東向きは神々しい
小雪のちらつく休日の朝。
用足しに寝室を出ると、少し開いた自分の部屋のドアの隙間から、オレンジ色の明かりが洩れている。
ドアを開けると、三段になった小さな窓がオレンジ色の光で膨張しているように見えた。
足を踏み入れ、小さな窓から外を見れば、雪雲の中に横に広がる明るい空間がある。
そして、遠く東に聳える北アルプスの剣・立山・薬師の稜線がちょうど見え隠れしている。
出てきたばかりの朝日がその細長い空間にあって、真っ直ぐに部屋へと光を差し込んでいるのだ。
むかし、NHKの『知られざる古代』という番組に夢中になり、出版局が出した同名の分厚い本を買って読んだ。
そして、神仏は東か南に向いているということを知り、日本の仏様も大陸の仏様も同じ向きに置かれているということに激しく感動したが、そのことを思い出していた。
例えば、太平洋の水平線に向いた日本の寺院の仏像の顔に朝日が当たる。
それは当然大陸からの教えに倣ったことであり、大陸でも同じように仏像の顔に朝日が当たるようになっていた。もちろん、暦上などの何らかのことと関係してだったと思う…
このような話を、具体的に、そしてドラマチックに証明していくこの番組の凄さは、当時の自分の中では格別な冒険ドラマ的存在だった。
そして、この番組と本との出会いによって、その後奈良の「山の辺の道」を歩き、さらに京などの古寺を探索するという上質な旅にも駆り出されていく。
そこまでその時思い出していたかは曖昧だが、とにかく自分の部屋の、あまりの“神々しさ”に、部屋にあったカメラでそれを撮影しようと思ったのは当然であった。
そう言えば、我が家も東に向いていたのだと、あらためて思った。
家を建てるなら、やはり東側に向けて建てるべきだなとも思った。
やはり、何と言ってもそれなりに神々しいのだ。
ただ残念なことには、年末に瞬間物置状態になってからの自分の部屋は、年が明けてもまだその状況を改善していなかった。
だから、その日明るくなるにつれ、明け方の畏れ多き神々しさは徐々に化けの皮がはがれていき、朝飯が終わった頃には、古代からのロマンなんぞも一気に失せていったのである……