイルスだった。
マイルスについては、2003年に金沢でぶち上げたイベントの企画をとおして、かなりの研究家(もどき)になっていたが、その時に仕込んださまざまなデータも、今はもうテーブル板の下に眠っている。
ただ、その時の多様な出来事は、私的イベントとしての自己ベストに位置づけられる。この雑文集にもその時の話は何度か書かせてもらった。
ボクが最初にマイルスにやられたのは、『フォア&モア』の、「ソー・ホワット」と、間髪入れずの二曲目「ウォーキン」だ。
急カーブを、タイヤを軋ませながら走り抜けてゆく… マイルスのトランペットソロはそんな感じで、ジャズ少年の血を燃え上がらせた。
まだ高校生になったばかりで、ジャズを聴き始めて二年目くらいの頃だったが、最初に出会ったコルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」以来の衝撃だったと思う。
とにかくそれから後はマイルス中心に聴き込んでいったような覚えがある。
話はテレビの方に戻るが、番組の最後に流れたマイルスの最後の演奏と言われる「ハンニバル」は、一時周辺でも話題になった記憶がある。
ボクは正直どうでもよかったが、音だけ聴いていると、やはり何となく押し寄せてくるものがあって… 切なかった。
駆け出しの頃のマイルスが、憧れであったディジー・ガレスピの演奏スタイルから離れ、自身のスタイルを創り上げていく…… その物語がぼんやりと思い起こされる音だなと思えたのも事実だった。
マイルスは、少年時代に森の中(だったか)で聞いた女性の歌声が自分にとって永遠に求めていた音だったと語っていたらしいが、そんな話はなんだかマイルスらしくない(と、ボクは勝手に思っている)。
マイルスは反骨もあったし、だからこそ力強いビートも求め、アフリカ的な音世界に自分を置くなどして、空に向かい(70年代にはよく下を向いていたが)叫び(吹き)まくっていたのだとも思う。
高校時代、授業中にマイルスの音楽についてノートに書き綴っていたことがある。
今でも覚えているが、『ビッチェズ・ブリュー』の中の「スパニッシュ・キー」という曲について、リズムがリズムだけでメロディにもなり、リズムだけで強いメッセージになっている。さらに、曲全体をとおして高まったり抑えられたりしていくサウンドに、どこか遠い世界へと連れて行かれるような錯覚を覚える………と。
こんな生意気なことを本当に思っていたのであるから、ボク自身の当時の感性もそれなりのものだったのかもしれないが、かなりはっきりと覚えているから衝撃も大きかったのだろう。
ちなみに、マイルスのトランペットはタイトルどおりスペイン的であったが、ボクが想像した遠い世界とは、当然?アフリカであった……
※マイルスの雑文は、以下でも書いている。
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