瓜生(うりゅう)までの道


 

 石川県河北郡津幡町瓜生。名前を聞いてピンとくる人はまずいないだろう。

 途中で道を聞いたりしてもびっくりされる。そして、「もうちょっと行ったら、また聞いてくれ」と言われたりもする。しかし、道中で聞く相手もなかなか見つけられない。

 広い面積を持つ津幡町だが、瓜生の先はもう羽咋郡やかほく市との境界だ。しかし、道は瓜生で消えてしまい、その先に進むことは出来ない。

 瓜生を知ったのは、今から四年前。旧門前町(現輪島市)に建設された「輪島櫛比の庄禅の里交流館」の展示計画がきっかけだった。

 そこは總持寺の歴史などを紹介する施設なのだが、瓜生は總持寺の第二世・峨山韶碩(がざんじょうせき)の生まれた場所で、その生誕地にある記念碑の写真を撮りに行った。

 總持寺の後を継いだ峨山は、その後、總持寺はもちろん曹洞宗の発展にとてつもない貢献をしている。總持寺は全国に一万四千あまりの末寺をもったが、その基盤は峨山が作ったものだ。

 總持寺を離れてからも、羽咋の永光寺(ようこうじ)に入った峨山は、毎朝その永光寺から總持寺までを往復してお勤めを果たしたと言われている。その山間の道は「峨山道」と呼ばれ、今もその道を踏破するイベントが開かれているが、その距離なんと五十キロあまり。羽咋と門前の険しい山道だ。毎朝のお勤めのために短時間で往復したという伝説は信じがたい。かなり膨らました話にまちがいない。

 ところで全くもってカンペキに余談だが、先日長女が七尾から津幡までワケあって歩いてきた。距離にして約六十キロ。途中で八番ラーメン食ってたとか、京都の友達にメールしていたとか、その他余計な時間も当然費やしてきたみたいだが、昼前に出発して津幡に着いたのが夜中の一時過ぎだった。津幡まで迎えに行くと、六十キロを歩いてきた長女が半死状態でクルマに乗り込んできた。その様子を振り返っても、やはり峨山のスピードはあり得ない……という、それだけの話だ。

  話は大きくそれたが、總持寺に関してもろもろ詳しく知りたい方は、禅の里交流館へ行くべきである。なにしろ年表中の文章やその他すべての文章は中居寿(ヒサシの方ではない)の執筆によるものだ。当然、窮めてまじめに書き下ろした文章ばかりであり、撮影した写真も含めて、しみじみと読み見てもらうのがいい。もうひとつ、資料調査などで苦労した「藩政時代の總持寺」のジオラマ模型も見どころであることを付け加えておきたい。

 さらについでに書くと、交流館の前にある小さなレストランでランチするのもお薦めだ。Uターンしてきた若き青年の作る美味しいパスタなどが味わえる。

 そんなわけで、津幡町瓜生に最初に出かけたのは四年前の七月の暑い最中だった。美しい水田風景が広がり、視界に広がる緑一面の風景に目を奪われた。

 そして今回は、十月。秋空にこれまた秋雲が浮かぶといった、正しいのどかさとやさしさに包まれながらの、のんびりドライブであった。

 瓜生に行くには、ボクの住む内灘からだと、まず森林公園に向かうのが定番だ(…と思う)。途中で津幡北バイパスに乗り、高岡方面へと向かう。しばらくして刈安という降り口でバイパスから外れ、山の方へと入っていく。

 途中、進行方向左側に古い小学校の建物が見える。廃校となった旧吉倉小学校だ。今は津幡町の歴史民俗資料収蔵庫として使われているが、簡単には中に入れてもらえない。そして、そのことを象徴するかのように? この旧校舎の前には奇妙なふたつの像がある。

 ひとつはというか、ひとりは昔の小学校の究極的シンボルで、薪を担ぎながら書に親しむ二宮金次郎(尊徳)さんなのだが、もうひとりの軍人っぽい、とぼけた風貌のオトッつァんはよく分からない。ひょっとしてとんでもない偉い人だったりすることは当然想定されるが、名前は発見できなかった。次回は何としてでも調べ上げねばならない。

 写真は帰りに撮ったもので、西日を背景にしているからちょっと暗く見えるが、この雰囲気の方がなんとなく好きだ。廃校が多くなっていくが、建物だけはこういう風に残していってもらいたい。かつて多くの子供たちの歓声が響き渡ったであろうこうした校舎は、もっともっと大切にされるべきなのだと、つくづく思う。要は活用することだ……

 クルマは美しい斜面が広がる山里の中を走る。稲刈りが終わると風景は一変するが、前に見た夏の活き活きとした生命感は消え、何となく息遣いも抑えられるような気配を感じる。しかし、クルマを降りると風が気持ちいい。

 農作業で使われる道にも秋の気配がしっかりと漂いはじめ、しばらくボーっと佇んだりした。

 T字路にぶつかる手前で、畑にいる老人に声をかけた。「瓜生に行きたいんですが、右へ行けばいいんですよね?」 帽子を取った老人が、笑顔で答えてくれる。

「瓜生? 右やけど、この先は興津(きょうづ)ってとこ目がけて行って、また、その先にT字路があっから、そこまた右に曲がって…。そっからは、ええっと、まあ、その辺の人に聞いた方がいいな」

 老人は笑い顔で言った。予想していた返事だったが、ボクはそこでハタと前に来た時のことを思い出していた。

 “峨山禅師生誕の地”だったろうか。しばらく走ればそんな表示の入った案内板が目につくはずだ、ということを思い出していた。

 礼を言って、すぐにクルマを走らせる。しばらく走ると斜面に広がる興津という集落が見えてきた。このあたりはあまり記憶にないが、視界が広がりなかなか美しく気持ちがいい。すぐに峠にさしかかり、そこから下ると国道四七一号とぶつかった。左は羽咋方面だ。

 交差点正面にあった、“峨山禅師生誕の地”。右の方に矢印が向いている。やはりそうだったなと、記憶力にあらためて納得し信号が青になるのを待った。

 国道から再び県道に入り、またしても左折や右折など、案内板の指示に従って進む。

 道は山肌に伸びてぐっと狭くなり、そのうち進行方向の右下に刈り取りの終わった水田が見下ろせるようになった。

  そして、その辺りからしばらく走ると、人家が見え始め、瓜生の集落に着く。

 初めてきた時もちょっと不思議に思ったが、この小さな集落からなぜ峨山のような人物が生まれたのだろう? 集落の大きさは関係ないだろうが、この山深さに不思議さを感じる。

 昔、富山県五箇山の赤尾というところに道宗(どうしゅう)という人がいたが、その人もまた優れたお坊さんだった。しかも妙好人といって、普通の家の人から僧になったという人物だった。赤尾には、合掌造りの岩瀬家の隣に、道宗が開いた行徳寺という寺がある。

 赤尾もそうだが、瓜生もまた山深い土地であり、時代背景的なことを思うと、七百年以上も前に生まれた峨山の生涯は想像の域を超えてしまう。

 峨山の碑は、道が途絶える前にある。小さな川が流れ、ちょっと広い駐車場?があって、その脇から階段を登ったところにある。記憶がよみがえった。

 老婆が腰を曲げ、階段に手をつきながら登ってくる。登りきったところで、こんにちはと声をかけると、曲がった腰をさらに下げ、ちょっと戸惑ったように笑い返してくる。何か言ったように思ったが、声ははっきりと聞き取れなかった。老婆はさらに上にある場所で、近所の人たちなのだろうか、一緒に何事か話し始めていた。

 そう言えば、初めてきた時には人の姿を見ることはなかった。夏の暑い日だったせいもあり、外出も控えていたのだろうか。

 特に何をするでもなく、ぼんやりと川の流れなどを見ながらぶらぶらする。道はすぐそこでなくなっている。道の果てる土地に住むというのはどういうものかなと、ちょっと大袈裟に思ったりするが、なかなか想像が膨らまない。ここにはもう若者の存在もないだろうし…と、余計なことも考えてしまうだろう。

 瓜生はただ行って来たというだけの場所だ。そこに住む人たちと話をしたとか、そういったこともなく、ただ歩いたり眺めたりするだけの場所でしかない。そして、そういう場所が自分には多くある。

 道すがらの風景の素朴さに安心しながら、やっぱりいいなあ…と、そんな思いを新たにした。目的地はもちろんだが道中の風景を大切にするやり方が、自分には合っている。

 帰り道も、焦ることなくゆっくりと初秋の風景に浸れた時間だった……

 


“瓜生(うりゅう)までの道” への6件の返信

  1. 『もうひとりの軍人っぽい、とぼけた風貌のオトッつァん』の石像、、、

    風貌から、乃木将軍じゃね?

  2. 同じことを思った次第。
    ただ横に、即位記念と彫られた石柱があったりして、
    地元出身の軍人さんか、教育者?
    もしくは教育勅語の森有礼とか・・・?

    金次郎さんも、
    ちょっと可愛さに欠けていた感がある。
    あとからモルタルとかで、
    化粧直しされたような感じだったな・・・

  3. 峨山道巡行、二日間かけ羽咋の永光寺から、門前の総持寺まで全線徒歩のコースが以前ありました。私も何回か歩きましたが、前日に、その生誕の爪生から永光寺まで歩いて、参加している小学校、元校長0氏も参加してました。彼は定年後、歩くのを始めたそうです。凄い、お方です。

  4. 素晴らしい話ですね。
    瓜生から歩くと言ったら、かなり迂回するようなもので、
    時間も相当でしょう。
    そこからまた總持寺までなんて、
    キチガイじみてます。
    今さらではないですが、
    世の中には面白い人がいますね。

  5. 素敵な響きの地名ですね。
    何だか行けそうにないような場所でもあるような。
    廃校もくすぐるようで面白そうだし、
    風景ものどかな感じです。
    こんな場所って、どこにでもあるんだけど、
    どこって聞かれても地名が言えない。
    山と言えば、富山ですが、
    富山の山里はもともっと深い気がします。
    ナカイさんもよくご存じでしょうけど。
    いい天気の日に、弁当持って行きたいなあ~

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