美ヶ原の夏歩き
深田久弥は、『日本百名山』の中で、山には登る山と遊ぶ山があると書いていた(と思う)。
そして、遊ぶ山の代表格として霧ヶ峰や、この美ヶ原のことを書いていた(と思う)。
カッコ書きが続くのは、もう内容を忘れてしまったからで、その本自体もどこへいったか分からなくなっている。
そんなことを後で振り返りながら、8月の初め、30年ほどぶりに信州の美ヶ原へ出かけた話を書いている。
美ヶ原はカンペキな遊ぶ山だ。
その美ヶ原に、30年以上行っていなかった。
回数で言えば、3回以上は確実に出かけた記憶がある。
ただ、本格的な山行に出かけるようになってからは、美ヶ原は目的地の対象にならなくなっていた。
美ヶ原は、霧ヶ峰の延長にあるイメージだ。
白樺湖から車山高原へと上り、ビーナスラインを走り続けて霧ヶ峰から美ヶ原に辿り着く。
このルートは、20代の頃の夏のシンボルのひとつだったと言っていい。
真夏の高原道を歩いた記憶は、鮮明に残っている。
で、美ヶ原なのだが、今回は松本側から上がった。
上がったと書いたのは、もちろんクルマでだからだ。
松本の街中をスルーし、浅間温泉からのらりくらりと、そして何度も何度も深いカーブを曲がりながら、一気に高原地帯へと上がって行く。
申し訳ないくらいに楽をさせていただきながら、最後の駐車場からも、わずかに歩いただけでもう2000m近い山岳風景だ。
同じルートで一度美ヶ原に来たことがあったことを思い出したが、いつのことか覚えていない。
王ヶ鼻から、最高地点の王ヶ頭へ。
特に厳しくもない緩やかな登行だが、容赦なしの直射日光だけが難敵になってくる。
同行の家人は、今や父親を抜いて山の強者となりつつある長女の山ハットを深めにかぶり、360度に広がる高原風景に目をやりながら暑さに耐えている。
王ヶ頭へは途中からトレッキングルートに入り、出来るかぎり山歩き気分を保持しようということになった。
短い急登を経て、難なく王ヶ頭に到着。
汗を拭きながら、しばし眼下から目線高までの風景を楽しんだ。
一気にせり上がっているこの山域では、眼下に見える風景の立体感がとてもいい感じだ。
眼下のどかな草原風景と、削り落とされた壁に突き出る岩場のコントラストが山岳景観の醍醐味を感じさせる。
楽(ラク)して、こんな風景に浸っていてはと申し訳ない思いもしないではない。
のんびり眺望を楽しんでいると、若い女性三人組からシャッター要請が来てますと家人。
スマホによる撮影は苦手だが、何とか無事済ませると、今度は向こうからお撮りしましょうか的返礼があった。
ではと、夫婦で石碑を挟み、お言葉に甘えることに。
山ではやはりいいニンゲンたちばかりだ……
美ヶ原そのものは、やはり台地状の高原に広がる牧場がメインイメージだろう。
すぐ横にあった山頂ホテルの脇を抜けて、その目抜き通り的道を歩くことにした。
昨年の9月(山ではもちろん深い秋だった)、北アルプスの薬師岳で痛めた両足の爪や膝や、その上の筋肉やら、さらに同行の長女にかけた迷惑による屈辱や自分自身への情けなさやらが、どれくらい克服されているか?
今回の美ヶ原行きにはそのチェック的意味合いも含まれていた。
しかし、歩き始める前、ベンチで一人一個ずつのおにぎりを頬張っているうち、こんなところで諸々の痛みと遭遇していたのでは問題外だなという思いが湧いた。
時間は昼過ぎくらいだったろうか。
いよいよ、これこそ美ヶ原そのものという空間へと歩き始めた。
人の数は案外少ない。後で分かるのだが、人はこれから増えることになっている……
牛たちが見えてきた。
歩きながらその牛たちを見ていると、黒牛が一頭グループから離れはじめ、そのうち歩きが走りに変わって、どんどん山の方へと登って行く。
なんだかおかしんじゃないかと家人と話していると、その黒牛はさらにスピードを上げ、テレビ塔がある最高地点にまでよじ登ろうとしていた。
多くの牛たちは、この楽園のような高原で、自分たちには食い尽くせないほどの牧草と水と塩さえあればいいと思っている……と思えるのだが、彼(彼女かも?)にはそれだけでは満足できない何かがあるのだろうか?
もはや小さな黒い点のようにしか見えなくなった。
そうこうしているうちに、急に対向してくる人の数が多くなったのを感じた。
そうか、やはり美ヶ原はビーナスラインからのお客さんが圧倒的に多いのだ。
かつて自分もそうだったように、ビーナスラインの上品な高原ドライブを経て、さらにこの美ヶ原の上品さに浸る……
それがより美ヶ原を魅力的に見せる演出になっているのかも知れない。
とまた、そんなことを考えているうちに、鐘の音がうるさいくらいに響き渡る「美しの塔」付近に到着。
うるさいくらいに聞こえるのは、鐘が壊れているからではなく、人が連続して鳴らしてゆくからだ。
特に子供たちが集まると、はっきり言ってかなりうるさい。
ようやく静かになり、昔、ここで撮った写真の情景を思い出している。
モデルチェンジしたホンダ・アコード(ハッチバック)を走らせていた頃だ…と、そんなことも思い出した。
一緒にいたのはM森という大学の親友で、彼の家がある山梨の町からこの辺りまでの山域を旅していた。
二十代の自分の旅趣味の中では、珠玉の類に位置される豪華なエリアであり、数日間のパラダイスだったのだ。
美しの塔から離れ、戻ることにした。
平凡な牧場の道より、トレッキングのコースの方がいいと家人が言う。
当然こちらもそう思っていた。
スポーツセンターに通っている家人は、最近メキメキと体力増進を図っていて心強くなっている。
左側がすっぱりと切れ落ちた崖の上に道が延びる…… と言うと大袈裟だが、一応地形上はそんな感じで、突き出た岩の方へと足を進めると、それなりにスリルがあったりする。
高山植物が美しく、蝶などもその上で上品に舞ったりしていて至れり尽くせりだ。
かなり本格的に身を固めたトレッカーや、最近流行りの山を駆けめぐる青年たちもいて、美ヶ原のバリエーションに富んだ楽しみ方に納得した。
そう言えば、ビーナスライン方面から入った自転車チームは、美ヶ原を縦断し、反対側(松本方面)に下って行った。
美ヶ原が、遊ぶ山であることの証を見せつけられたような楽しい光景だった。
トレッキングコースは、気持ちのいいアップダウンを繰り返しながら谷を巻いて続いていた。
かなり歩いたところで、また急登の道に出合い、そこを登って頂上のホテルへ。
遅くなったが、ちゃんとしたランチは、そのレストランのハヤシライスになった。
しかし、食後に考えていた、ちゃんとしたデザートとしてのソフトクリームは最後の歩きを考慮して、駐車場横にあった店でいただくことに。
食後はテラスの方に出て、標高2000mから見上げる久々の夏空を楽しむ。
入道雲が少しずつ形を変えていくのを、高原の風に吹かれながら眺めるという懐かしい時間が訪れていた。
ビーナスラインの方から入り、歩いてきた多くの人たちにとってはこの辺りが終着点だ。
ここから来た道を戻る。そのせいか、ほとんどの人たちがこの場所で大休止する。
駐車場までの下りで、足先に少し痛みを感じた。
去年の長女のように、家人が先をどんどん下って行く。
今回の美ヶ原は、秋の北アルプス山行のための足慣らしと位置づけているが、果たして大丈夫だろうかと、家人のうしろ姿を見ながら不安な気持ちになる。
しかし、まあ何とかなるだろうと、いつものようにラッカン的思考に切り替えると、最後の木立の中の道の涼しさが予想以上に増したように感じた。
残念ながら、駐車場横の店にはソフトクリームはなく、家人は落胆しながら普通のカップアイスを食べていた。
午後の遅い時間。日差しはまだまだ強かった。
ゆっくりと下った先に浅間温泉があり、そこの小さな旅館に予約を入れてあった。
冷房が間に合わないくらい、盆地の熱にその小さな旅館は侵されていたが、その熱に対抗するくらいの熱湯温泉がまた痛快であった。
もちろん風呂上がりの冷やしビールも格別で、少し痛みの残る足先を指で揉みながら、秋の北アルプスに思いを馳せていたのだ………