冷やしビールと 冷やしたビールの違いについて


 

 メールで送った文章の中に脱字がありましたよ…と言われた。らしくないですね…とも言われた。

 たしかにこうした形式が多くなってから、文章が雑になっていると感じたりする昨今である。印刷されるものの時はもっと丁寧だったような気がする。

 偉そうで申し訳ないが、それは読み返しの度合いなどでもはっきり違っているし、出来上がってからでも直すことが簡単にできる分、安直な対応に終始しているのは間違いない。

 ところで、その脱字とは「冷やしビール」という表現であった。これはボクにとって何ら問題のない表現である。

 仕事用のメールに使ったもので、大雪時の“雪どかし”も、冷たいビールを楽しみにしてやれば少しは励みになるでしょう…という意味を込めていた。

 多分、受信者は「冷やしビール」ではなく「冷やしたビール」だと言いたかったのであろう。たしかに言われることは分かるのだが、ここはやはり前者にするのがボクのやり方なので………

 それにしても、あらためて言われると実に面倒臭い。この微妙な感覚についてはなかなか説明が出来ないのである。だいたい説明をしなければならないのかという観点からしても微妙なのだが、一度こうして疑問が投げかけられると右往左往してしまう始末だ。

 しかも、そういう人に限ってどれだけ説明しても絶対に分かってくれない。いや、分からないというか、多分そうした感覚そのものを体内に宿していないに違いない。

 だが、この感覚を何とかして説明しようとしている。厄介なことになったなあと思いながら、どうもこれでは気が済まないといった心境にある。もちろん相手は自分自身だ。

 

 さて、ボクの中での「冷やしビール」というのは、「冷やしトマト」とか「冷やしきゅうり」などと同じだ。表現として一般的かどうか分からないが、農家の前に置かれたり、山小屋や観光地の店先などで売られている果物や野菜たちの部類である。

 器に湧水を溜め、その中で冷やされている。冷たいきゅうりなどは、割り箸のような棒に刺して売られていて、特に真夏などは爽やかで美味い。山の帰り、上高地の明神館で喰らいついた「冷やし青りんご」(これは勝手に命名)も格別であった。

 ボクの中での「冷やしビール」は同じ仲間なのだ。つまり、冷蔵庫の中できちんと並べられ冷やされたビールではなく、無造作に、しかも科学のチカラなど借りずに自然の状況で冷たくなったビールのことを言う………?

 そして、この場合のビールは缶ビールだ。ただ、先ほどの雪どかしの後のビールという点では、どうしてもこういう経緯で冷やされたビールでなければならないのかというと、決してそうでもない。冷たければ何でもいいことだけはたしかだ。

 ただ強いて言えば、雪どかしをしながら山スキーの時のように缶ビールを雪の中に埋めておき、一作業終わった段階で取り出して飲む……といったカタチもいいかなと思ったりする。

 なぜ、そこまで表現にこだわるかなのだが、どうもボクの表現手法(そんな大げさなもんでもないが)の中には、「冷やしたビール」ではなく「冷やしビール」といった具合に、一括名詞型に丸め込んでしまうというクセ?みたいなのがあって、それが自分の好きな表現方法(そんな大げさなもんでもないが)として確立されてしまっているように思える。

 こういう話をすると、必ずまた突っ込みがあって、「冷やし中華」と一緒ですね?と言われそうである。

 しかし、それは違う。どこが違うかというと、「冷やし中華」は決して「冷やした中華」ではないということであり、本来「冷やし中華」という呼び名は一商品として個別に作られたものである。そもそも「中華」では大雑把すぎる。その点、「冷やしビール」は正真正銘「冷やしたビール」であり、ビールという具体的な飲み物をさしている点で「冷やし中華」のようないい加減さはない。このことを混同してはいけない……と思うのである?

 話がややこしくなっていく。このあたりで終わりにしておいた方が逃げ切れそうなのであるが、どうも説明し切れていないな…といったもどかしさもある。

 そういうわけで、とにかく「冷やしビール」的な響きをずっと大事にしてきた。本来ならば、どっちでもいいと言ってやり過ごすが、もう少し時間をかけて考えてみようかと思う。

 ただ、といいながらも、このコーナーが『風にゆれるビールの泡のような雑文集』であるという点も踏まえ(?)、まあそこまでいかなくてもいいのではないか…などとも考えるのである………

 


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