B級風景のこと


 “B級風景”という勝手な名前を付け、身近にあって自分の好きな風景を大切にしている。先日、柿木畠でこういう話をしたら、横で聞いていたご婦人が、なかなか面白そうやねえと興味を示してくれた。“B級グルメ”と言う言葉がやたらと流行り始めてから、このネーミングを思い付いたのだが、実はずっと以前からこういう概念(というほどのものではないが)と、楽しみ方を持っていた。

 それは司馬遼太郎氏の『街道をゆく』に影響された街道と歴史をめぐる旅や、信州などへの自然を求める旅、さらに奈良京都などへの古い寺社をめぐる旅などから得た道中の楽しみ方の発展したものだった。

 ボクの場合、単独での行動が多かったこともあってか、気の向くままに足(クルマ)を止め、その場に佇んでボーッと何かを眺めるということができた。そういう時に眺めているものというと、ほとんどが深い山里の風景などで、そんな中でも少し生活の匂いのする場所が好きだった。

 たとえば、川を挟んで向かい側にぽつんぽつんと家があり、それらの家の背後に小高い山があったりすると、ボクのセンサーは鋭く反応した。それが川というよりも谷を挟んでいたりすると申し分なかった。山並みの角度や家々の建ち方にもこだわりはあった…が、それらはすべて全体の風景を構成する一部であったと思う。

 こういう風景は、観光地でも、まちづくりで整備された地域の中でもない。ごくごく普通の道すがらにあった。上高地行きの話でも書いたが、途中にある村の風景は、いつも心の中に秒速五メートル半ほどの風を吹かせた。高い山並みに囲まれた谷沿いの道、その道沿いにつづく石垣や畑や家々、道のカーブの仕方ひとつにもボクの胸は躍った。

 上高地へは登山で行くことが多くなると時間が勿体なくなり、ただひたすら若干の徐行で我慢せざるを得なくなった。夏の季節が多かったせいもあり、のびのびと子供たちが遊んでいる風景が印象として残っている。

 また、糸魚川から白馬方面へと上る国道沿いにある山里も強く印象に残り、姫川の流れを挟んで、よく向かい側ののどかな山村風景を眺めたりした。弁当を買っていき、河原から風景を眺めながら食べたこともある。ある晩秋の黄昏時、農家の屋根からゆったりと昇り始めた煙を目にした時などは、野良仕事を終え一番風呂に浸かるお父さんの姿が浮かんできた。あああ~ッという、その日一日分の疲れを吐き出す声も聞こえてきた気がした。風呂上りには、冷たいビールが待っているんだろうなあと、余計なことも考えた。しみじみと自分の人生などを思った時であった…?

 こういう状況に自覚症状が表れ始めると、敢えて遠くまで足を延ばさなくても自分を満たしてくれる風景があることに気が付きはじめる。しかも、何となく日常の中にそういうものの存在を発見し、暇を見つけて近場にも出かけるようになる。

 仕事でもそんな流れが出来ていくのは当然だ…?

 加賀から始まった観光の計画に関わる仕事は、まさに打ってつけのモチーフとなる。白山麓全体の観光計画に関わり、村々をめぐっていた頃には、プライベートでも山道に深く入り込んで、とにかく新しい発見に没頭した。能登でも一応全域の道をめぐった。仕事で行くことができたという運の良さ(自分で企画したから)もあり、仕事と趣味とを合体させるお手本のような至福の日々であった。

 当然のごとく、金沢でもよく歩いた。某大学の先生とのコラボとなった古い家並みを紹介するための旧城下の調査取材。卯辰山山麓や小立野、寺町の三寺院群をそれぞれにめぐる道の調査取材などは、とにかく四方に目をやりながらの風景探しだった。もちろん、こういう仕事には撮影や文章書きが付いてまわり、それらはいくつかの印刷物などに残っている。

 そして、その時に見つけたのが、まちの一画にある何でもない素朴な風景だった。寺院群の取材では、卯辰山山麓に最も時間を費やしたが、「こころの道」という名前で知られているルートには、隠れた魅力(いい場所)がいっぱいあった。

 小立野の寺院群をめぐるルートは「いし曳きの道」と名付けられたが、ボクは三寺院群めぐりの中で、この道がいちばん優れていると思っている。それはさまざまな坂道が生活空間の中に自然と絡み合っていて、風景をより立体的に見せているという点だ。そして、素朴な寺院の存在はもちろんのこと、何気なく建っている小さな石像なども印象的だった。

 寺町は「静音のみち」と名付けられた。“しずね”と読む。ここでは願成寺という、松尾芭蕉ゆかりの寺の周辺がハイライトとなった。寺の前の細い道をこの一帯のシンボルとして捉えたが、その後この場所は多くのメディアに取り上げられて、目新しさを感じなくなってしまった。

 金沢のように元来が観光地であると、そこにある風景には何かが宿っているといった見方が生まれる。しかし、それは兼六園であり、武家屋敷であり、茶屋街などでのことだ。それら以外の場所には、生活の匂いをプンプンさせながら独特の雰囲気を醸し出しているまちの風景がある。

 金沢のまちの場合は、それこそがB級風景と言えるものだと思う。猫が横切って行く小路、用水に架けられた小さな橋など…。

 かつて、ボクは金沢のそう言った場所ばかりを探し歩いていたことがある。尊敬する写真家でもあった故奥井進氏(ヨークのマスター)にも協力を依頼して、そういう記事を『ヒトビト』に発表していた。奥井さんの場合、特に依頼していたというより奥井さんも好きで撮っていたと言った方が正しい。

 しかし、ボクのB級風景と言う概念(というほどのものではないが)には、どうしても金沢の風景は入りにくくなってきている。街が美しくなっていき、いくら頑張っても? B級にはなれない宿命のようなものを感じている。

 そのことが悪いとかいいとかと言うのではない。金沢は日本を代表する観光のまちなのだから、B級の場所は隠れていくのだろう…?

 ボクは今、能登の町や村、そしてそこに生きる人たちのことを何気なく思っている。何気なくと言うとちょっと違うが、いろいろと書いたりしているから、読んでくれている人はそのことに気が付いているだろう。

 B級風景への思いは、能登から始まった。能登の中の都会、例えばW市やN市、特に前者に関わる仕事をしながら、その逆説的な意味での素朴な風景の話に救いを求めた。一般的な観光地としての魅力とは違う別なものが、そこにはあると思った。

 ボクは、能登は風景がそのすべての源にあると思っている。自然そのものである海や山に人の営みが絡みついて、どこからか独特の空気をブレンドし漂わせてきたと思っている。それはある意味重くて何物にも代えられないことでもあり、そのことが過疎を生み、観光の衰退などにも繋がったのかもしれない。

 しかし、その風景はこれからもずっと残っていく。そして、見る人たちに何らかの安らぎや高まりなどをもたらし続けるとも思っている。そこに能登のB級風景の凄さと、それによる真髄みたいなものを感じる。そして、ボクが最も引っ掛かるのは、その場所に人の営みが残っていくかだ。このことはまた別な機会に書く・・・。

 S枚田とかだけが特化されるような風景の話には、どこか違うのではないだろうか?と、勝手に思ったりもしている。あそこはA級もしくはS級で、しかも人の営みは感じさせない。

 文化などというとすぐに観光資源としての評価に結び付けてしまうから、この風景論は文化を語るものにしたくはない。しかし、身のまわりにあるような、素朴で生活の匂いを感じさせる自然風景の存在には、何らかの評価があっていいのではないかと思う。

 そんなむずかしいことを考えているわけでは全くなく、B級風景を楽しもうという素朴な思いを書きたかったのだが、意味もなく固い話になってきたので、続きは、今度また書くことにするかな…。

 生まれ育った内灘の風景にも、B級の匂いを感じ始めてきたのだ……


「B級風景のこと」への3件のフィードバック

  1. いつも通り過ぎてしまう富山の岩瀬、今回は白えび丼と町の散策も兼ね、バイクを走らせました。途中、幹線道路を外れ、富山平野の、ど真ん中に出たところ、畑では野焼きが、行われていて、石川では交通の妨げになると云う理由で、最近見られなくなった野焼き、青い空に向かい、のんびりと立ち上がる、芳ばしい風景もB級だと思います。白えび丼、岩瀬橋そばの、てんぷらの店、天よしで、昭和初期にタイムスリップした様な、老舗料亭、松月は映画のセットでも使えそうな趣きでした。

  2. 何とも説明不足気味の文章を読み返して、
    B級風景はまだまだ広義なもんなんだよと言いたかった・・・と反省。
    ニンゲンひとりひとりの思いの中に
    B級風景があり、それをストレートに語ればいいと
    あらためて思った次第・・・・・・
    ボクの中では、そういう何かを持っていないという人がいたら、
    その人は胡散臭い。かなり・・・

  3. いつも読んでいるような話だけども、
    何だか新鮮な感じを受けました。
    B級風景という発想がおもしろいです。
    ただ、変に軽くならないように考えたいですね。
    これから意識して、
    自分のB級風景を探そうかなと思います。

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