マイルス・デイビス没後20年特別番組


 

昨年12月に書いた『マイルスから始まった…』( http://htbt.jp/?p=1730 )。金沢で唯一行われたマイルス・デイビスのコンサートを再確認しようとしたイベントの話だが、そのイベントの中で貴重な資料として提供してもらった映像がテレビで再生・再演された。

マイルス・デイビスが他界してから9月28日で没後20年となることの記念番組で、9月30日の深夜というか、日付は10月1日になっていたが、NHK総合テレビで再放送されたのだ。

番組名は「マイルス・デイビス・イン・トーキョー1973」。深夜1時40分からのスタートだったので録画し、翌日の昼飯時、インスタントラーメンなどを食べたりしながらじっくりと見た。

ところで最近、チャンポン麺に乾燥したキャベツが入ったやつをよく食べている。それにモヤシをドサッと入れて野菜ラーメンらしくすると、塩味の美味いラーメンになる。モヤシは「雪国もやし」というやつを使う。なにしろパッケージのロゴの上に、「高い理念」と記されていて、その仰々しさが心を揺さぶった。高い理念・・・マイルスに通じるではないか?

話はそれたが、放送されたものは、73年6月20日、東京新宿厚生年金会館ホールでのコンサート。約10日後の7月1日にNHKの「世界の音楽」という番組で放送された。そして、その7月1日こそが、金沢公演の日だった。だから当夜、金沢市観光会館の最前列ど真ん中で、マイルスをかじり尽くすように見ていたボクはこの番組を見ていない。こんな番組があったことも知らなかった。

部屋に当時の膨大な資料(イベント用に収集した)が置いてある。探すのが面倒だからやめておくが、後の音楽展開の起点となっていったエレクトリック・マイルスの全盛期とも言うべき当時のコンサートには賛否両論があり、ボクは生意気にも後者の方に属していた。そのあたりのことやイベントのエピソードなどは『マイルスから始まった…』で詳しく書いた。

それから30年後に、かつて金沢公演に近い音源を求め再現を試みるという無謀なイベントを企画し、かなり入れ込んでいたボクとしては、このライブ映像は超宝物に近い存在だったのだが、実は8年前すでに入手していたのでもある。名古屋のジャズ愛好家の方からもらっていた。イベントの企画に共鳴していただいたのだ。

金沢での伝説のコンサートは、実はこの頃のマイルスに録音がなく、微妙な記憶に留まっていた。その全貌を伝えてくれたのが、このDVD(NHKの番組映像)だったというわけだ。それまでにも海賊盤などで、時期的に近い演奏を確認していたが、映像は完璧にそれを超えるものを伝えてくれた。

金沢公演の新聞広告もあり、後日の夕刊に掲載されたコンサート評記事もあった。コンサート評の筆者は故奥井進氏だ。そして、コンサートの写真は北國新聞から買った。その他、当夜観光会館に乗りこんだマイルスファンが撮った写真も多く提供してもらい、それらの複写もさせてもらった。それらの写真は、金沢市尾山町のジャズクラブ「Bokunen」などに上げた。店内で見ることが出来る。

中居のコンサート評はというと、前にも書いたが決してよくはなかった。19歳のジャズリスナーは、その音量とロックビートに我を失い、最前列真正面に陣取っていながら、ただただマイルスのカッコよさに圧倒されていただけだった。

しかし、8年前、いただいたDVDを見た時、マイルスの額や鼻先から落ちる汗を見て、ボクはかなりハゲしく感動したのを思い出した。そして今回、より鮮明になった画像から、もう一度マイルスの強い意気込みを感じ取った。若いメンバーたちを鼓舞していくコンポーザーとしてのマイルスに、あらためて果てしのない凄さを感じた。

当時、ジャズ的匂いは、サックスのデイブ・リーブマンにしか感じなかった青臭いボクは、その後のジャズ的マイルスへの再認識へと進む。

 ボクの中には、この時代以降、ジャズはジャズ的ではなくなったという認識がある。つまり触発される音楽ではなくなり、現在に至っては癒やし音楽みたいになってしまったと感じている。そういう性格も当然発祥からあったし、それもそれなりに悪くないのだが、今も映像を再生させながら、もう40年になろうかとしている時の流れに戸惑っている。

当時のマイルスのサウンドのように、自由なセッションから創り上げていく手法は、ボク自身の仕事やその他物事の進め方にも通じている。こんなことをマイルスから学んだなどとは思っていないが、どこかにそんな気配を感じて嬉しくもなる。いい歳になっても、こういう感覚は変わらないのだ・・・

 ※写真一部 NHKテレビ画面より・・・


“マイルス・デイビス没後20年特別番組” への2件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です