先生がやって来て、ボクは空振りした。


真夏の青空と雲

小学校に行き始めた頃だろうか、いやもっと前かも知れない。

「ギョーセードーロ」という言葉を何気に覚えていた。

それは、今普通に県道と呼ばれている道路のことで、昔はそう呼ばれていた。

「ギョーセードーロ」とは「行政道路」のことで、ボクが生まれた町の史上最大の事件であった米軍試射場問題(1950年代前半)の補償で造られたという道路だった。

町の東側は河北潟というそれなりに大きい潟、西側は日本海。

町はその水域に挟まれ、家並みは河北潟の岸辺に沿い南北に延びていた。

面積で言えば、とても小さな町だった(今も同じだが)。

で、行政道路なのだが、ボクたちの住む小さな地区では、河北潟の岸辺を埋めて盛土をし、その上に砂利を敷いて造られていた。

それが出来た頃の話は知らないので、河北潟の端っこを埋めて造ったというのは後から知った。

今それを確認しようとしても、ほとんどその面影は残っていない。

ただ、まだカンペキに田舎のハナタレ小僧(仮の表現である)であった頃、家の前の細い道を行くと家と家の間にまた細い道があった。

その細い道の両側は小さな水田になっていて、最後に葦に被われた小さな登りを過ぎると砂利の敷かれた立派な道(路)に出る。

それが行政道路で、路線バスはそこを走っていた。

水田になっていた所は、かつて河北潟の岸辺だったのかも知れない。

そのことも確認のしようがないが、行政道路に繋がる細い道は今でも残っている。

ただ、平坦になっているだけだ。

走るクルマの数は少なかった。

そう思うのは、何となくいつも静かだったという記憶が残っているからだ。

たまに走ってくるクルマが砂利を弾き、弾かれた砂利が道の反対側に残る水路みたいな川みたいな部分に飛び込むと、ドブンという鈍い音を響かせた。

ここでよく、“独り野球”をやった。

木の棒か竹の棒を持ち、適当な大きさの石を拾ってノックのようにして打つ。

それをするのに適した場所は、潟の中に出島のように造らえた水田と道路との間の水路の、特に広くなった部分で、打った石が水路を越えて出島の方に入るとホームラン。

あとは適当に内野のラインを水面に決めて、石を打つのだ。

なかなか説明しても理解してもらえないが、河北潟というのはその頃今よりはるかに大きくて、そのすぐ後から徐々に小さくなっていく。

干拓が始まったからだ。

ついでに書くと、ボクたち全ガキ連にとっては、干拓も初めは「カンタク」であった。

独り野球は試合形式で、カードはいつも巨人・阪神戦だった。

当然、四番サード・長嶋の打順の時は、何回打ち直してもいいことになっていた。

長嶋は何度も四打席連続ホームランを打ち、ほとんどが長嶋のサヨナラ・ホームランで巨人が勝つというパターンだったように思う。

小学校三年の時だ。

夏休みが終わって、二学期が始まったばかりの午後の遅い頃だ。

担任だったN先生(もちろん美人先生)が、ボクが独り野球に興じている横を、ホンダ・カブで走り抜けていったことがあった。

あまりクルマの走らない道だったから、バイクが来ただけでもすぐにエンジンの音で分かる。

しばらくして、学校から帰宅するN先生であることも分かったが、どうしたらいいのか分からない。

ボクはそのまま分からないふりをしてやり過ごそうとした。

先生はすでに結婚されていたが、学校では他の追随を許さない美しさとやさしさと、時折見せるはにかんだような仕草や表情などで圧倒的な人気を誇っていた(と記憶する)。

それはともかく、先生のバイクが近付いて来ていた。

その時、ボクのアタマにマヌケな考えが浮かんだ。

先生にいいところを見せようという、男の子から少年になろうという頃合いならではの(?)余計な思いが浮かんだのだった。

緊張しながら、ボクはちょうど手にしていた適度な大きさの石を見た(と思う)。

そして、いつもより少し余裕を持った感じでその石を上げた(とも思う)。

まだ先生のバイクは先にいたが、先生の視界にはクッキリとボクが入っているはずだった。

そして、ボクは長嶋茂雄風にバットを振った。

見事な空振りだった。

それも長嶋茂雄風と言えば言えなくもないが、ここではそれは許せないことだった。

ボクは思わず体を先生の方に向けた。

“さよならァ~”

白いヘルメットを被り、運転の緊張のせいだろうか、いつものやさしい表情は消えていたが、先生の澄みきった声が色の付いた風のようにボクの顔の前を通り過ぎていった。

ボクは先生の背中に、サヨナラ~と告げた。

先生に空振りを見られたくはなかったが、先生も自分がバイクに乗っている姿を見られたくなかったのかも知れないと思った。

ボクにとって、その日は何か特別な日になった。

先生と互いのヒミツを共有したような気持ちになっていた。

見上げた空はまだ夏のようだったが、赤とんぼが数えきれないほど浮かんでいた。

翌日、教室で見た先生の顔は、いつもと同じだった。

ボクはなぜか少しガッカリしたが、先生のあの色の付いたような声を思い出し、ひとり幸せな気持ちに浸っていたのだった・・・・・・・・・

 


「先生がやって来て、ボクは空振りした。」への3件のフィードバック

  1. もっと、詳しく書けと言うお声をいただきましたが、
    イコール長く書けということなので、
    時間が出来ればそうしましょう・・・・・・

  2. 「先生の澄みきった声が色の付いた風のようにボクの顔の前を通り過ぎていった。」
    中居少年の心の中が見えてくるような一節ですね。
    詳しく書いてほしいと言う人の気持ちが分かります。

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