🖋 能登の素(す)は死なない
令和6年能登半島地震 半世紀近い関りの中で想うこと
能登の素(す)の部分に潜んでいた脆さを、今この時になって思い知らされた気がする。
そして、大切な能登がじっと耐えているのを焦りとともに見ていた。
そして思ったのは、能登の素にはそんな言葉など聞き流す、もっと言えば、静かに受け入れてきた何かがあったということだ。
能登の素とは、紛れもなく〝自然に育まれた自然な生き方〟にあった。
だからこそ、能登はずっと、能登であったのだ。
飾らない、言葉に頼らない、実直で、逞しさとやさしさを表裏一体にもつ。
そんな風土を、能登は当たり前のように持ち続けてきたのだ。
そして人々は、自分たちの素に対して素直に生きてきただけだ。
その風土が、素が、消滅していくかもしれないという不安……
しかし、そんなことはない。ありえない。
能登がそんなことでへこたれるはずがない。
能登が能登でなくなるはずがない。
だから、これまでのように、能登と接していこうと思う。