🖋 奥能登の山里を歩き想うこと…曽又 2021春
◆奥能登は山間地……
大げさだが、ついに来た…と言う感じである。
コロナの終焉どころか、ワクチン接種もまだだが、春の訪れを待ち、満を持してやって来た。
さらに何十年ぶりかで自から握り飯をつくり、前夜のおかずの残りをチンなどしてタッパーにレイアウトした。
石川県能登町にある曽又(そまた)という山里…… 二度目だが、本格的に歩くのは初めてだ。
こういう土地を知るようになった理由は、奥能登へ仕事で出かけていた時の帰路にしていたからだ。
本線から外れての遠回りだが、時間があればとにかく知らない道に入っていた。
さらに時間があれば(わずかだが)歩いた。
もちろん、好きだからでもある。
何度か書いてきたが、能登半島のホネの部分は山間部である。
半島を貫く道はそんな山間を縫うようにして延びている。
当然のことのように、その道沿いにまた多くの道が派生し、奥にまちやむらがある。
能登は海というイメージが強いが、特に奥の方へ入ると、能登は山間地といってもいい。
こんな話は書き始めると長くなるので、追々のことにしておこう。
実は前のページの話も、多くが能登を歩きながら想っていたことでもある……
金沢方向から来て、曽又へ直接入るには、珠洲道路の神和住交差点を右折するのが分かりやすいか、
もうひとつ、桜峠の道の駅の横を下って、鶴町を経るのが分かりやすいか、自分の中では結論はまだ出ていない。
今回は前者のルートで、神和住交差点を右折後、クルマだと大した時間も要せずに、曽又の里に入ることができる。
軽い山越えだ。
桜が満開の曽又集会所にクルマを置かせていただき、里の方に向かって歩きはじめた。
文句のつけようがない春の晴れの日。
デイパックを担いだ背中がすぐにぽかぽかとあったまる。
玄関に帽子を忘れてきたことに気付いたが、今更どうしようもないと開き直っている。
道はゆるく下っていくが、その後少しずつ角度をつけて上りになっていく。
左手に墓石が三基、整然と並び、その前を細い道が延びている。
その先には数軒の家が建つ。
里は左手斜め奥へと広がっていて、前回来た時にはその方向へと入っていった。
🖋 奥能登の山里を歩き想うこと…曽又 2021春
✎山里の魅力と現実……
奥能登ではめずらしくないが、曽又の日吉神社もいい雰囲気を持っている。
個人的感想に基づく自分なりの表現だが、とにかくすごいのである。
大きいとかきれいとかではない。なんと言えばいいのか、とにかくその佇まいとその場の空気感がいい。
奥能登の、特に山里の神社の存在感にはいつも平伏させられるが、かなりのパワースポット感がある。
以前は秋に来たが、稲刈りも終わりつつあり、ひたすらのどかで当たり前だが神々しかった。
しかし、曽又でもまた、空き家がそのまま廃屋になっていく姿を目にする。
どんどんと家に住む人がいなくなる。どんなに立派な構えをした家でも、そこに住む人がいなくなれば、文字どおり家の生気は消滅していく。
2015年の数字で、曽又の世帯数は34戸、人口は86人となっている。
そして、現在を考えれば、その実態は明らかにせつないものになっているだろうと想像される。
このどうしようもない実態をどう表現していいのかと時折考えるが、自分としてはまず悲観的な見方をしないようにする。
数年前、ここからそれほど遠くもないところにあった古い家を見せてもらい、専門家から再生のむずかしさを教えられた。
だが、早く手を打つなどすれば何とかなるという話を別な場所で聞いたことがある。
今はそんな時代らしいが、ボクが考えられることはその家が建っている場所の魅力だ。
無責任なことは言えないが、少なくとも、そこに人が住んで、家族がいて、日常があったという事実を明るくとらえる方法はないものだろうか。
直接的でも間接的でもいい。こういう美しい場所が存在しているという事実と、そこに生活があったという事実を、何らかのカタチで伝える術だ……
地蔵さんの立つ道を左にやり過ごし、コミュニティバスの停留所を過ぎると、道はどんどん上りになっていく。
左に延びた細い道は集落と水田の間を通って、神社へと続く。
その先へも道は延び、曽又山という標高250メートルほどの低山へとつながっている。
そこへ行けるのはいつのことだろうか。
🖋 峠へ……
先ほどクルマで下ってきた道を、今度は一応峠をめざして上り返す。
振り返ると、曽又の里だ。
ほどよい上りのペースに慣れ始めたところで、ひとりの老人と出会った。
上半身はランニングシャツ一枚で、顔中に汗が光っている。
急な坂道を下った広い窪地にあるビニールハウスで作業をし、そこまで上り返してきたところらしかった。
かなりの年齢のように見えたが、自分の齢は分からないと老人は首を横に振った。
ここまで手押し車に支えられて来ていたが、その体力に驚く。
このような土地では、人はこうして生きていくしかないということを教えてくれる。
ありように合わせて自然に生きているということは、こういうことなのだと。
その老人が、もう少し行ったところに右に延びる狭い道があると話していた。
何という地区につながっているのかは聞き取れなかったが、そこへも時間が許すかぎりに行ってみようと考える。
が、とりあえずは予定どおり、森の中の道を峠まで上ってみることにした。
この道に限らず、山里の昔からの道は多くが狭い。
かつてはこの広さで十分な往来ができていたことを物語る。
道は森の中を延びていく。春が来ているとはいえ、まだ森の中の春はさびしい。
単調な上りの果てに、峠があった。
さらにその先へと下ってみたが、特に感じることもなく、そのまますぐに引き返すことにした。
そして、峠を今度は下り、少しのんびりと歩く。
里の畑で出会った三人の老婦人たちが、この辺りにも今は歩かなくなった道があると話していたことを思い出す。
家はないが、田んぼは残っているという場所があるという。
その名残りの姿をときどき我々は目にしているのだろう。
歩いてみると、ところどころにほとんど人が足を踏み入れてないような道があった。
クルマで利用されている道はほとんどが舗装されているので、必ず人里へとつながっているという予測もできる。
◆森の中の道へ……
老人が教えてくれた道は細いがしっかりと舗装されていた。
しかし、冬の間の枯葉や枝などが道に散乱している。
これらは初夏の雨に流されるまで、このままなのだろうかと想う。
いつものように、敢えて全く予備知識を得ずにその道に入った。
森の木立が先ほどの幹線的な道よりも濃く感じられる。
立派な杉木立が、とても厳かな空気感を醸し出している。
小さな水の流れが、倒木やら枯れ枝やらの隙間から常にかすかな音を立てている。
遭遇したクルマは2台だけだった。それも軽トラックだ。地元の人だろう。
◆森を抜けていく……
道はどんどん下りの角度を強くしはじめ、その先に森の終わりを告げる明るい陽の光が見えてくる。
案外とそれほどの時間を要することもなく、また新しい里へと下りた。
全く想定していなかった方向だったが、ある程度の行き当たりばったり型歩きだから、こんなことはよくある。
視界が圧倒的なカタチで広がり、周囲がまぶしいくらいに明るくなった。
ここはなんというところかと一度は考えるが、そんなことはとりあえずどうでもよく、ずっと先の、道が左へカーブしていくあたりに一軒の家があることを確認した。
人がいる、だから山里だということで安心する。だが、空き家らしかった。
それにしても、こののどかさはなんだ。山里としての一級品ののどかさだと自賛している。
音は水の流れと鳥のさえずりぐらい。空は青く、冬枯れの草の色が春の日差しに生気を取り戻したかのようだ。
少し下ったところに、それほど大きくはないサクラの木が一本見える。
石の上に腰を下ろし、そのサクラを見ながら昼飯にしようと決めた。
歩き始めて一時間半ほどだろうか。
◆曽又の里へ戻る……
また曽又の里に戻ったのは集会所の駐車場を出てから3時間半後。
移動した距離は7キロあまり。アップダウンはかなりあったが、それほどきつくもない。
本当はもう一度神社の方へと足を延ばしたかったが、時間には限りがあった。
里の中をのんびり歩きながら、ふとあれこれ想っている自分に気が付く。
大したことではないが、フリーっぽくなってから、自分が何者なのかと自問したりしていた。
そういえば、人生も有限になってきたのだ。その有限な時間の中で何をすべきか?
だが、何もせずに考え込んでいるだけではないかと。
だから、早くこうして自分の中の充足感を得るための行動に出たかったのかもしれない。
それと、どんどんその魅力が薄められていくこうした土地の環境に、何か明るい発信めいたことができないかと考えていた自分にも気付いていた。
むずかしいことはやれそうにないが、大切なものをしっかりと言葉にしていくことぐらいはできそうだ。
いよいよ作業が本格化する水田に、若者の姿を見た。
歩く場として山里を選ぶのには理由がある。
前にも書いたが、それは想いが湧いてくるからだ。
無くなっていく何かが、実際にあった時の温もりをあらためて感じさせるからでもある。
仮にカタチが崩れても、歴史も暮らしも、そしてもちろん風景も、素朴なかたちでまだまだ生きている。
そして、歩くことは、それらについて想うこと。
ふとしたことを想い起させる何かを、特に山里は伝えてくれていると感じている……
集会所に戻り、クルマを走らせ、昼飯を食べたのどかな里へともう一度下った。
豊かな気分の帰路だった。