疲れると、青空と雲を見る
仕事でちょっと眼が疲れたりすると、席を離れ大きな窓のある部屋へ行く。
晴れた日には、そこから青空を見上げ、雲を見る。
しばらく見ていると眼の疲れが少しずつ癒されていくのが分かり、首筋から肩にかけて重い何かが抜けきったような感覚に浸れる。
山にいても、同じようなことを感じることがある。
山では眼だけが疲れるわけではなく、全身、つまり足の先から頭のてっぺんまでが完璧に疲れるのだが、そんな時にも空が癒してくれたりする。
特に好きなのは、北アルプス・太郎平小屋から黒部五郎岳方面に登り、北ノ俣(きたのまた)岳頂上直下の平らになった稜線で見上げる空だ。
この空にはただ美しく濃い青があるだけでなく、北アルプス最奥部の美しい稜線が、パノラマで空を切り抜いたような光景を見せてくれる。
このようなことは、山では当たり前なのだが、特にボクはその場所が気に入っているのだ。
ちなみに、ビールは空に十分匹敵する癒やし品なのだが、ここでは横に置いておく・・・
ところで、最近までこの癒し感覚は青空のせいだと思ってきた。
空の青さが癒やしをもたらしてくれるのだろうと思っていた。
しかし、ここへきてそれが少し違っていることに気付いている。
もちろん、青空は元気の源だし、この世には永遠になくならないものがあるんだということを教えてくれるすべてのようにも思う。
しかし・・・、疲れを癒すという意味では、雲の存在の方が大きな力になっていることを最近知った。
特に、秋のカツーンとくる(人によってはスカーンもあるらしい)ような青空の中に浮かぶ雲は、絶好の特効薬になっていたりする。
その要因は何か?と言うと、やはり雲には“ボーっとできる”エキスが漂っているということだ。
そしてそれは、雲自身がボーっとしているからに他ならない。雲は実にボーっとしている。
この季節のふんわりと柔らかそうな白い雲を見れば、十分納得できる。
どのような模様にでもすぐに変身してしまうこの時季の雲は、ひたすらのんびりしているようにも見えてくる。自主性がない。
目を凝らしていなければ分からないような弱い動きを、それほど目を凝らさずに見てみる。
すると、雲の動きの“ボーっと”につられたように、見ている眼もボーっとしてくるから不思議だ。
そして、眼がボーっとしてくると、いつの間にかカラダ全体もボーっとしてくる。この状態が凄くいい。
悟りの境地とはこの時の状況なのかも知れないと思う。
今年の秋は、理由があってよく眼が疲れ、そのために空と雲を見る機会が多っくなった。
しばらくは、そのボーっとに救われる日々が続きそうだ・・・
眼だけでなく、とにかく疲れた時には空を見る。
何だか、わかりますね。
空はなんでも受け入れてくれそうだから、
あれこれ考えないで見上げていれば、
それでいいみたいです。
私もこれから空を見上げることにしましょう。
もちろん晴れて、雲がぼんやり浮いている時に・・・
今日の空は、どうだろうか?
何だかぼんやりしていて、違うような。
前ばかり見ていました。ゆっくりと空を眺めて休憩してみます。