カテゴリー: 地元・内灘のこと
冬の朝の小さな奇跡
2011年12月24日の朝。 こういう言い方が正しいのか分からないが、クリスマス・イブの朝である。 冷え込み、目覚めると天気予報どおりに雪がうっすらと積もってい
金沢文芸館~五木寛之文庫の仕事記
金沢市尾張町にある「金沢文芸館」がこの11月で10年を迎えていた。 もっと歳月が過ぎているような感じだったのだが、意外だった。 そして、10年を迎えたすぐあと、
先生がやって来て、ボクは空振りした。
小学校に行き始めた頃だろうか、いやもっと前かも知れない。 「ギョーセードーロ」という言葉を何気に覚えていた。 それは、今普通に県道と呼ばれている道路のこと
🖋 無花果とミミズと少年の頃の夏
6月なのに、真夏のような熱気が支配する午後だった。 山里の田園風景をぼーっと眺めていると、急に無花果の匂いがしたような気がして周囲を見回した。 が、それらしきも
内灘・私的メッセージ
内灘といえば、海です。 ただ、さまざまな表情があって、 どれが内灘の海だとは 簡単に言えません。 ************************
不思議な距離
仕事で自分の生まれ育った町と関わりを持つというのは、何だか奇妙なものだ。 自分自身、その類の仕事で満足したことは一度もない。 不思議なことに、最終的には投
ボクらの浜のゴミ拾い
6月最後の日曜日は、6月最後の日でもあった。 が、そんなこととは特に関係ないと思うが、わが内灘町では、町の代名詞とも言える海岸の一斉清掃に、朝から町民たちは汗を
ボクらの不発弾事件
先日の、東京・不発弾処理の記事。 不発弾のことなら、黙っていられない。 早速、本題に入る……小学校四年の頃のことだ。 その十数年前、ボクたちの育った内灘の砂浜は
ゴンゲン森で、子どもたちに語った
九月のアタマあたりだったろうか、町役場から突然電話があって、「うちなだ夢教室」の講師をやってくれないかと頼まれた。 一応、こちらのことをいろいろと調べてあって、
内灘闘争の伝え方を再考
内灘闘争60周年がテーマだった、今年の「内灘砂丘フェスティバル」。 会場となった文化会館のロビーで、ある写真と再会した。 米軍の砲弾試射の轟音に怯える、 若い母
漕艇場あたりの、のどかな風景
何度か書いてきた河北潟の話の中で、どちらと言えば、いつも干拓されてしまったことへのセンチメンタルな気持ちを綴ってきたように思う。 しかし、関心が全くなかった時は
風景に焦る朝について
毎朝七時十五分から二十分頃には家を出る。 その時間に出ておいた方が、道も空いていて、それほど気分を害することもなく出社できるからだ。 我が家のある石川県内灘町か
河北潟干拓地への雑感
冬には少ないながらもそれなりに雪が積もり、その雪が解け始める頃になると、雪の下にあった青々とした麦たちが、薄く張られたような雪解け水から顔を出す。 さらにそれら
河北潟干拓地に風が吹く
最近は、休日時間があると河北潟干拓地によく足を運ぶ。 今まで近くに居ながら、夏のウォーキングや冬のスキーハイクに行くくらいで、特にそれほど深い愛着があったという
内灘が町になって50年
生まれたところであり、今住んでいるところでもある「内灘」が、今年町制五十周年なのである。 まだ五十年しか経っていないのかと意外に思われるのだが、内灘は町になって